2の7
日の出が、閉じた瞼を焼き貫く。
引きずり起こされた意識が、錬を立ち上がらせる。
長時間、硬い板で過ごした腰に、鋭い痛みが奔る。
身を起こしたベンチの周囲には、ただ、広大な静寂が広がっていた。
錬は独りだった。
後頭部を殴られたように鈍痛が響く。
意識を覚醒させるために、水場に足を向ける。
蛇口をひねり、手に水が触れる。
「冷たッ!」
氷のように冷たい水が錬の熱を奪い、上擦った声が出る。
凍える手で顔を洗い、目が覚める。
公園の時計は五時を指し示していた。
――なんでここにいるんだったか。
目が覚めたことで、思考が鮮明になる。
記憶が曖昧だった。
カルミアはどうなった? なぜ、今ここにいる?
細い糸を手繰り寄せるように、記憶を辿る。
だが、その瞬間、頭の内側から響く鈍痛に、こめかみを抑える。
何も思い出せなかった。全てが幻覚だったかのように欠如していた。
公園自体に見覚えはあった。工事現場から遠く離れた場所だ。
だが、錬の家からは近かった。
ベンチの上に置かれた学ランを手にする。
その下に、紙が置かれていた。
『休まないように』
暖かい気づかいでもない、冷徹な一言は錬を日常へと回帰させる。
錬は、それでも日常に帰るしかないのだ。
*
実践能力部は部員は五名に対し、能演の出場枠は四名。
八月の決戦が音もなく迫っていた。残り二カ月。
その猶予が、部室の空気を研ぎ澄ましていた。
部室にいるのは、錬に蒼空。そして、紫の髪をかき上げ、息を細く吐く――墜権。短く切りそろえられた、肩の上で揺れる黒髪に、スマホに視線を落とす紅一点――律。
部員四人が椅子に座り、燠を待っていた。
掌の上に乗せた紙切れの筆跡を目で追う。
――だれが、これを残したのだろう。
考えても、思い当たる人物は一人――燠しかいない。
――もしも、燠ではなかったら。
それでも、疑問が残るため断定できずにいた。
そいつなら、カルミアの正体を知っているはずだ。
既に、錬が憶えているカルミアの記憶は、殆どが欠如していた。
「――一年!」
鼓膜を揺らす大声に顔を上げる。隣の蒼空と錬の前に墜権が立っていた。
むき出しの敵意が込められた、品定めをするような鋭い視線が錬を這う。
「いてっ」
だが、その視線がすぐに錬から外される。
大声に反応したのは錬だけではない。大声に律が墜権の脚を蹴る。
墜権は、燠と話しているところはみたことはある。だが、直接の対話は初めてだった。
「たく……。自己紹介してなかったな。墜権だ」
先程より声量を抑えた声に、歯を剥きだして笑いながら、墜権が自分自身を指さす。
唐突な名乗りに、錬は狼狽える。
「俺は錬です」
「倭那 蒼空です」
『よろしく、おねがいします』
二人同時に墜権に頭を下げる。
それを満足そうに頷くと、振り返り、スマホを弄り続ける律に鋭い視線を向けた。
「律! お前も挨拶」
「……」
だが、その言葉を無視し、墜権から顔を背ける。
体勢を変えた律のスマホ画面が、錬の目に入る。
そこに映っていたのは有名な戦争の戦略ゲームだった。
「おい! 燠先輩から言われただろ?」
「……」
それでも、近づき、律の視界に墜権は入り続けた。
「無理にさせるべきじゃ……」
蒼空が、腰を浮かせ墜権に言う。
だが、墜権は右手でそれを制する。
「悪い。こいつ人見知りなんだ。律?」
「……」
「律」
「……」
「律!」
段々と苛立たし気になる大声に、律が長嘆息を吐く。
「漣」
短い髪を揺らし、錬達に顔を向け呟く。
「苗字だけかよ? おい、名前は?」
「あんたが、さっきからずっと叫んでるんでしょ!」
律が肘で墜権の腹を突く。
その突きに呻き、腹を抑える。
「静かに」
扉の開く音と共に燠の声が部屋に響く。
「待ってました!」
墜権が歓喜の声を上げる。
「始めようか」
室内でも帽子を外さず、被り続けていた。
立てかけられた椅子で、全員を見渡せる場所に座る。
だが、墜権だけがその隣に椅子を持ってくる。
「君らはいいとして、二人は能演のルールはしってる?」
「まあ、ざっくりとしか」「僕もざっくりとしか」
錬と蒼空に問う燠に、頷きながら返す。
「じゃあ、先に説明が必要そうだね」
燠が規則の説明をする。重圧に満ちた、長く短い十分間の攻城戦。運に左右される守と攻の役割。
そして、四つの役割。
一、魁――機動力、瞬間火力で要塞を破壊する、戦いの先陣。
二、堅牢――冷静な判断と圧倒的耐久力で、自陣の要を死守する要塞。
三、遊撃――地形全体を動き回り、相手を翻弄する孤独の暗殺者。
四、巨魁――全体の戦況を掌握し、戦いの幕を下ろす司令塔。
「一番負担がかかるのが魁と堅牢の二人だ」
説明を終えた燠が、指を二本立てる。
「俺のチームが守りの場合、魁は遊撃に転換する必要がある。それと同じように攻めだったら堅牢は魁と共に最前線へ向かわなければならない」
燠が椅子に、深く座り直す。
「一番目はいい。次の相手が問題だ。相手は去年の優勝校だ」
