第26話 ガチのマジで
赤いスポーツウェアに白が基調のランニングシューズ。野上君がトレーニング中なのは一目瞭然。
「……じゃ」
「あー! ちょいと待って」
今までだったら軽口の一つや二つでも叩いてくるのだけど、軽口どころか目もろくに合わせずに去ろうとする。あまりの塩対応に特に用ものないのに呼び止めてしまった。
「なんだい? 遊んでる暇はないんだけど?」
「あ、いや……文化祭の準備にはいなかったなって」
「仮にも実行委員なら参加しろって話だよね。ごめんね」
「別にいい。面倒なのは全部ハルがやるから」
「え!? たたた小鳥遊さん!?」
野上君の長身が大きく跳ね上がる。
その身長でコミカルな動きをされると人一倍面白いから中々ずるいと思う。麻央の口からとんでもない発言が飛び出たのは聞かなかったことにしたい。
「おっつー」
「ずっと僕の隣にいたろ。そんなに驚く?」
「そ、そうだよね。普通に当たり前だよね」
こっちを見て喋らないから麻央に気づけなかったんじゃないのか?
ただでさえこの二人の身長差は大きい。見逃していても不思議じゃない。こんなこと麻央に聞かれたら何倍にもなって返ってくるから思い留めておくけど。
いつになく野上君の様子が変だ。
いつもはどこか余裕や落ち着きがあるのに、今はそれらが微塵も感じられない。初めて公式試合に出た時の僕ですら、もう少しマシだったと思うぞ。
「いや、当たり前じゃないんだ。たまたま出会したんだ」
実際は麻央が待ち伏せしてたんだけど。
「たまたまねえ……二人は幼馴染ってみんなの前で言ってたしね」
「まあ、一応……」
「生まれる前からのね」
「……へー。そうなんだ」
「それで野上君、脚の調子はどう?」
「ああ。勉強の時間を削ってるだけあって順調だよ」
「その服どこのメーカー?」
「……これはパープルのだよ。お年玉で買ったんだ」
「野上君、ウェアのこと訊いてるのは麻央だよ」
どうして僕に向かって答えるのだろう?
パープルなんて有名なメーカー、スポーツをしてる人なら一目で分かる。ちなみに僕も一着持ってる。
「ねーねー。明日はクラス活動に出るの? わたしとハルはセットにしてね」
「えっと……」
だからなんでこっちを向くんだ。
「楠クンのことは小鳥遊さんが好きに使っていいよ」
「こらぁ! 僕の意思はどこに行った!」
本人の了承もなしに目の前で勝手に決めるんじゃない。
「ハルの意志ならさっきわたしのとこに来たよ。おかえり」
「ペットか!」
だったら尚更麻央のとこに行くはずがないし、帰る場所になんてなり得ない。
何が『おかえり』だ。僕の意思は僕のものだ。
「とにかく今日みたいな揉め事はうんざりなんだ。野上君さえいれば争いにはならなそうだし、明日は絶対に来てくれよ」
「楠クンに言われなくても、明日はそうするつもりだったよ」
「じゃあ明日はわたし帰っていい?」
「……く、楠クン」
「なんだよ」
近い近い近い。野上君がやたら近い。身長も手伝って密着感がすごい。
トレーニングしていたから余計に暑苦しいし湿度も感じる。
「ちょっと向こうで話さないか?」
「え? なんで?」
「小鳥遊さん、楠クン少し借りるよ」
だからなんで僕の方を見て麻央に確認を取るんだよ。
「すぐに返してね」
「僕の自由どこ?」
「そんなものはない。ガチのマジで」
「独り言拾ってまで酷いこと言わないで。マジで」
さすがは魔王様、お手本のような追い討ちだ。
麻央の視線を感じつつも、少し離れた脇道の端に腰を落ちつかせる。
車の走る音が表通りの方から聞こえてくる。脇道だけあって、ここは車も人もほとんど遠らない。その代わり住宅があちこち並んでいるので、話声で迷惑にならないよう配慮が必要だ。
