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 一同に緊張が走る。

 ガジェスの低いつぶやきが漏れた。


「だとしたら、どうする?」

「賞金は俺のものだ‼」


 叫ぶやいなや、一人の兵士が構えた長剣を振り上げる。刹那、一気に間合いをつめたガジェスの白刃がきらめいた。

 兵士の剣がガジェスの上へ振り下ろされるその前に、鎧の肩から胸にかけてが真っ二つに割られていた。その場にどさりと音を立て、遅れて血しぶきを上げる体躯が無残な形で崩れ落ちる。


「一斉にかかれ!」


 隊長が大声で命じた。一撃で仲間を切られた兵は、うなり声を上げながら二人に向かって襲いかかった。

 ガジェスの剣が宙を舞った。鈍色の光がその場に沈み、一瞬の間に浮き上がる。冷たい剣風が吹いた後、血の色をした霧がかかって兵士が続けざまにくずれ落ちた。驚愕に目を見開いた兵士がそのままどうと床に倒れる。

 すぐ目の前で見せつけられたガジェスのすさまじい剣の冴えに、居並ぶ者達はあっけに取られた。獲物であるはずだった者に言い知れない戦慄を覚え、残った狩人が体をすくませる。

 が、しかし。

 ガジェスは苦しげに息を吐き、そのまま床に片膝を着いた。傷の腐敗が毒に変化し、ついに自由を奪ったのだ。


「ガジェス!!」


 かけよるサラの悲痛な叫びに得たりやと隊長は前へ出た。傲然たる自信を取りもどし、部下たちの前で壮語する。


「ナイーダ様。さあ、観念してイーディーン様のもとに参りましょう。それともこの下賎な男とともに、露の命を散らすのをお望みか? あなた様のような高貴な方をこの手にかけるのは忍びませぬが、都で豪奢な処刑台を用意する手間も省けましょう。さあ、どちらをお選びになる?」

「下がりなさい!」


 凛としたサラの返答に、威圧を武器に猫なで声で近寄りつつあった隊長の顔が鼻白む。

 サラはすっくとその場に立つと、王女らしい毅然たる態度で目の前のならず者を叱咤した。


「この私のみならず、何の罪もない市井の人々に無体な振る舞いを向けた上、あまつさえその命を奪おうとするなど、断じて許しません!」

「ほう」


 隊長は唇の端をつり上げ、陰惨な笑いを見せた。


「それでは、どうあっても私どもと、都に来ては下さらぬと……?」


 冷たい殺気が兵士達に流れた。ゆっくりと、だが確実に二人を囲む狩人達の包囲の輪が縮まって行く。

 その時。


「伏せろ、サラ‼」


 聞きなれた声音とともに爆煙草の粉が飛び散った。とっさにサラは床に伏せると、前掛けで脇にうずくまる苦しげなガジェスの口をおおった。

 何が起こったかわからないまま、たまらずせき込む兵士達の背後で、ヨキナンの怒声が響いた。


「しびれ花の香も加えてある、しばらくは動けんはずだ! ガジェス、ここまで来て女の一人も守り切れんのか! 最後の力を振りしぼれ!!」

「先生!」


 身を起こしかけたサラの背中を、たくましい腕がぐいと押さえた。優しくサラをいましめる。


「香にやられる……伏せたままでいろ」

「ガジェス、大丈夫なの!?」


 愛するもののおのれを案じる必死さをおびた問いかけに、ガジェスは激しい苦痛の中にも陶酔に似た表情を浮かべた。ゆっくりとその場に立ち上がる。


「ああまで言われてはな……。だが、その通りだ」


 杖の代わりに立てた長剣が、ゆらりと宙に浮き上がった。


「体勢を整えろ!」


 やみくもにそうわめいた声は部下の耳には届かなかった。白刃のひらめきと金属音がまかれた粉の間をぬい、相手を確実に仕留めていく。

 だが叫び声を上げたのは、彼の恋人の方だった。


「タリアナを離しなさい!」


 悲鳴にも似たサラの叫びにガジェスは剣の手を止めた。鋭い切っ先を敵に向け、油断なく相手との間合いを測る。


「この女を殺してもいいのか!?」


 苦しまぎれに隊長がつかんだものは、今やぐったりとその身を折って、短剣の前に白いうなじをさらすままにしたタリアナだった。


「剣を置け! でなければこの女にとどめを刺す‼」


 なりふり構わぬ隊長の言に、ガジェスは小さく吐息を漏らした。持っていた剣を投げ捨てると、隊長の顔が狂喜に染まる。

 張りつめる緊張感の中、かすかに響いた女のつぶやきに、その場のものが息を飲んだ。


「……いいんだよ……あたしのことは……」


 床へと頭を落として続ける。感情のない細い響き。


「あんた……サラ……王女様だったんだね。やっぱりあんたは何か違うと思ってたよ……」


 サラは両膝をついたまま、顔の見えないタリアナに叫んだ。


「だめよ、タリアナ! じっとしていて、傷が開くわ!」


 うつむいたままの黒い頭から、笑いを含んだ言葉が続く。


「はやり病で死にかけていたあたしを看病してくれた。熱で両目が見えなくなっても、あんたは何もできないあたしを一人訪ねて来てくれた。……あんたに助けられた命さ、あんたに返せれば本望だよ」


