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アレックス最後の戦い  作者: 土師 三良
第七幕 僕に関する最後のメモ
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第三場

ひとつだけの世界/仲介者/怒りあるうち怒りの中を歩め/空気/獣の名前/清掃係/第三の人種/二匹目の蜘蛛/愚兄と愚弟/笑顔で逝こう/初顔合わせ・その2




『私たちは〈我ら〉よ』

「なんだと?」

 女の声が聞こえてくる場所――天井の格子網を俺は凝視した。格子網の奥にあるのは闇だけだ。〈我ら〉と名乗る者たちの姿は見えない。気配を感じ取ることもできない。

『〈我ら〉よ』と、女は繰り返した。『世界という名の水面に刻まれた天使(マンカインド)たちの航跡(ウェイク)を辿る者。回帰主義者と呼んでくれても構わないけど、〈我ら〉は貴方が考えているような回帰主義者とは違うわ』

「なにが違うんだ?」

『〈我ら〉が目指している回帰点は〈教団〉(ニュー・オーダー)の創成期ではなく、世界がまだ一つだった時代なの』

 女に続いて、他の〈我ら〉が語り出した。

『かつて、世界は一つだった。誰もが同じ神を信じ、同じ価値観を持ち、同じ希望を抱き、同じ規範に従い、同じ未来に向かって生きていたのだ』

『しかし、神が眠りについたために混沌の悪夢が地上を覆いつくし、人々の心は分かたれてしまったのです』

『〈我ら〉は悪夢を追いやり、世界をあるべき形に戻す。雑多な文化をシチュー鍋に放り込み、一つに溶け合うまで煮込み続ける。それは簡単なことではないが、決して不可能ではない。ただし、時間がかかる』

 理知的な声音が紡ぎ出す狂信的な言葉を聞きながら、俺は出口を探すために改めて室内を見回した。一瞬、姿見に映る男と目が合った。その男は、怯えた子供のような顔をしていた。

『僕たちが生きている間にシチューが完成することはないだろうね。先人の〈我ら〉が僕たちに意志を託したように、僕たちも後人の〈我ら〉に意志を託す。〈我ら〉の理想は何世代にも渡って継承されていくはずさ』

 出口は見当たらなかった。ここで〈我ら〉の相手をするしかないらしい。

『そして、いつの日か、世界は一つになり、信仰も一つになるわ。ラムディア以外の神を崇める宗教は滅び、すべての者が〈教団〉に帰依し、微睡(まどろ)みの煉獄たる現世は目覚めの楽土へと変わり、天使たちが地上に戻ってくるのよ』

〈我ら〉は「地上(アース)」という言葉に力を込めた。まるで、その言葉に特別な意味があるかのように。

『この場合の『すべての者』というのはシュライキア王国の民だけを差すのではないぞ。ビェーラヤ・ヴァローナ皇国、キュクノシア、モース連合、ピッキオ=ディマーレ、ノックユーンク聖邦、ヤラサン、ガルーディア、多神教に毒された赤砂族、〈不可視にして淡紅色の一角獣〉とやらを崇めている黒石族、それにまだ見ぬ異境の民も含んでいるのだ』

