第二十六話~紅の獣達~
「はあ……はあ……!」
チセは逃げていた。頭から血を流しながら、必死に。
後ろを振り向けば、誰も追っている者はいないが、足は止めない。
だが、チセの足にも限界がある。
一度、茂みに身を潜め、呼吸を整える。
(な、なんだったのあの人達は……)
今思い出しても、身の毛が立つ。
最初は、誘拐犯だと思っていた。前から、王都では、若い女性が誘拐されるということは当然知っていた。だが、その風貌が普通じゃなかった。
最初襲われた時は、一瞬だったからよく見ていなかった。しかし、気がつくとその誘拐犯の姿をしっかりと見てしまった。
もじゃもじゃとした紅の長い髪の毛に、紅の瞳、紅の肌。
そして……獣のような顔つきと、牙に爪。
なんとか隙をついて逃げ出したが、攻撃を回避する時、派手に転んでしまったうえにリボンをなくしてしまった。
(……意識が……朦朧と……)
頭を強く打ちつけてしまったうえに相当血を流してしまった。
そのせいで、意識が朦朧してきたが、なんとか意識を保とうとする。このまま意識を失ってしまえば、またあの紅の獣に連れて行かれてしまう。
「きた……!」
何かが近づいてくる気配を感じて、茂みから様子を窺うと、チセを誘拐した紅の獣が一体周囲を見渡しているのが見えた。
今見ても身の毛が立つ。
あんな生物見たことがない。ここが【耀紅の獣】だということから、この森に住み着いている生物かもしれない。
(もしかしたら、あの獣が森に入った人達を……)
どうする? 武器はどこかに落としてしまった。魔法だって、どれほど通じるか。そもそも、この朦朧とする意識の中で、まともに戦えるとは思えない。
もう立つのだって、精一杯だ。
ここで見つかった確実に連れて行かれるか、その場で……殺されるかもしれない。
「逃げ、ないと……」
まだ紅の獣を気づいていない。今のうちにこっそりと逃げれば。
ぱきっ!
「あっ!?」
意識が朦朧とし、視界も狭くなっていたせいで、足下にある枝に気づかず、踏んでしまった。
その僅かな音に、紅の獣は気づきチセを睨みつけた。
(だめ、気づかれちゃった……! 早く逃げないと……!!)
なんとか逃げるために、立ち上がろうとするが、足が縺れて転んでしまう。
その間に紅の獣が、どんどん近づいてくる。
ぐるるると唸りを上げ、鋭利な牙を剥き出しにしている。もうだめだ。逃げれない。
(誰か……助けて……!!)
「チセー!!!」
「ガッ!?」
「え?」
聞き慣れた叫び声がしたと思いきや、紅の獣が吹き飛ばされた。
ハッと顔を上げると、目の前には二つの背中が視界に入った。
「お待たせしました! チセ!! あなたの幼馴染が助けに来ましたよ!!」
ひとつは、家族と同じぐらい付き合い長い幼馴染パルノ。
「大丈夫だった? 今、手当てするからね」
もうひとつは、通っている学園ですぐ仲良くなったキュレ。
タオルと包帯を取り出し、チセの怪我を治療している。
「なんで、ここに……?」
「チセが誘拐されたって聞いて、助けに来たんですよ。ほら、そこに居るクロード先生達と」
「クロード、先生……?」
薄れ行く意識の中、チセが最後に目にしたのは、メガネのズレを直し、安心させるかのように微笑むクロードの姿だった。
・・・・・
「キュレ、チセの治療をそのまま続行。シィ、レイカ、パルノは警護を。僕は……あの見た事のない生物の相手をする」
なんとかチセを発見したクロード達は、チセを襲うとしていた謎の生物を睨む。
全身が紅で、二足歩行で立つ獣。
ここ十年で、世界中の生物が乗っている図鑑や旅で訪れる者達から話しを聞いているクロードでさえ、あんな全身が紅色をした生物は見たことがない。
