第11話 罪悪感
ボウリング場を出ると、視界いっぱいに、私には眩しすぎる夕日が飛び込んできた。
黄昏色に染まる府中の街並みを、私たちは駅の方へと向かって並んで歩く。
ふと隣を歩く彼を見上げると、オレンジ色の西日に照らされたその横顔は、初めて会った時よりも幾分かマシな顔つきになっているように見えた。
張り詰めていた悲壮感が薄れ、彼本来の穏やかさが少しだけ戻ってきたような気がする。
「怪異さん、嫌いな食べ物はありますか?」
駅へと続く道を歩きながら、ふと彼がこちらを見て尋ねてきた。
「特にはないので、エスコートはお任せします。……お酒は飲めないので、それぐらいです」
私がそう答えると、彼は少しだけ困ったように、けれどどこか嬉しそうに苦笑いを浮かべた。
「そうですか。では、簡単に選ばせてもらいますね」
そう言って歩き出す彼。
私は、少しだけ軽くなったように見えるその背中に、静かについていくことにした。
彼がスマホを見ながら店を探し、やがて私たちが足を踏み入れたのは、駅前にあるチェーン店のお寿司屋さんだった。
「いらっしゃいませ!」
「二人です。テーブルで」
愛想の良い店員さんの声に、彼は慣れた様子でそう返し、私たちは奥のテーブル席へと案内された。
「お先にお飲み物はいかがですか?」
店員さんに尋ねられると、彼はメニューを見ることなく「生ビールを一つと、あとノンアルコールの瓶ビールを一つ」と注文した。
……お酒が飲めないって、そういう意味じゃなくて、単に未成年だからなんだけど。
私は内心で密かに戸惑った。
どうやら彼は、私の「飲めない」という言葉を「体質的に飲めない」と解釈したらしい。
年齢確認をされることもなく、すんなりとオーダーが通ってしまったことにも少し複雑な気分になったが、彼なりの心遣いは素直に受け取ることにした。
注文を取り終えた店員さんが去っていくのを見送ってから、私は彼に向き直る。
「慣れていますね。よく外食はするんですか?」
私がそう尋ねると、彼はおしぼりで手を拭きながら、ふっと目を細めた。
「美琴が生きていた頃は、よく二人でいろいろなお店を回ってたんですよ。……あいつ、お酒の席が好きな癖にすっごく弱くて、決まってノンアルコールビールを頼んでたんです。置いてない店だと意地張って本物のお酒を飲んで、すぐに潰れちゃって。介抱するのが毎回大変でした」
呆れたような言葉とは裏腹に。
その思い出を語る彼の横顔は、今日出会ったどの瞬間よりも、自然で楽しそうな笑顔に満ちていた。
やがて、店員さんが冷えた生ビールのジョッキと、ノンアルコールビールの小瓶、そしてグラスを運んできた。
「どうぞ」
彼は手慣れた様子で瓶を手に取ると、私のグラスにトクトクと琥珀色の液体を注いでくれた。
シュワシュワと細やかな泡が立ち上がり、グラスを満たしていく。
「では、今日はお疲れ様でした」
そう言って彼がジョッキを差し出してきたので、私も自分のグラスを軽くぶつけた。
「ええ、お疲れ様でした」
カチン、と心地よいガラスの音が響く。
そのままグラスに口をつけ、私はその琥珀色のものを軽くあおった。
……にがっ!
口の中に広がった想像以上の渋みに、私は思わずむせそうになった。
お酒って、こんなに苦いものなの?麦の変なエグみと炭酸が混ざり合って、舌がピリピリと痺れる。
なんで世の中の大人たちは、好き好んでこんなものを飲んでいるのだろうか。
顔をしかめそうになるのを必死に堪えながら対面を見ると、彼はジョッキの生ビールを喉を鳴らしながら、それはもう美味しそうに飲んでいた。
「ぷはっ……。やっぱり、ボウリングの後のビールは美味しいですね」
心底幸せそうに目を細める彼を見て、私は『ビール好き』という人種に内心で少しだけ引いてしまっていた。
「さて、何を食べますか?遠慮せずに好きなものを頼んでくださいね」
彼がタッチパネルをこちらに向けてくれる。私はビールの苦味から逃れるように、そして内心の動揺を隠すように、淡々と画面を操作した。
サーモン、たまご、そして炙りチーズサーモン。
送信ボタンを押した直後、パネルを覗き込んだ彼が、ふっと吹き出した。
「……なんですか」
「あ、いや……すみません。なんだか、意外だなって思いまして。怪異さんって大人びて見えますけど、選ぶネタは結構……子どもっぽいというか、可愛いなって」
「……カロリーが高くて、合理的なものを選んだだけです」
私は少しだけむっとして顔を逸らした。けれど、そんな私の不器用な強がりも、彼の警戒心を完全に解く手助けになったのだろう。
彼は声を上げて笑った。今日一番の、心からの笑い声だった。
やがて運ばれてきたお寿司を、私たちはぽつりぽつりと口に運んだ。
「……美味いな」
ふと、彼がマグロを咀嚼しながら、小さく呟いた。
「外食なんて、本当に久しぶりで。……ご飯を食べて『美味しい』って感じたのも、あの日以来、初めてかもしれません」
そう語る彼の瞳には、再び微かな陰りが差していた。
自分だけが生き残り、こうして美味しいものを食べてしまっていることに対する、拭いきれない罪悪感。
私はお茶を一口すすり、彼の目を真っ直ぐに見つめた。
「美味しいものを食べて『美味しい』と感じるのは、あなたが生きている証拠です」
「……生きている、証拠」
「はい。それに、美琴さんはあなたと一緒に美味しいものを食べるのが好きだったんですよね?なら、あなたが自分を罰して味気ない生活を送るより、美味しいご飯を食べて笑顔になることを、誰よりも喜んでくれるはずです」
私の言葉に、彼はゆっくりと目を伏せ、痛みを噛み締めるように小さく「……そうですね」と頷いた。
⋯⋯右手が熱くなるのを感じる。
「生きて、美味しいものを食べる。……その当たり前のことを、どうか、ご自身に許してあげてください」
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
もし少しでも「面白い」「続きが気になる」「この先の展開に期待したい!」と思っていただけましたら、
ページ下部にある【ブックマーク】や、【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、毎日の執筆の大きな励みになります!
これからもよろしくお願いいたします!
R・D




