被害者
「ふぅ、いい湯じゃった。リヒト、何か変なことは起こらんかったか?」
「うん……多分」
「多分?」
ベルンの用意した浴衣を雑にまとい、アリアは髪を濡らしたまま隠し扉から戻って来る。
後ろがバタバタとしているところを見ると、ベルンを置いてきているのだろう。
ベルンに前を歩かせないという意味では、アリアの優しさが微かに感じられた。
「多分ってどういうことなのじゃ?」
「さっき、一瞬だけ気を失ったんだよ。敵の気配があったってわけじゃないから、結局よく分からなかったんだけど」
「……やっぱり疲れておるのではないか? 肉体は治せても精神は治せんのじゃから、早めに言うのじゃぞ」
アリアはリヒトの近くに寄り、リヒトの顔色を確認する。
人間の症状などに詳しいというわけではないが、とりあえず心配はなさそうな顔色だ。
アリア自身も、リヒトを酷使し過ぎているのは理解しているため、いつもより少しだけ丁寧に接していた。
「しかし、急に倒れるとは心配じゃな。何か病気にかかってしまったのではないか?」
「そんな病気は聞いた事がないぞ……?」
「もし死んだら、病気なんかはリセットされるんじゃったよな?」
「まぁ一応」
「よし、歯を食いしばれ」
「なんでだよ」
グッと握った拳を、リヒトは慌てて両手で包む。
アリアの手は、簡単に包み込めるほど小さい。
それでも攻撃するとなったら、何よりも信頼できる武器だ。
病気が治るとしても、その拳だけは食らいたくない。
心配しているが故の行動であるのは分かっているが、それを受け取れるほどの勇気はなかった。
「お待たせしました――あれ? どうなされたのですか?」
「リヒトを楽にしてやろうと思ってな。断られてしまったが」
「受け入れるわけがないだろ」
「……? あまり状況が分かりませんけど、何かあったわけではないのですね」
どさりとベッドの上に座るアリアに、尻尾の最終手入れを行うベルン。
命を狙われているという緊張も、やっとほぐれてきたようだ。
普段はしまっている耳を出したところを見ると、かなりリラックスしていることが分かる。
虎の威を借る狐という言葉が、ピッタリの状態だった。
「……ん? おい、窓が開きかけておるぞ。できれば閉めてほしいのじゃ」
「え? あ、ほんとだ」
皮膚に当たった風か、それとも『空間掌握』の影響か。
アリアは、開きかけている窓にピクリと反応する。
その窓が開いている状態では、もし寝込みを襲われた時に『空間掌握』の能力が確実に使えない。
人間程度に使うまでもないという思いもあるが、ベルンのためにも念には念を入れておきたかった。
「……この窓、ちょっと古いのかもな。丁寧にやらないと、完璧に閉じられない」
「そうかもしれませんね。人間たちは、かなり前からこの城を使っていたようですし」
そう言って、リヒトは開きかけの窓をしっかりと閉じる。
これで、いつでもアリアは能力を使用可能だ。
暗殺者が現れたとしても、一撃でアリアを殺すことができなければ、それだけで決着はついてしまう。
リヒトが気を使うのも無理はない。
「それじゃあ、儂はもう寝る……ぐー」
「はやっ」
「……私たちも寝ましょうか。このベッドは大きいので、三人なら何とか大丈夫だと思います」
「いや、俺はそこのソファーで――」
「何を言っているんですか。体がバキバキになりますよ――ひっ!?」
ベルンがベッドの中心に座った途端。
寝相の悪いアリアによって、尻尾が無理矢理枕にされてしまった。
魔王の怪力は睡眠中でも健在であり、力で押しのけることはできない。
あのベッドで眠るとしたら、それなりの覚悟が必要だ。
そして、その覚悟がリヒトに存在するはずもない。
ベルンがアリアに気を取られている隙に、リヒトは部屋の電気を消して自分のソファーを確保することになった。
それから数分ごとに。
ベルンの悲鳴にも似た声が聞こえてくるのはまた別のお話。
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