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ガラクタピエロと裸足の人魚姫  作者: 刺草イウ
第一章 『ガラクタピエロと裸足の人魚姫』
26/53

第26話 人魚姫の結末

 県内でも有名な海の見える駅。ここは子供の時に一度だけ連れてきてもらったことがある。当時のことはそれ程覚えていないけど、とにかく人が多かった印象が残っている。静まり返った海の見える駅は、昔来た時とはまるで雰囲気が違う。

 真っ暗な夜に包まれて海なんか全然見えやしない

 改札口に交通電子マネーのカードをかざし、外に出るとより一層海を近くに感じる。


「美咲、着いたぞ」

「誰もいないね」

「何時だと思ってんだよ」


 出口に取り付けられている時計を指差す。夜十時を半分以上回っている。

 一時間もしないうちに終電が来てしまう。文字通り行って帰るだけの二人旅だ。

 駅を出るとそのまま海を見下ろせる造りになっていて、ひとまず僕と美咲は海を眺めることにした。


「美咲って海に来たことは?」

「一回だけ」

「じゃあ僕と同じだ」

「なんか少し寒いね」

「まだ五月に入ったばかりだからなぁ」


 ここがそれなりの高台なのもあるんだろうけど、美咲の言うとおり、夜風は冷たくて春の格好で来るには少々心許ない。

 波の音が僅かに聞こえてくる。このまま聴き入っていたら眠ってしまいそうな、穏やかで心地のいい音だ。部活のこと、美咲達のこと、パンクしてもおかしくないぐらいの日々だった。なのに、それらが全部夢の中での話と思えるくらい、この場所は静かに時間が流れている。


「真っ暗で全然海って感じがしないね」

「波の音が聞こえるじゃないか」

「おー。言われてみれば」


 夜空に綺麗な月が浮かんでいれば海に映って絶景になったのに。生憎今日は一日中雲が晴れることはなく、不機嫌な空が続いていた。

 美咲は電車の中では終始喋らなかったけど、海に来て元気が多少戻ってきたのか、一時間ぶりに会話が生まれる。

「……静かだな」

「それな〜」


 相槌を打つように波の音が届く。


「帰りの分のお金もギリギリ足りそうでよかったよ」

「足りなかったらあたしが出すから」

「そうなったらお願いします」

「お願いされました」


 こういった短いやり取りが続く。さほど中身のあるものではないが、僕にとってはこれも大事なものだ。先のことなんか今は考えたくもなくて、残り少ない美咲との時間を刻んでいたい。

 ふと手のひらを空に向けた。天気予報では雨と言っていたけど、幸い雨は降っていない。ここ最近は珍しく天気予報が外れているが、いずれも僕にとって都合の良いように働いている。


「ねーねー。ここから下に降りられる?」

「確か向こうまで回り道しないと降りられなかったと思う。」

「陽也くん道わかる?」

「た、多分……」

「じゃあ行こうよ。連れてって」

「道間違ったらごめん」

「いいよ。気にしないから」


 美咲は返事を待たずに歩き始めてしまう。慌てて隣に並ぶ僕。

 夜に人が歩くのを想定していないのか、砂浜に続く道は街灯が殆ど無くて、美咲のスマートフォンのライトが頼みだった。


「あははっ! やっぱ近くで見ると全然違うね!」

「あまり大きな声出すなよ。年齢的に僕達が出歩いてるとまずい時間だし」


 砂浜まで降りると美咲は気分が上がってきたのか、足元を慣らしながらはしゃぎ回った。


「ほんと誰もいなーい!」

「だから大きな声出すなって! それと一応言っとくけど今の時期は遊泳禁止!」


 流石の美咲でもそこまで常識外れのことはしないと思うけど、一応釘は打っておく。


「あははっ。陽也くんの方が大きい声出してんじゃん」

「こうでもしないと美咲は言うこときいてくれないだろ」

「だって陽也くんだし」

「大人に見つかって面倒なことになりたくないだろ? だからもう少し落ち着いてくれ」

「はーい」

「……まったく」


 わざとらしくため息を吐いて、僕は美咲の横顔を見た。海に来て何をしたかったのか、どうして今日じゃなきゃ駄目なのか、訊きたいことも話したいことも本当はもっとある。

 なのに僕はこうしたありふれたやり取りだけで、核心の部分に触れるのを躊躇っている。いっそ今ここで、次に会う約束を強引に取り付けてしまってはどうだろう? 一日置けば美咲も多少いつもの調子に戻って話しやすくなるかもしれない。