 こいつら……揃いも揃ってイカれてやがる。

「おまえたちは回帰主義を謳っているくせに〈教団〉の理念を無視するのか?」

 天井を再び見上げて詰問すると、〈我ら〉が問い返してきた。

『〈教団〉の理念とは何かね?』

「信仰を強要しないことだ」

『〈我ら〉はなにも強要しないわ。ただ導くだけよ。神と人を結ぶ仲介者インストゥルメンタリティとして』

「導きに従わない者はどうする?」

『そういう輩は自滅するだろうから、放っておくさ。ただし、周囲に害を及ぼすようであれば、消えてもらう』

「俺も消すのか?」

〈我ら〉の笑い声が返ってきた。嘲笑ではない。それどころか、偽りのない慈愛が感じられる。

 その慈愛に俺の魂は圧迫された。

 目眩がする。

 脚が震える。

 心臓が早鐘のように鼓動を刻んでいる。

「なにがおかしい!」

 目眩に耐え、震える足に力を込めて、怒声を放った。

 心に棲む〈獣〉と共に。

 怒りは俺に勇気を与えてくれる。ここで〈我ら〉に殺されたとしても、怒りを抱き続けたまま死ぬのであれば、それは敗北じゃない。決して敗北じゃない。

「笑いたいのは俺のほうだよ!」

 天井に指を突きつけて、まくしたてた。

「度し難いクリケットどもめ! 現実というものがまるで見えちゃいないな。おまえたちが妄執に浸っている間に、まともな連中の心は〈教団〉から離れていくのさ。何世代にも渡って理想が継承されるだと? 何世代どころか、次の世代にまで続くかどうかも怪しいもんだ。〈教団〉に未来はない! 未来はないんだ! 未来なんてないんだよ!」

 暴言を吐き尽くした後も〈獣〉は心の中で吠え続けた。

 慈愛に満ちた哄笑はいつの間にか消えている。

 腕を突き上げた姿勢のまま、俺は天井を睨みつけた。ここで〈我ら〉が怒りをあらわにすれば、形勢逆転とまではいかなくとも、超然たる言動に気圧されることはなくなるだろう。

 しかし、格子網の奥から聞こえてきたのは、憐憫の情が込められた優しい声だった。

『君が言うところの『まともな連中』というのは、真導(ウェイク)を信じない者たちのことなんだろうね。でも、〈我ら〉だって真導を信じているわけじゃないよ。いや、信じてはいるけれど、真導のことを奇跡の秘術だなんて思っちゃいないんだ』

『そう、真導は〈天使の叡智(ヘリテイジ)〉の猿真似にすらなってない代物だ。しかし、〈天使の叡智〉が完全に再構築されるまでの繋ぎにはなるし、別の力もある』

『それは人を支配する力よ。『まともな連中』とやらが真導を信じようと信じまいと、その力が存在することに変わりはないし、その力に逆らうこともできないわ』

『言わば、真導は空気なのだ。手で触れることもできなければ、目で見ることもできないが、確実に存在する。そして、それがなくては生きていけない』

「いや、生きていけるさ。真導なんぞを必要としているのはクリケットだけだ」

 俺は冷笑混じりに抗弁した。

〈獣〉はまだ吠え続けている。

〈我ら〉が次々と語りかけてきた。

『レイスよ。心にもないことを言うな』

『真導の重要性を貴方はよく知っているはずです』

『だからこそ、〈我ら〉は貴様を選んだのだ』

『〈我ら〉には聞こえるのよ』

君の中にいる(ヽヽヽヽヽヽ)〈獣〉の声がね(ヽヽヽヽヽヽヽ)

 その言葉は刃となり、俺を刺し貫いた。

 突き上げていた腕から力が抜けた。

 また目眩がした。

 脚の震えが激しくなった。

 それに動悸も。

〈獣〉はまだ吠え続けている。

『そんなに驚くことはないよ、レイス』

『〈我ら〉の心にも〈獣〉がいるのさ』

『君は〈獣〉のことを怒りや憤りや不満だと思っているのだろうが、それは間違いだ』

『その〈獣〉の本当の名前は――』

 俺は耳を塞ごうとした。

 手が動かなかった。

『――恐怖だ』

〈獣〉はまだ吠え続けている。



『君の心に棲む〈獣〉の名は恐怖だ。そう、君は恐れている。真導を恐れている。心の底から恐れている』

『クリケットと呼ばれる人々を貴様は見下しているが、それは恐怖の裏返しなのだ』

『自分の中にある恐怖を認めなさい。真導を恐れるのは恥ずべきことじゃない』

『恐怖は敬意に通じる。真導を恐れろ。敬え。そして、信じろ』

 俺はよろめき、へたりこんだ。見えない大きな指で頭を弾かれたように。

 それでも気力を振り絞り、叫ぼうとした。

 真導なんか信じない、と。

 しかし――

「……」

 ――声が出ない。苦しい。息ができない。

〈我ら〉が言うように俺は恐れているのか? 真導を恐れているのか? 心の底から恐れているのか?