 のろのろと、死人がよみがえるごとくにタリアナの体が起き上がる。その異様さに凍りついた暴漢が、突きつけた短剣で貫く間もなく──

 タリアナは自らをぶつけるように、鋭い切っ先で喉を突いた。おびただしい鮮血の流れが泥に汚れた床を飾る。

 一度だけ白い顔を上げ、見えないサラの方に向かって祝福の微笑みを与える。


「どうか、ガジェスと、しあわせに……サラ」


 息と同時にそれだけ伝え、タリアナは静かにこときれた。


「タリアナ──ッッ‼」


 サラの絶叫が響き渡る。

 深く落としたガジェスの腰で、短剣が鞘鳴りの音を立てた。次の瞬間、棒立ちになった隊長の首に短剣の刃が突き刺さった。根元まで深く打ち込まれた刃に、喉が血の色の花を咲かせた。


「……早く逃げろ。すぐに次の追っ手が来る」


 築かれた死体の山を避けつつ、恩人である老医師が二人のもとへと近づいて来た。


「何をしている、ぐずぐずするな」


 その厳しい声色に、サラは寄り添う満身創痍の恋人の表情を見上げた。限界に限界を重ねた彼の顔色はもはや土気色に近い。


「でも、先生……」


 サラがそう言いかけると、ヨキナンは手の中のものを掲げた。


「これを持って行け。ルールトの水だ」


 その筋ばった手に握られた、小瓶に入った虹色の液体にサラの瞳が見開かれた。それはフージェンの都でも滅多に目にすることのない、高価な万能薬だった。


「これでしばらくはもつはずだ。だが、森へ逃げたらすぐにその右腕は切り落とせ。道具はこの中に入っている。できるな?」


 手籠を渡され、泣き出しそうに表情をゆがめた愛弟子に、ヨキナンはほがらかに笑って続けた。


「うすうす知ってはいたよ。娘と若い傭兵の奇妙な二人連れを助けた時から、こうなることはわかっていた」


 ヨキナンは優しく目を細め、どこか懐かしむように二人を眺めた。


「一年前、お前達二人が森へと足を運ばなかったら、とうにこの町はなくなっていた。町を見捨てた者達に一矢報いるのも一興だ。──さ、行きなさい。この時のためにあんたの父上が渡してくれたものだろう?」


 老医師のしわだらけの手の中から銀色の鍵を渡される。サラの瞳から涙がこぼれた。

 ヨキナンは、サラの隣に立つ男に厳しいまなざしを向けて言った。


「ガジェス、利き腕をなくしてもサラを守り切る自信はあるな? 一度なくした恋人だ、もう二度と泣かせるんじゃないぞ」


 ヨキナンにそう叱咤され、傭兵は毒に自らの意識を奪われながらも微笑んだ。


「分かった。約束する」


 その言葉にうなずいた後、ヨキナンは二人に出口を示した。


「──さあ、行け。森への入り口は、二度と出入りができないように完全に土でうずめておく。……あんた達二人が逃げ延びて、幸せに暮らすことを祈っているよ」


 ヨキナンの声に見送られ、二人はその場を後にした。戸外にはまだしめったフージの衣が広がる。

 関わり合いを恐れてか、この騒動の間にも顔を出すものはいなかった。

 しかし、サラは知っていた。町の誰かが決して家から出ることのないタリアナに、自らの危険をおかしてまで追っ手の存在を伝えたことを。そしてまた、薬棚になかったはずのヨキナンが放った爆煙草も、この町の人間の手によってひそかに用意されたことを。サラの胸中に見知った顔がいくつも浮かび、そして消えた。

 診療所の裏手に回り、サラは迷わず枯れ井戸の脇に置かれた大石へ手をかけた。それは何でできているのか、大して力を込めてもいないのにすぐに転がって地面を見せた。出て来たヨキナンが急いだらしく、乱雑に草が重なった下に金属性の扉があった。

 サラが扉を開こうとした時、背後でそれを見守っていたガジェスがぽつりとつぶやいた。


「本当にこれでいいのか? フージェンのサイード二世の娘、ナイーダ王女とあらば、他国に逃げのびさえすれば助けてくれるところがあるはずだ」


 ガジェスの低い問いかけに、サラはゆっくりと振り向いた。その顔に満面の笑みを浮かべて、ガジェスの表情に言葉を返す。


「ナイーダ王女は死んだのよ。あの日、宮殿で暴漢となった兵士達に襲われた時、かばってくれた侍女と一緒に。──あなたが助けてくれた時から私はサラになったのよ」

「……そうか」


 ガジェスはそれだけ答えると、決意に満ちた顔を上げ、自分達の行く先を見すえた。サラは金属の扉を開き、ヨキナンに渡された手籠を抱え、脇にいるガジェスの腕を支えた。

 そして二人は見つめあい、新たなる世界へ旅立った。


     *


 その後、王女をかくまっていた裏街道の小さな町は、時の執政者に罪を問われて全ての家屋を打ち壊された。

 一年前、病で亡くなった幾多の犠牲者達に加え、今回の厳しい処遇のために顔忘れの町は消滅した。

 町から逃げた二人には、怒りに震える緋色の王によりさらなる懸賞金がかけられた。しかし足取りはそれきり途絶え、捜索の網にかかることはなかった。


『王女は他国へ逃れる前に、すでにその生涯を終えた』

『身分を隠して追っ手を逃れ、いまだ都に潜伏している』


 まるで口承の伝説のごとくに噂だけが一人歩きして、市井の人々の口の端に上った。だが、噂自体もいつしか風化し、薄幸だった王女の名前は時の流れに消え失せた。

 二人の行方は、誰も知らない。

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