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第9話 プリンシペ

死を司るモノオンブレたちは、津波の如く周囲の人や物に危害を加えた後、さっさと消えてしまった。

 残るはマントが血にまみれて死んでいる旅人や、ヤギウマの遺体。車輪が壊れて動かなくなった馬車だけが残されていた。

 荷物は食べ物の類が多いが、武器関連も多い。進化した猿たちは食欲だけではない存在に昇華しているのだ。


「イコル。ここはひとつ君のスキルで後片付けをしてよ」

「なんで俺がそんなことをしなくちゃいけないんだ」

「だって僕は非力な新人司祭なんだよ。フエルテは重いものを持つ筋力はあるけど、君の鼻毛なら効率よく作業を進められるね。騎士団が来る前にきれいにしておけば心象もよくなるよ。人間、面倒なことを進んでやることで信頼をもぎとるんだってラタおじさんが言ってた」


 イコルにとってどうでもよいことだが、騎士団に目を付けられるよりはましだと思った。

 仕方ないのでフロント・ダブルバイセップスのポーズを取り、鼻毛を蛇のように伸ばす。死体は街道の外に置き、残骸も一か所にまとめた。サビオは負傷者の手当てをしており、フエルテに指示を出していた。あの男の言動は軽いが根は真面目な性質なのだろう。

 

「すごいな。あの鼻毛。見る見るうちにゴミだらけの街道がきれいになっていく。まるでエルの歯みたいだな」

「そうだね。違うところは鼻毛だけでなく耳毛も操れることさ。相当な修業を積んだとみて間違いないね」


 フエルテは感心していたが、サビオは振り向かず負傷者に応急手当てをしていた。その手際はすばらしく、あらかじめ所持していたアルコールで消毒し、医療用の針で傷を縫い、包帯を巻いている。傷が浅い者には檄を飛ばし手伝わせていた。これが本来の彼の実力なのである。


 イコルはただちからこぶを作っているだけだが、神経は鼻毛に集中している。一見か細く見えるが鉄のように硬く、人はおろかヤギウマの遺体さえ軽々と持ち上げていた。

 オラクロ半島での修業は毛を動かすことから始まる。その後に毛を自在に伸ばし、第3の手足のように扱うのだ。普通ならおちこぼれが出てきてもおかしくないが、この地には念呪草という、神応石を肥料にして育てられた植物がある。それを毎日煎じて飲めば生活に不自由しないほどのスキルを身に付けられるのだ。

 オラクロ半島の女は二本の三つ編みが多く、子守をしながら三つ編みで洗濯や料理をするのである。

 男の場合は弁髪で死角を補佐することが多い。

 イコルの場合は鼻毛と耳毛を伸ばして戦う姿勢を取っている。これは三つ編みや弁髪だとすぐに行動ができるが、鼻毛だと伸びるのに若干時間がかかる。その隙に敵にやられる可能性は高い。それに鼻や耳が詰まり、嗅覚と聴覚を封じられるのだ。それらの制約のおかげでイコルのスキルはオラクロ半島の人間より遥かに強力なのである。


「うっきー、そこのお方、お助けくだされ!!」


 流暢な言葉と共に茂みから何かが飛びてた。巨大なイエイヌかと思ったが、それは猿であった。もっとも人間の子供並みの大きさである。腰は毛皮を巻いており、足にはサンダルを、手には革の手袋をはめていた。

 アカゲザルに似ているが尻尾が短く、顔つきも人間に近かった。先ほどの声はこの猿が発したのだろうか。

 イコルたちは辺りを見回した。


「拙者でござる! 拙者がしゃべったのでござるよ!!」


 猿は憤慨していた。トルナドやムエルテは片言だが、こちらはきちんと人間の言葉を話している。猿の亜人はいるがあくまで猿に似ているだけで基本は人間だ。この猿は見た目も仕草も猿そのものだが、人の言葉をしゃべる。どことなく不気味だ。イコルたちはともかく一般人は嫌悪しそうである。


