第一場
局長からの贈り物/初めて見る光景/亡き旧友の言葉/ある感情/アレックス、来たる/副長は伝言ゲームにお怒りのようです/巨人と蛍/破局のシミュレーション
「副長……それは……」
シャンメイは息を呑んだ。
彼女を驚かせた「それ」はディミックの手の中にあった。おなじみの飴玉ではない。片端が僅かに湾曲した筒状の物体だ。
「ん? これのことかな?」
ディミックは筒を顔の前まで持ち上げた。
「見ての通り、短銃だよ。局長から拝領した物なんだ。副長に就任した時にね」
それは普通の銃ではなかった。側面に円盤が組み込まれ、中央に嘴のような突起がある。その突起に挟まれているのは火縄ではなく、真鍮色の石だ。
ディミックは銃口を壁に向けて、引き金を曳いた。
小気味良い音と共に火蓋がスライドし、円盤が回転し、嘴が倒れた。火蓋に隔たれていた円盤の縁と嘴の先端がぶつかり、小さな火花が散った。
硝煙の臭いに鼻腔を刺激されたような気がして、シャンメイは顔をしかめた。もちろん、錯覚だ。銃に弾薬は込められていなかった。
「局長が銃器を蒐集されていることは知っていましたが、副長が同じような趣味をお持ちだとは知りませんでした」
「いやいや」
ディミックは顔を左右に振った。その動きに合わせて、頬の肉が波打った。
「私は銃なんかに興味はないよ。しかし、局長からの頂き物を錆つかせておくわけにはいかないので、こうして定期的に手入れをしているんだ」
その言葉をシャンメイは信じることはできなかった。副長の秘書官を五年も務めてきたが、銃を手にしているところを見たのは今日が初めてだ。
「おもしろい形をしているだろう?」
彼女の疑惑の視線を好奇心のそれと受け取ったのか、ディミックは銃の解説を始めた。
「これは火縄を必要としない画期的な銃なんだ。ドロッセルラント人の職人が考案したホイールロックという機構を使っているんだよ。この手の発明に関してはドロッセルラント人の右に出る者はいないね。もしかしたら、先割れスプーンを発明したのも彼らかもしれないな」
「先割れスプーン?」
「うむ。あれこそが人類史上最高最大最良の発明品だよ。今は亡き旧友の受け売りだがね」
ディミックの顔に影が差した。今までに一度も見せたことのない感情を示す影だ。
シャンメイはその感情の正体を探ったが、明確な答えを得ることはできなかった。怒りや苛立ちのようにも思えるし、悲しみを含んでいるようにも感じられる。しかし、中核を成しているのは別のなにかだ。
ディミックは銃を机に置いた。
「ところで、用件はなにかね?」
シャンメイは感情の探究を中断して、数刻前に起きた出来事を簡潔に報告した。
「先程、617がこの教会に出頭してきました。アレックスの妹を自称する少女を伴っています」
「その『先程』というのは、どれくらい前のことかな?」
ディミックはそう尋ねたが、答えを求めていたわけではないらしく、シャンメイに口を開く暇を与えずに話を続けた。
「先程、局長の秘書官が書類を届けにきたのだが、そのついでに617が出頭してきたことを教えてくれたよ。『まだ御存知なかったんですか』という言葉を添えてね。ちなみにその『先程』というのは四半刻ほど前のことだ」
ディミックの顔に貼りついている影が濃くなった。
「本来なら、このような報告はもっと早い段階で私の耳に入らなくてはいけない。伝達系統を見直す必要がありそうだね」
「申し訳ありません」
「謝らなくてもいいよ。ユォ君が悪いわけじゃない」
ディミックもシャンメイも便宜的に617と呼んでいるが、ミルと共に出頭してきたのは617ではなく、616である。617が実は616だったこと、人相書きが別人のものだったこと、本物の617であるホーホーが警鼓隊に保護されていること――それらはレイスから報告済みだ。しかし、616の詳細は(本名がアルシャオであることも、グレイノーモアの住人であることも、肉親が警鼓隊にいることも)まだ伝わっていない。
「それで、617は今どうしているのかね?」
「アレックスの妹とともにダックワース主任が身柄を預かっています。ここには留置施設がありませんから、とりあえず宿坊の一室をあてがったそうです。お会いになりますか?」
「いや、やめておくよ。出頭者たちの監理はダックワース君に任せよう。ただし、シンガー君が戻るまでの繋ぎだがね」
「はい」
ディミックの手が振られたが、シャンメイは退室することを少し躊躇した。相手の顔に生じた影の正体を見極めたかったからだ。
一礼して背を向けるまでの間に、ここに居残るための口実を探したが、一つも見つからなかった。
しかし、そんなものを見つける必要はなくなった。ディミックの姿が視界から消えた途端、天啓が降り、影の正体が判ったのだ。
それは怒りや苛立ちではなく、悲しみでもなかった。
恐怖だ。
シャンメイが退室すると、ディミックはシュライキア王国の諺を呟いた。
「巨人の目から逃れたければ、その足元に身を隠せ、か……」
チャオ人の諺にも同じような意味のものがある。『蛍は夜目が利かない』だ。
今のディミックは足元に目が届かない巨人であり、闇夜を見通すことのできない蛍だった。アレックスが懐に飛び込んできたというのに、私兵が手元にいないので、なにもすることができないのだから。
生前のアレックスはウォルラスの正体を知らないが、今は知っているはずだ。そうでなければ、ディミックのいる教会を出頭先に選ぶわけがない。おそらく、このアベンゼン教会でウォルラスの人身売買について証言し、更にはウォルラスの正体がディミックであることも暴くつもりなのだろう。
いや、もっと直裁な手段を選ぶかもしれない。
ディミックはアレックスの立場になって、その「直裁な手段」を頭の中で思い描いてみた。宿坊から抜け出し、教会衛士たちの目をすり抜け、塔に潜入し、この部屋に来て、ディミックを仕留める。それはあまりにも無謀な行為だが……
「……アレックス・ザ・ミディアムならば、やってのけるかもしれない」
身を守るために持ち出したホイールロック式の銃をディミックは再び手に取った。
聖言を唱えながら、弾丸と装薬を込める。
その手は震えていた。
声も震えていた。