 ……ああ、そうだ。認めよう。

 俺は恐れている。真導を恐れている。心の底から恐れている。

 信じる者は当然として、信じない者の人生にも真導は影響を及ぼす。虚構の産物であるにもかかわらず、その影響力だけは本物だ。真導に疑いを抱き、嘲り、貶めたところで、その「本物」の力に抗うことはできない。〈教会〉が構築したシステムの中で生きている限りは。

 では、そのシステムから逃げ出せば?

 ……そんなことが俺にできるはずもない。

 だから、恐れずにはいられない。

 苦悶と恐怖に喘いでいる間も〈我ら〉は語り続ける。

『〈我ら〉は貴方を同志として迎え入れたいの』

『〈我ら〉と理想を共有する資格を君は持っている。一緒にシチューを作ろうよ』

『おまえの担当はもう決まっている。清掃係だ。シチュー鍋にこびり付いた汚れをこそぎ落とせ』

『具体的に言うと、粛正省ヴァリ島部局の改革です。局内の腐敗を一掃し、人々の信頼を取り戻してください』

『きっと、貴様の名は教団史に残るぞ。ヴァリ島部局の活動を正常化させた英雄としてな』

 怒りの……いや、恐怖の化身である〈獣〉の咆哮が大きくなった。奇妙なことに、恐怖心が増すに連れて呼吸が楽になっていく。

 俺は立ち上がった。呼吸困難に陥る前になにか叫ぼうとしたはずだが、その言葉を思い出すことができない。

 しかたがないので、別の言葉を口にした。

「ヴァリ島部局の改革なんて……俺にできるわけないだろう」

『いや、できるとも。今の君は一介の審問官(リヴァイザー)に過ぎないが、〈我ら〉の指示通りに動けば、いずれはヴァリ島部局の局長になれる』

「おまえたちの傀儡になれというのか?」

『私たちの傀儡ではなく、〈我ら〉の傀儡だ。私たちの立場とおまえの立場に大きな違いはない。ここにいる者は皆、〈我ら〉の一員であると同時に〈我ら〉の傀儡でもある』

 そんな言葉を真に受けるほど俺もバカじゃない。

〈我ら〉は世界を一つにしようとしているが、その一つの世界に生きる者は二つに分けられるのだろう。〈我ら〉とそれ以外の者に。導く者と導かれる者に。支配者と被支配者に。

 いや、違う。三つだ。

 一つは、〈我ら〉。

 もう一つは、〈我ら〉に支配されていることに気付いていない人々。

 最後の一つは、〈我ら〉の存在を知りながらも、その支配を受け入れている人々。

〈我ら〉は俺を三つめの人種に貶めようとしている。

 いや、それも違うな。貶めるまでもない。俺はずっと前から三つめの人種になっている。ただ、仕える相手は〈我ら〉ではなく、ディミックだが……。

 俺の胸中を察したのか、〈我ら〉は今まで以上に優しい声を出した。

『きっと君は自覚しているはずだ。犬のような生き方しかできない人間であることを。しかし、犬にも飼い主を選ぶ権利はある。ディミックに付けられた首輪を外して、〈我ら〉に帰属しなさい。ディミックは君に悪事を強いていたが、〈我ら〉は違うよ。常に正しいことだけをさせる』

「正しいこと?」

『そう、正しいことだ』

 正しいこと――かつて、俺の行動を同じ言葉で評した女がいた。その時に感じた苦い思いが甦ってくる。

『さあ、レイス・シンガー。すべてを〈我ら〉に委ねなさい』

『そうすれば、苦衷から解放されるぞ』

『君はもうなにも考えなくていいんだ。やるべきことは〈我ら〉が教えてくれる』

『おまえはもうなにも悩まなくていいのだ。進むべき道は〈我ら〉が示してくれる』

『貴方はもうなにも恐れなくていいのよ。〈我ら〉の力の源である真導以外は……』

 心が揺れ始めた。

 今、俺の前には二つの選択肢がある。命じられるがままに悪を成す私兵として生き続けるか、操られるがままに善を成す人形になるか。後者を選べば、良心が救われる。その代わり、自尊心は死んでしまうが、それは前者を選んでも同じことだ。他者が吹く笛に踊らされるような生き方しかできないのなら、せめて正義の笛で踊りたい。

 しかし、〈我ら〉の目的は本当に正しいことなのだろうか?