「拙者の名前はプリンシペ。偉大なるモノオンブレをまとめるモノレイの息子でござる! 先ほどロホカラペラの手先であるムエルテを撤退させるとは見事でござる!!」

「ロホカラペラ?」

「拙者の叔父でござる! 血で染まった巨大なアライグマの頭蓋骨を被り、骨のこん棒を二本同時扱う戦士でござる!」


 プリンシペは興奮していた。もう頭が沸騰して支離滅裂なことしかしゃべっていない。とりあえず彼を落ち着かせるためにサビオはお菓子をあげた。ポルボローネというクッキーだ。薄力粉にアーモンドプードルを混ぜ、玉状にする。それを一晩寝かせた後オーブンで焼き、パウダーシュガーをまぶすのだ。

 スペインでは幸せを呼ぶお菓子と呼ばれ、親しまれている。なんでお菓子を持っているのかというとサビオは教会の台所を借りて作ったという。ホビアルに食べさせるためだと言うが、実際は自分のおやつのために作ったと思われる。

 プリンシペは差し出されたポルボローネをバリバリ食べてしまった。甘味は初めてではないが、独特の食感に感動したのか、プリンシペは背筋を伸ばし敬礼をした。


「拙者、こんなうまいものを食べたのは初めてでござる! この恩は一生忘れはしません!!」

「それはいいんだけど、君は助けを求めてきたんじゃないのかな。先ほどの話をまとめると、バラバラだったモノオンブレの一族をひとつにまとめたモノレイが、弟のロホカラペラによって殺された。その後ろにはエビルヘッドが控えている。彼らは支配地を広げるため人間を攻撃し始めた。君はひそかに繋がっているフエゴ教団に救いを求めた。違うかな?


 サビオが丁寧に聞き、説明した。彼はプリンシペの言葉を断片的に組み立てたようである。意外にもフエゴ教団とモノオンブレは繋がっていたようだ。彼らは彼らで文明を築いており、あまり過度な干渉はしない方針にしたそうだ。


「で、フエゴ教団の誰に連絡を取りたいんだ?」

「シンセロ司祭でござる!! 連絡係として20年以上昔に一度来たそうでござる。その時ゴリラの奥さんがいたそうでござるよ」

「……」


 サビオは固まった。フエルテも悲しそうな顔になる。シンセロ司祭とはフエルテのパートナーであるアモル司祭の父親だ。母親はマウンテンゴリラのフエルサであり、共に数年前に病死している。

 アモル司祭からモノオンブレのことは聞いたことはなく、たぶんシンセロ司祭の弟である羊の亜人コンシエルヘなら知っているかもしれない。


「シンセロさんか……、あの人は世間では死亡したことになっているんだよね。でもボクらもフエゴ教団の一員で司祭だから問題ないかな。ね、フエルテにイコル」

「おい、俺はフエゴ教団じゃないぞ。勝手なことを言うな」

「まあまあ、いいじゃないの。プリンシペは必死になって教団に助けを求めてきた。なら僕らはそれに答えるだけだよ。困っている人を放っては置けないからね」

「こいつは猿だぞ」

「モノオンブレだよ。猿に似ているが猿とは別物さ。それに目的地は同じさ。どうやらエビルヘッドはモノオンブレの強硬派、ロホカラペラと手を結んだようだ。そのくせビッグヘッドを手先に寄越さないから、確実に本物に近い偽物だと思うね」


 サビオはしたり顔で笑う。イコルとしてもエビルヘッドを名乗る相手を許すわけにはいかない。

 ちなみにカバンに変化したベビーエビルはモノレイやプリンシペのことを知っていた。あくまで情報だけで実際に会ったことはないという。

 自分の知らないところで生物が進化している。それに感動していた。キノコ戦争という絶望的な状況で生き物は懸命に生き抜こうとしているのだ。亜人たちもその進化の過程で生まれた存在である。エビルヘッドは自分を生み出した人間に感謝し、その人間たちを見守ることを宿命と感じていた。その結果自分が悪の化身となり討たれたとしても、人間たちに永遠の悪を与えることができるのだ。それが生まれた意味だと思っている。

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