「さて、説明してもらおうか」
「なんか急に顔つきが凛々しくなってない?」
脇道に入るまでは今にもひっくり返りそうだったのに。
まさか野上君はお日様の光だ苦手な吸血鬼だとか? でも陸上部って四六時中外で活動しているよなぁ。
「先に質問をしたのはボクだよ楠クン」
「説明って何をさ?」
「どうして小鳥遊さんと一緒なんだって話だよ! 当然だろ」
「の、野上君……声もう少し抑えた方いいって」
「あ……ごめん。つい」
近隣住民の方々から学校に通報でもされたら面倒だ。ただでさえ厄介事を抱えているのに、明日の放課後に職員室に呼び出しでもされたらたまったもんじゃない。
「どうしても何も……一緒に帰ろうって誘われたんだよ」
「へー。それでのこのこ付いてきたと?」
「どちらかというと、麻央がくっついてきたんだけど……」
「はあ……本当に幼馴染なんだね君たち」
「まあ、そこは間違ってない」
先日のホームルームで麻央が盛大にぶちまけたおかげで、学年どころか学校中に広まってる今や周知の事実。あーだこーだ理屈を並べても意味がない。
「そんな大事な情報もっと早く教えてくれよ」
「中学になって疎遠になってたし、言う必要ないかなって」
僕はともかく、あっちはかつて学校中の注目を独り占めした美少女。そこに僕みたいな冴えない幼馴染がいたとなれば、当初の騒ぎはもっと大きくなっていただろう。
三年になってからでも、あれだけの騒ぎを生んでしまったのだ。これが麻央入学時に起こっていたらと思うとゾッとする……。
闇討ちに八つ当たり、僕に火の粉が俟ってくるのは想像に容易い。それだけでも恐ろしいのに、麻央に与えるストレスも今の比ではない。
麻央は周りにあれこれ噂にされるのが嫌いだ。
あれこれ周りに噂されるのが嫌で、橋田に付き合っているのを吹聴されてるだけでもあの嫌がりよう。学校中が恐怖のどん底に叩き落とされてもおかしくない。
「ところであのうすらバカ……彼氏はなんか言ってた?」
「橋田は特に何も」
聞き間違いじゃなければ、今橋田のこと『うすらバカ』って呼ばなかったか?
「なるほどねえ……全然現実が見えてないんだな。アイツ」
「あのさ。少し気になってたんだけど、野上君って橋田と仲悪いの?」
「いや? 仲悪くなるほど関わったことないし、関わりたくもない」
「そ、そう……」
橋田に対してだけ明らかに言葉の棘が鋭い。
確かに二人は波長が合わなそうな気もするけど、それ以上に何か別の因縁めいたものを感じる。
「おっと、そろそろトレーニングに戻らないと。じゃあボクはこれで。楠クン、あまり小鳥遊さんに迷惑かけちゃダメだよ?」
「迷惑かけられてるのは僕なんだけど」
しかも私生活に影響が出るレベルで。
「待った野上君。この話どうして麻央の前でしなかったの?」
聞かれても困るような内容じゃなかった。
いちいち移動した意図が読み取れない。
「それは……そうだな……話しづらいってか」
明らかに歯切れが悪い。
「あ! もしかして野上君!」
「ぎくっ!」
口で言う人初めて見た。
「麻央のことが苦手なんだろ」
気持ちはすごくわかる。野上君のことだ、麻央の性格の悪さや凶悪性をずっと昔から見抜いていたのだろう。面と向かって話せないのも少し共感できる。
「……ほっ」
「ほ?」
「よかったぁ……楠クンが楠クンで」
「え? ちょっと腑に落ちないんだけど」
ものすごくバカにされてる気がする。
「ずっとそのままでいてくれ」
「おーい。なんだそりゃ」
僕にもやもやとした謎だけを残し、野上君は軽快に走り去ってしまった。