 俺は想像してみた。〈我ら〉が作り上げようとしている世界を。一つにまとめられた世界を。誰もが同じ神を信じ、同じ価値観を持ち、同じ希望を抱き、同じ規範に従い、同じ未来に向かって生きる世界を……。

 なにかが間違っているような気がする。だが、それがなんなのか判らない。とても簡単なことなのに答えが見つからない。とても大事なことなのに思い出せない。

『まだ迷いを捨て切れないようだね。まあ、いいよ。返事は急がない。今日のところは戻りなさい』

「どこに戻れと言うんだ?」

『上だよ。言い忘れていたが、ここはアベンゼン教会の地下なんだ。出口は彼が教えてくれる』

 視界の隅でなにかが動いた。

 俺はそちらに目を向けた。

 姿見の中の男が消え去り、別の男が映し出された……ように見えたが、それは錯覚だった。実際は姿見が音も立てずにスライドし、その奥の隠し部屋から男が現れたのだ。

 口髭を生やした色黒の男。以前に会ったことがある。そう、劇場神殿と〈愛しのデライラ亭〉で。

「あんたは警鼓隊の――」

「――ガフです」

 男は名前を告げ、慇懃に一礼した。

 アンゲラが言っていた「タヴァナー市にいる別の蜘蛛」とは、こいつのことか。〈我ら〉の根は〈教団〉の外部にまで伸びているらしい。

『ガフ君はね』と、〈我ら〉が言った。『ホーホー・ホイをタヴァナー市から押送してきたんだよ。今頃、ホーホーは上で審問にかけられているはずだ。アレックス・ザ・ミディアムの代役として』

「代役? それじゃあ、アレックス……いや、アルシャオはどこにいる?」

『アレックス・ザ・ミディアムもこの教会にいる。奴の役割はディミックを始末することだ』

「副長を!?」

『君と同じようにディミックも恐怖を抱えて生きていた。その感情を大切にしていれば、〈我ら〉の一員になることもできただろう。しかし、醜い私欲が恐怖を上回った。更生の余地があると思って見逃していたが、もう限界だ。ディミックには退場してもらう』



 鏡の向こう側――ガフが待機していた場所は隠し部屋だと思っていたが、実際は隠し通路だった。いや、通路が隠されていたわけではなく、俺のいた場所が隠し部屋だったのだろう。

 通路の天井と壁は石造り。地面は剥き出しになっているが、石や砂利は取り除かれ、平らになるまで踏み固められている。そこを俺は裸足で歩いていた(〈我ら〉は僧衣を用意していたが、履物のことまでは失念していたらしい)。足の裏に突き刺さってくる冷気に耐えながら。心に棲む〈獣〉の叫びを聞きながら。

予言者(バックワーダー)たちの瞑走(めいそう)という修行をご存知ですか?」

 前方を行くガフが話しかけてきた。

「目を閉じて迷宮を後ろ向きに歩くという珍妙な修行です。この地下通路はそれをおこなうための場として作られたそうですよ。もっとも、一本道ですから、迷宮とは言えませんがね」

 ガフの姿が視界から消えた。角を曲がったのだ。この迷宮ならぬ迷宮に岐路はないが、曲がり角は無数にある。地図に起こせば、複雑な文様が出来上がることだろう。

 ガフが消えても、彼が掲げていた角灯の光はまだかろうじて見える。声も聞こえてくる。

「この教会を〈教団〉に明け渡す際に予言者たちは地下への入り口を塞ぎました。先人の〈我ら〉がそれを発見して、集会所の一つとして利用しているわけです」

 光と声を頼りにして俺も角を曲がった。またガフの背中が見えた。

「そういえば、エイシアが貴方のことを心配してましたよ」

 ガフが話題を変えた。

 エイシア――妙に懐かしい名前だ。彼女の顔を思い浮かべると、〈獣〉が少しだけおとなしくなった。

「まさかとは思うが、エイシアも〈我ら〉なのか?」

「いえ、彼女は無関係です。もちろん、小隊長もね。うちの小隊の中で〈我ら〉に属しているのは俺だけですよ」

「なぜ、あんたは〈我ら〉に加わった?」

「〈獣〉と共に生きるためです」

 ガフは立ち止まり、振り返った。

 俺も足を止めた。

 俺たちの視線は真っ向からぶつかったが、それは睨み合いではなかった。ガフの眼差しは温かい。聞き分けのない弟に優しく理を説いて聞かせる兄の眼差しだ。

「俺たちの中には〈獣〉がいます。そいつに立ち向かうのは不毛ですよ。気張れば負けることはないでしょうが、絶対に勝つこともできません。死ぬまで戦い続けるしかない。だったら、その〈獣〉を受け入れて共存したほうがいい」