「しってるぜ! 金蓮校の試合は熱かった!」
興奮気味に墜権が声を荒らげる。
「勝てるんですか?」
錬が問うた。
「勝てるよ」
その問いに事もなげに燠は答えた。
「さすが!」
「錬くん、期待してるよ」
錬に視線を向けた燠が、微笑む。
「俺も、期待してるよ、後輩」
笑いながら墜権が同調するが、目が笑っていない。
「それじゃ、会議を始めようか」
燠が話を戻す。
律がスマホを弄る手をとめ、初めて視線を上にあげた。
「蒼空、これって何のはなしあい?」
話を聞いていなかった。何を話すか、全く知らない錬は耳打ちをする。
「作戦だよ。誰が何の役割をするかとか、そういうの」
「お前必要ないじゃん」
「うるせえ」
笑いを堪えながら、燠と墜権が話している横で談笑する。
「守りの役割分担から考えようか」
「はい!」
墜権が手を上げ、椅子から立ち上がる。
「全員で突撃がいいと思います!」
「……墜権。攻めの話はあとにしよう」
「守りの時の話っすよ?」
呆れたように燠が言うが、墜権は真面目そうに言い返す。
「じゃあ、俺が決める。それでいいかな?」
「攻めたい、です!」
燠の言葉に墜権が意見を上げる。
だが、燠はそれを無視し、役割を告げる。
「堅牢は墜権。巨魁は律かな」
「えー。俺攻めたいなー」
「了解」
墜権は反論するが、律は頷くだけだった。
「ただ、律は前線に出てもらう」
「えっ? でも巨魁って後方なんじゃ?」
墜権は頷いていたが、錬は質問をした。
「律の能力なら可能なんだ。でも、確かに前線に出るのは危険だ」
燠が錬を見据えて言う。
「錬くんには律についていってもらう」
「わかりました」
錬も頷き、了承の意を示す。
それに頷くと、部員全員を見回す。
「俺は遊撃として、墜権と敵を迎え討つ」
「堅牢。全うさせていただきます!」
掌を返し、墜権が歓喜の声を上げる。
「うるさい」
「いてっ」
対面に座る律が墜権の脛を蹴る。
「じゃあ、次攻めの話っすよね! 俺、攻めたいです!」
「律はさっきと同じ、墜権は律と組んで援護だ。俺と錬くんで魁として要を壊しに行く」
「おれこいつとですか!?」
墜権が嫌そうな声をだしながら、律を指さす。
すると、また律が脚を振り上げる。
「さっきからいってえな! 律! 仏の顔も三度までなんだよ!」
「ならよかった。あんた、人間だし」
「よかったなあ? 俺が普通の人間じゃなかったらお前を潰してたよ」
律を睨みつけながら、迫り行く墜権の首の襟を燠が掴む。
「墜権、座ろうか」
「……はい」
立ち上がった二人が座り、墜権が手を叩く。
「異議のある人はいるかい?」
「俺、燠先輩についていきたいです!」
墜権の反論に、燠が思案する。
「わかった。じゃあ、墜権が錬と一緒に魁だ」
「こいつとですか!? 俺、燠先輩と一緒がいいんですって!」
意地悪な燠の言葉に、墜権が駄々をこねる。それに、燠が微笑みをこぼす。
「さっきのは冗談さ。墜権と俺で魁だ。律は変わらず。錬は遊撃で、俺たちより先に進め」
「やった! 魁だ!」
一々声を上げて喜ぶ墜権に律が溜息を吐く。
ただ、錬はその意見に納得できず、燠に問いかける。
「俺、一人ですか? 大丈夫なんですか?」
「錬くんなら大丈夫さ」
意味深に笑う燠に、それでも不安は残る。
だが、拳を握り、決意を固めた。
――前に進むためには、信じるしかないのだ。
「自分の役割を理解できたら、その役割を極めようか」
会議を終わらせ、燠が立ち上がる。
だが、部室から出ていく前に蒼空の前に燠が立つ。
「君は、誰かが倒れたら代わりに入らなければならない。重要な役目だ。頑張れよ」
「はいっ!」
その会話を聞き、会話に割って入る。
「片桐先輩」
「燠でいいよ」
逡巡する。
「……燠先輩」
「なにかな?」
だが、言い直し、質問を投げかける。
「なんで、俺じゃなくて蒼空が補欠なんですか? 蒼空だったら一瞬で――」
「蒼空くんは補欠だ」
言葉を遮り、燠が言い切る。
「なんで、なんですか?」
「これは決定事項だ。蒼空はどうしても出せない理由があるんだ」
燠はどこか、苦しそうな、重い表情をしていた。
だが、手を打ち鳴らし、顔を上げることで、それを掻き消す。
「これは団体戦だ。個人の能力が強くても、協調ができなければ敗北する」
燠の言葉に、それでも、と。食い下がろうするが、燠が続けた。
「そういったところでは、蒼空より錬の方が有望だと思ったんだ」
どこか、寂しげな表情で言う燠に何も言えずにいた。
だが、重苦しい空気を霧散させるように、軽い声音で言う。
「ヒーロースカウトもあるから」
錬に右手を突きだす。
「最高の舞台で、今の君を示せ」
「はい」
その右手に錬も右手をぶつける。燠の手は、微かに震えていた。
墜権が燠の後ろで鋭い視線を向けていた。
八月に開催される世界能力演武競技大会までに、錬も実力を昇華させなければならない。身に着いた、あの力を。