「……」


 ——また僕は時間を理由にしようとしている……。


「難しい顔してどうしたの?」

「あ、ごめん。考え事してた」


 美咲は可愛らしく首を傾げると、僕の顔を覗き込んできた。


「美咲? どうかした?」

「……ねえ陽也くん。ちょっと後ろ向いてて」

「ん? なんで?」

「いいから早く」


 また騒がれても嫌なので大人しく従う。


「だーれだ」


 目元を手で覆われる。思いの外美咲の手が冷たくて声が出かかってしまった。


「美咲」

「はずれ〜」

「じゃあ誰なんだよ。名を名乗れ」

「陽也くんが推してる人魚姫!」

「それは無理がある——いだだだ!」


 目元に指が入り込んでくる。


「……人魚姫って本当は悲しいお話だよね」

「あのアニメはどの作品も子供向けにされてるけど、昔話なんて大抵そうだろ」

「なーんでそういう結末にしたんだろうね」

「そんなの書いた人じゃないとわからないよ」

「書いた人は陽也くんみたいな人なのかもね」

「なんで僕が出てくる……」


 まるで僕が悲しい物語が好きみたいじゃないか。今も昔も悲しい結末は嫌いだ。大嫌いだ。


「本当の人魚姫って、最後は泡になって消えるんでしょ?」

「そう。あのアニメだと王子様と結ばれ幸せになったけど、それが人魚姫の本来の結末だよ」

「……王子様は人魚姫が消えて何も思わなかったのかな?」

「どうだろう。人魚姫にそっくりな人を人魚姫と勘違いしたまま結婚したから多分……」

「やっぱり可哀想だよ。全然好きになれない。こんな悲しいのに陽也くんは人魚姫になりたいの?」

「だーかーらー何度も言うけど僕は人魚姫の心の強さに憧れてるだけ」

「ふーん……。じゃあ、もしあたしが人魚姫なら陽也くんが王子様?」

「……さあ」


『イエス』とも『ノー』とも答えられず適当に濁す。


「ぷっ。それは無理があるだろ」

「言われなくともわかってるよ! しかも今の僕の真似だろ! 全っ然似てないし!」

「あっはははは! マジでウケんだけど!」

「僕は面白くない」

「それなら陽也くんは誰?」


 美咲の声をものすごく近くに感じた。


「誰って……」

「だ〜れだ?」


 透き通った声が頭の中に直接入り込んでくる。誤魔化したりはぐらかしたりするのを許さないと言わんばかりに。


「……僕は何者でもない。ただの普通の人間だよ」


 王子なんてもってのほか、他の昔話の登場人物でも何者でもない。僕がそんなにすごい人間なら、美咲達を取り巻く問題も全部どうにか出来たんだ。


「……陽也くんらしいね」

「つまんないだろ?」

「いいよ。そんな感じだと思ってたし」

「ところでなんだけど、そろそろ目隠し外してくれない?」


 目元を押さえている美咲の手を軽く叩く。


「もうちょっとだけ目は瞑ってて」

「え〜。ちょっとって?」

「あたしがいいって言うまで」

「仕方がないなあ」


 目隠しが外れても僕は目を閉ざしたまま。どんな企みがあってこんなお遊びをしているのかわからないけど、美咲なりに理由があるのだろう。


「ふー……」


 美咲が息を深く吐いた。少し震えているのが背中越しにでも伝わってきた。


「陽也くん。ここまで連れてきてくれてありがとう」

「……また来ようよ」


 ああ……。

 そういうことか。


 僕の背中に向かって喋っているのも、僕に目を瞑っていて欲しいと頼んだ理由も、美咲の声が震えているのも……。

 全部わかった。


「……いっぱい我儘聞いてくれてありがとう」

「全く……我儘って自覚あったのかよ」


 こんな時に何でまだ気を遣ってんだよ。最後まで自分勝手でいてくれないと、こっちだって調子が狂うんだ。どれだけ僕を困らせるんだよ……。


「……あたし。あたしは陽也くんの大好きな人魚姫にはなれなかったけど……」

「僕は人魚姫が好きとは一言も言ってない」

「陽也くんに可愛いって言ってもらえて嬉しかった」

「……それは……うん」


 目元が熱くなり始める。美咲が時折息を飲んだり、言葉を詰まらせているのも僕と全く同じ理由なのだろう。


「あと……それと……〜〜っ!」

「美咲……!」


 声が崩れていくのが耳に入ると決心が揺らいでしまう。今すぐ目を開けて美咲に駆け寄りたい。でも絶対にしちゃいけない。

 美咲がここで『お別れ』をすると決めたんだ。美咲の決心を僕が邪魔しちゃいけない。


「やっぱなんでもない。今度言う」

「……わかった。待ってる。ずっと待ってる」


 僕の声も震えていた。


「ねえねえ陽也くん。まだ目瞑っててね」

「……わかってるよ」


 美咲の声がだんだん遠のいていく。この後同じ電車に乗るんだろうけど、一緒にはならない。僕も美咲もはっきりと口に出さずとも理解し合っている。

 美咲の声が聞こえなくなっても僕は目を瞑り続けた。

 最後の最後に美咲は僕を拒絶した。謝ること、罪を背負うこと、僕が罪悪感を感じないようにしてくれた。


「ごめん……美咲、ごめん……」


 最後まで僕は無力だった。



「……」


 しばらくしてゆっくり目を開けた。

 わかってはいたけど、砂浜には僕だけが残っていた。


「帰るか……」


 波の音がより一層大きく感じる。二人が一人になっただけなのに、世界に一人だけ取り残された気分だ。

 終電に乗り遅れるわけにもいかないので、少し足早に駅と砂浜を繋ぐ道に向かって歩き出す。

 おもむろに海を眺めてみると、太陽も月明かりもない海はどこまでも暗くて、一人でいると引き摺り込まれそうな気さえした。

 波に攫われるという言葉は、もしかするとそんなオカルト的な空想から生まれたのかもしれない。

 怖いくらい静かで穏やかな光景だ。どこに目を向けても『海』としか言いようがない。

 海と深い夜が作る暗闇と静寂は何もかも包み込んでしまいそうだった。


 ——海に入っていく誰かの姿も、今まさに連れ去ろうとしていた。


「……え」


 短く声を発して僕の頭は一瞬で真っ白になった。


「な、なんで……!」


 真っ白になった頭のまま衝動的に海に走り出した。


「美咲!」


 喉が焼き切れんばかりに叫びながら。

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