「それと〈我ら〉になんの関係がある?」

「〈獣〉と共存する者を〈我ら〉は優しく迎え入れ、〈獣〉以外の負の感情を取り除いてくれるんです。〈我ら〉の言葉を思い出してください。なにも恐れなくていい――」

「――〈我ら〉の力の源である真導以外は」

 俺は反射的に後を引き取った。咄嗟のことだったので、自分が声を発したことにも気付かなかった。もしかしたら、本当に俺以外の誰かが発したのかもしれない。

 ガフが顔をほころばせた。醜悪な笑顔だ。優しい兄の眼差しは、同じ罪を背負う共犯者のそれに変わっている。こいつも三つめの人種なのだろう。

「〈我ら〉は俺たちの心に平穏をもたらしてくれます。〈我ら〉を信じ続ける限り、俺たちは安寧の日々を送れる。いつでも笑っていられる。きっと、人生の最期も笑顔で迎えることができますよ。それがどんなに無惨な最期であろうとね」

〈我ら〉の警鼓隊士は体を反転させ、また歩き始めた。

 俺はよろめくように足を踏み出した。言うべきことが見つからない。もっとも、見つけたところで相手には届かないだろう。ガフの魂は狂気に満たされている。

 いや、ガフだけじゃない。俺の魂も狂気に蝕まれつつある。〈我ら〉に加わることで得られるものに魅せられている。〈我ら〉に加わることで失われるものなど惜しくないと思い始めている。ここで行動を起こさなければ、心が完全に折れてしまうかもしれない。

 では、どのような「行動」を起こすべきか?

 ガフを……()るか……。

 奴の背中を睨みつける。相手は帯剣しており、こちらは無手だが、隙をついて剣を奪えば、なんとかなるかもしれない。末端の雑兵と思われるガフを殺したところで、〈我ら〉が大きなダメージを受けることはないだろう。それでも、その行為によって、抵抗の意思を示せる。〈我ら〉の一員になるという最低の(あるいは最高の?)選択肢を潰せる。

 距離を詰めるため、俺は歩く速度を速めようとした。

 その時、〈獣〉の咆哮がガフの先刻の言葉に変わった。

『きっと、人生の最期も笑顔で迎えることができますよ。それがどんなに無惨な最期であろうとね』

 そうだ。ガフは抵抗することなく、笑顔を浮かべて斬り殺されるかもしれない。〈我ら〉への信仰を見せつけて死ぬかもしれない。そんな死に様を目の当たりにしてしまったら、俺は……。

 燃え上がっていた殺意が消えた。

 狂気の侵食を止めることができぬまま、俺は歩き続けた。

 気が付くと、素足が石畳を踏んでいた。前方に石の階段がある。

「この階段は聖堂に繋がってます」

 ガフが階段の手前で立ち止まり、角灯を差し出した。ここから先は一人で行けということだろう。

 俺は角灯を受け取り、階段を上り始めた。アベンゼン教会の聖堂には何度となく来たことがあるが、地下に通じる階段が隠されていることは知らなかった。

 最上段に達したところで振り返った。ガフの姿はない。

 溜息をつき、正面に向き直った。

 壁の端にある小さな窪みに手をあてて力を込めると、重い擦過音をあげて壁が回転した。

 ガフの言ったとおり、そこは聖堂だった。開かれた壁/扉の前には祭壇があり、その向こう側には無数の長椅子に挟まれた通路が一直線に伸びている。

 そして、通路の中程にはアレックス・ザ・ミディアムが立っていた。


次回(最終回)は2015年10月31日頃に投稿予定。

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