神の制裁
4月29日、土曜日。
伊島楼はその日、朝5時に目を覚ました。
彼女の目覚めはいつも悪いもので、時には悲鳴を上げて飛び起きることもあった。
そんな楼のこの日の予定は、散歩だった。
楼の散歩コースは気まぐれ。
普通なら決まったコースを決めて、優雅に散歩を楽しむ人がほとんどだと思う。
しかし、彼女の場合はあくまで仕事の一環。楽しむも何もない。
今日のコースは自宅から電車を利用して都会へとやって来たのだが、休日ということもあり
どこに行っても人が多かった。けれど、彼女が求めるものはそこにはなく、近くの公園で一休み
することに。
「…今のところ、収穫ゼロか」
こんなに人間がたくさんいる都会にわざわざ電車を使って移動したというのに、まさかの収穫
なしという現段階の結果に、楼は落胆していた。そもそも観光地を散歩コースに選んだことがそ
もそもの間違いだったかもしれない。大型連休・有給休暇を合わせて8日間の休みを使って国内
・国外旅行を計画している人も多いはず。それならば、彼女がいる観光地に行けば仕事に巡り会
える絶交のチャンス…と、楼はそう考えていた。彼女の予想通り、観光客その他大勢を含めてた
くさんの人々が密集していたが、仕事がなければ意味がない。
「…仕方ない。あの手でいくか」
そう言って楼は自分のスマホを取り出し、何やら作業を始めた。
最近は共働きの家庭が多く、小・中学生から連絡手段として自分用のスマホを持っている子供
も増えている。休日とはいえ、外に出てどこかへ遊びに行くアウトドア派よりも家でごろごろ・
ゲームしたいというインドア派もいる。そして、何もすることがない暇を持て余している子供が
何をしているかといえば、ソーシャルネット・ワーキング・サービス。つまり、SNSだ。
楼はこのSNSを利用して仕事を得ようと考えたのだ。もちろん法律に反するような真似はし
ない。ただし、相手側の出方次第では、それに似合った制裁を行うことにはなるだろうが…。
「…いた」
作業開始から約10分。
楼は仕事になる悩める子ひつじの書き込みを発見した。
それはネットネーム・Kの『家から出たくない』という書き込み。
この文章だけでは普通の人間には分からないが、楼には何か感じたものがあり、すぐにこの
Kの人物と連絡を取った。実際に話をするための条件として、Kが指定するファミレスに午後
12時に落ち合うことになった。それまでの時間、楼は他に仕事になる子羊を探してぎりぎり
になるまで時間潰しをしていたのだった。
…そして、午後12時。
Kと待ち合わせているファミレスへと辿り着くと、条件に一致する男性を見つけて声を掛ける。
「こんにちは」
男性は黒い帽子にサングラスにマスクをつけていた。
そこまで自分の顔を隠すことを徹底する必要があるのかとも思うが、彼にはそこまでするちゃ
んとした理由があった。なぜなら彼は…有名人だったからだ。
「あんたが伊島さん?」
「ええ、そうですよ。座ってもいいですか?」
「どうぞ」
男性の許可を得て、楼は向かいの席へ座る。
「あんた、ほんまに俺の悩み解決出来るんか?」
「出来ますよ」
「…いまいち信用できひんな」
「そんな信用できひん胡散臭い人間にこうしてお会いになっているということは、よほどお困
りなんですね。下手したらパパラッチされるかもしれないという危険を冒してまで」
有名人ともなると恋愛・浮気に不倫などといったジャンルから週刊誌に狙われ、スクープになり
そうなネタがないかと張り込んだり、周辺の聴き込み調査、または本人に直撃取材などでインター
ネットを通じて世の中に出回る。内容によってはテレビなどで大きく報道されることになるだろう。
「あなたの悩みはなんですか?」
「…誰かに、見られてるような気がするんや」
「それはパパラッチではないんですか?」
「最初はそうやと思ってた。けど……仕事でも家の中におっても、どこへ行くにも何か視線を
感じて……」
「霊感を持っているというわけでは?」
「そんなんないわ」
「冗談ですよ」
関西弁の突っ込みにも楼は冷静だった。
「ストーカー被害に遭われたことはありますか?」
「…」
「どうなんですか?」
「…ある」
「いつ?どこで?」
「中学の時、同級生の女子に告白されたんやけど、付き合えないって断って…それで…」
男性は口ごもった。
そうなるのも無理はない。なぜならその後、彼女は男性のストーカーと化してあの手この手
で男性を自分のものにしようと計画を立て、男性を殺害しようとしたのだから。
「その彼女、今はどうしてるんですか?」
「そんなん分かるわけないやろ」