「師匠、私も」
「だめだ。今は、僕の言うことを聞くんだ」
「……はい」
「シィ。まだ他にもああいうのが居るかもしれないわ。怪我人を護らなくちゃ」
大人しく引き下がってくれたシィに、クロードはぽんっと頭に手を置く。
「頼りにしてるよ、一番弟子」
「お任せあれ!」
そして、クロードは再び紅の獣を睨み、懐に手を突っ込む。
「そこの獣! 言葉は通じるか!!」
まずは話しかける。明らかに本能のままに動いていそうな姿だが、もしもという可能性だってある。目の前に居る獣が、王都まで訪れ人を誘拐するほどの知能があるのならば……。
「グルルルッ!!」
「言葉は、わからないか」
だが、こちらを睨みながら唸るだけで喋ろうとしない。それとも不意打ちをくらい、怒りを覚えて理性を失っているだけか。
どちらにしろ。このまま逃がしてくれそうな雰囲気ではないだろう。
「さあ、どこからでもかかってこい」
懐から取り出したのは、授業でも使ったことがある【万能工具】だ。
明らかに、戦闘向けではない。
シィ達は大丈夫なのか? と不安になるが。
「グラアアアッ!!!」
「術式解放。第一武工具展開」
魔力を練り上げ、呪文を詠唱。
刹那。
掌サイズぐらいの棒から、一メートルほどの片刃が展開。
「はあ!!」
「ガアッ!?」
熱を帯びた刃が、跳びかかってきた紅の獣を切り裂いた。
「【加工刃―超熱―】」
「あれって普通の【加工刃】だよね」
「はい。結構長めですが。おそらく【魔刃剣】と同じように、クロード先生が作ったもの、だと思いますので、なにかもっと特殊な機能が!」
期待が高まる中、クロードは刃を怪我を負った紅の獣へと向ける。
「お前は、誘拐犯か? もしそうなら誘拐した人達の居場所は?」
「ぐ、グルル……!!」
血が流れ、少しは冷静になったかと思いもう一度問いかけるが、それでも言葉を発しない。やはり、言葉も発せないただの獣。
誘拐犯ではないということか? 誘拐犯は他に居て、目の前の紅の獣はただの捕食者。
(だとすると、他にも居るはずだ。こいつを早く倒して、森の探索に―――気配!?)
紅の獣を倒し、森の探索を続けようと考えていると、急接近してくる気配を感じた。
その気配はシィ達の方へと近づいている。
視線を配ると、シィ達も接近してくる気配に気づいていたようだ。
「というわけで」
視線を外しているうちに、襲い掛かってきた紅の獣を切り裂く。
と、同時にシィ達にもう一体の紅の獣が木の上から跳びかかってきたが。
「先制!」
パルノがいち早く矢を打ち出し、怯んだところで、シィとレイカが一斉に切り裂いた。
「むっ」
致命傷にはならなかったようで、後から来た紅の獣は再び森の中へと逃げていこうとする。
「逃がしませんよ!!」
「待った!!」
「ほにゃっ!?」
パルノが【魔縮弓】を構えるが、クロードが声を張り上げて止める。
逃げる紅の獣目掛けて、圧縮された矢を放とうとしたが、クロードの声に驚きまったく的外れな場所を貫いた。
「く、クロード先生! どうして止めるんですか!?」
「シィ、レイカ。匂いで追えるかな?」
「なるほど。あの獣達の住処を突き止めるってことですね」
「うん。ただ手負いの獣は警戒心が強い。気づかれないように距離を開けて、追跡をしよう。それと」
追跡する前に、クロードはすでに命がない最初の紅の獣から血と皮膚の一部を採取した。それが入った瓶を懐にへと仕舞う。
謎多き生物だ。もしかすれば、新しい発見があるかもしれない。そのための採取だ。
「よし。見失う前に、追いかけよう!」
最後に、チセをクロードが背負い、手負いの獣を追いかけた。




