1話
夜の街をひらりと人影が舞うように屋根から屋根へと渡っていく。
マントを靡かせ、白い仮面を付けた男は慣れた様子でとある屋敷に忍び込む。屋敷の者達は寝静まり、警備の者もいるが、男には関係がないとでも言うように、迷いなく目的の場所に辿り着いた。
部屋の前には騎士が立っている。男はそっと近寄ると、素早く騎士を気絶させた。
ドアの鍵を開け、中に入ると様々な宝石が保管されていた。
男はその中の一つ、ケースに入った赤いルビーのネックレスを手に取ると、素早く部屋を出て行った。
男が去った後には、一枚のカードが残されていた。
『I'll take it back』
*
公爵令嬢であるセレステは、子供の頃から感情を顔に出してはいけない、相手に付け入る隙を作ってはいけないと、厳しく育てられた。
年頃になった頃には、銀髪に少し吊り上がった瞳、人形のように整った美しい顔——その容姿も相まって、冷徹、氷の令嬢と呼ばれるようになっていた。
中には誘いを断られたことでセレステを逆恨みし、彼女がどんなに冷たかったかを語って聞かせる者もいた。
「今日も、噂を聞いて皆遠巻きに見てくるだけだったわね。もう、本当かどうか確かめてくる人もいない……」
セレステには婚約者がいる。ゲリング侯爵家の次男、ユース。
同じ学園に通っているにもかかわらず、最近は向こうから殆ど話しかけてこなくなった。
原因は薄々分かっている。
近頃、懇意にしている男爵家の令嬢がいるようなのだ。
セレステは何度か遭遇した際に、距離が近いのではないかと咎めた。けれどその度にユースは同じ言葉を繰り返すばかりだった。
「アイリーンとはそんな仲ではない。彼女が怯えている。君の言い方は冷たい。誰とでも仲良くなれる彼女の明るさを見習うべきだ」
確かに、婚約者が懇意にしている男爵令嬢は可愛らしく、話しかければ笑顔で答え、気軽に身を寄せ、腕に触れてくる。今まで女性と親しくすることのなかった免疫のない貴族の息子達には、さぞ魅力的に映るだろう。面白いように彼女に落ちていった。
セレステの婚約者であるユースも、その一人だ。
男爵家の娘で後継でもない彼女は、いずれ何処かへ嫁ぐか働くかしなくてはならない。彼女なりに目ぼしい男性にアプローチしているのだろうが——
「彼女が明るく、可愛らしいのは認めるけど……誰とでも仲良くね……彼、気づいているのかしらね」
夜、セレステは自室の窓辺の椅子に座ると、夜空に浮かぶ月をぼんやりと眺めた。
*
朝の支度中に、侍女がセレステに最近の噂を聞かせてくれる。
「セレステ様、月夜の怪盗のお話、もうお聞きになられましたか?」
「月夜の怪盗? いいえ……」
セレステに世間話をしてくれる友達は学園にはいない。
いつもは大した興味も湧かない噂話。今日は何となく聞いてみる気になった。
「どんな話なのかしら」
「それはですね、月が出る夜に怪盗が現れて、大事な宝を盗むんだそうですよ! 毎回高価な宝石などが狙われるらしくて、警備も厳しくしているそうなんですが、その警備にあたった者も倒されて、盗まれているそうです!」
「それは、物騒な話ね」
「そうなんですよ! 貴族の屋敷や大きな商人などが狙われているらしくて。私達も怖くて、早く捕まって欲しいですよね!」
侍女の話を聞いて、一瞬——どうせならうちの屋敷に来て全部持って行ってくれれば良いのに、なんて思ってしまう。
昔は、期待に応える為に頑張っていた。お父様の「よくやった」、お母様の「頑張りましたね」、この一言を聞きたくて。
今はもう、わからない。周りに『冷たい』と、『悪役令嬢』と言われてまで耐える価値があるのか……
「セレステ様、馬車の準備が整いました」
いつも通りに、学園へと向かった。
*
セレステが学園の食堂で昼食をとっている時に、それは起こった。
「セレステ」
顔を上げると、ユースがいた。何だか怒っているようだ。
「ユース様、どうされましたか?」
「アイリーンに酷い事を言ったそうだな」
「何のことでしょう?」
「しらを切るのか」
セレステには本当に心当たりがなかった。なにせ今日はアイリーンとは会っていないのだから。
「今日はお会いしていませんが?」
「フンッ! 今日アイリーンが泣きながら訴えてきたんだ! お前からキツい言葉をかけられた、男爵令嬢の癖に身の程を弁えろと言われたとな!」
「……」
「冷徹な令嬢といえども、アイリーンの可愛さと俺との仲に嫉妬したのだろう!」
今のユースに何を言っても無駄だろう。
セレステはため息を吐きながら、席を立つ。
「ユース様、私がそのような事を言ったという証拠はございますか?」
「言われた本人が泣きながら言ってきたのだから、間違いないだろう!」
「そうですか……食事も終わりましたし、失礼します」
「待て! アイリーンに謝罪するんだろうな!」
「何故?」
セレステがいつにも増して凛とした眼差しをユースへ向けると、ユースは一瞬怯んだように一歩後ずさった。
「言ってもいないことを何故謝らなければならないのですか? ……お話は以上のようなので、失礼します」
「な……!」
後ろからユースが何か言っていたようだが、セレステはさっさと食堂を後にした。
食堂を出ると、廊下の窓から差し込む午後の光が眩しかった。
周囲の生徒達が目を逸らすのが、視界の端に映る。きっと今の遣り取りも、明日には尾ひれがついて広まるのだろう。
——もう、慣れた。
セレステは真っ直ぐ前を向いたまま、教室へ戻った。
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