「もし、彼女が犯人だとすると…あなたの命を狙っている可能性がありますね。今住んでいる
のはご実家ですか?」
「いや、家出て一人暮らしやけど」
「ネットで情報が流れているとすれば、特定は可能です。もしかしたら、今ここに彼女がいる
のかも」
「えっ!?」
男性は声を上げて立ち上がった。
周囲をきょろきょろするが、彼の知る女性は特に見当たらない。
「安心してください。あなたの悩みは解決しますよ」
その日の午後21時。
男性は一人で暮らしているマンションへと帰宅すると、すぐに寝る支度を始めた。
誰かの視線を感じながらも、気にせず支度を終えると灯りを消して布団を頭まで被って目を
閉じた。
男性が床に就いてから約一時間後、ベランダの窓に黒い人影が映る。
そして、パリンとガラスが割れる音がすると、窓がゆっくりと開かれて人影が部屋へ侵入する。
静かに男性が眠るベッドへと忍び寄ると、動けないよう馬乗りになって男性の口を左手で塞ぐ。
暴れだされる前にと影は用意していたナイフで首元を刺そうとした直後、部屋にパッと灯りが
点く。
「っ!?」
突如部屋の灯りが点いたことに影は数秒間硬直していると、クローゼットに潜んでいた楼が
出てきて影の前に現れる。
「どうも初めまして。ストーカーさん」
「…あっ」
「あなたがこの部屋に来るのをここでじっと待ってました。Kさんを殺しに来るあなたをね」
「ちっ…違うっ。私は……」
「じゃあ、これはなんですか?」
楼は持っていたスマホ画面を彼女に見せた。
彼女がベランダの窓ガラスを割って侵入。ベッドで眠る男性に馬乗りになって殺そうとする
シーンがはっきりと映っていた。暗い中でも撮影できる暗視カメラアプリを使っての決定的な
証拠映像だ。
「これでもまだ白を切るおつもりですか?」
「…なんで」
「はい?」
「なんで私の邪魔をする?私は何も悪い事してないっ!何もしてないんだっ!」
突然彼女の様子がおかしくなった。
頭を抱えながらぶつぶつと呪文のように何かを口走ったかと思うと、彼女はナイフを持って
楼に襲いかかった。しかし、楼は素早く交わし、彼女の手首を掴んで持っていたナイフ
を奪った。
「離してよっ!彼は私のものなのっ!他の誰にも渡したくないっ!私だけのものにするの!」
「…その方法が、彼の命を奪うことか?」
「私は悪くないっ!全部彼が悪いのよ!私は彼のことを愛しているのに、夢があるからって
私を振った。彼はみんなのものじゃない、私だけのものよっ!」
「くだらないな」
楼は彼女の手をそっと離すと、そう一言呟いた。
「何が愛してるだよ。何が、彼はみんなのものじゃない私のものだよ。彼はお前のもんじゃ
ねぇ!感情を持った人間なんだよっ!」
「ひぃっ!?」
楼の怒声に女性は悲鳴を上げた。
外見からすれば楼は男性に見えることもあって、迫力は十分ある。
恐怖するのも無理はない。
「それに殺したところで彼はお前のものにはならない。残ったのは魂が抜けた身体だけ。お前
はその死体を家に持ち帰って一人家族ごっこでもするつもりか?」
「そっ…それは」
「ちげぇだろ?お前はただ自分に振り向いてほしかっただけだ。それがこじれて自分の愛を
証明するために手荒い手段を取っただけのこと。証拠映像も撮れたことだし、あとは警察呼んで
…今日の仕事は終わりだな。けど、その前に…」
楼はそう言った直後、彼女の頭を右手で強く掴んだ。
「お前の心に憑りつく呪いを解いてからにしよう」
「ゔっ…!?」
「安心しろ。すぐに楽になる」
その後、楼は警察に通報し彼女はストーカー・不法侵入・殺人未遂の罪で逮捕された。
警察の聴取で彼女は、有名人となった彼を偶然テレビで見て中学当時の気持ちが蘇えり、
ネットを使って彼の住むマンション・よく目撃される場所を調べ上げたと説明。男性がどこへ
行っても視線を感じるといった件については、彼女が盗視能力を使って見ていた視線だったこ
とが明らかになる。これは自分が見たいものを盗み見るものであり、普通なら気づかないもの
だが、男性は彼女が能力によって盗視していることを偶然に察知していたようだ。
これで男性の悩みは解決されてめでたしめでたしだが、彼以外にもストーカー被害に悩まされ
ている人々は大勢いる。それにSNSでのトラブルで犯罪に巻き込まれるケースもあることから、
自分は大丈夫だと思っているのは間違い。どこで自分の身に危険が及ぶか分からないこの世界に
絶対安心・安全というのは綺麗事だ。
この世に神様なんていないと誰もがそう思っているけれど、神に近い超能力は存在する。
その超能力の名は…。