第1話 卒業おめでと
——運命。
ふと頭に浮かんだのがそれだった。
振り返ってみれば、変わり映えのない繰り返しの毎日を終わらせたのは、かつての思い出に引き寄せられたかのような一人の人魚姫だった。
誰にも素顔を見せずに、泣くことも過去を打ち明けもせずに、ずっと僕の傍にいてくれたシンデレラは、忘れたくても忘れられない初恋の女の子本人だった。
そして今、泣かないシンデレラが涙を流しながら何かを告げようとした時に、もう一つの運命が僕を見つけた。
思い出と同じ名前の人魚姫。
中学最後の日に『みさき』と再会して、物語が終わりを告げようとした時に二人は出会った。
『美咲』と『みさき』
結城美咲と七海綾香の出会いは、偶然と呼ぶにはこうも突然で、あまりにも劇的だった。
「もー! 陽也くんめっちゃ探した!」
「え……誰……?」
「その声、もしかして美咲……?」
「みさき……」
七海さんはまだしも、僕も目の前の少女が結城美咲と断定しきれないでいた。呼び方と声は馴染みがあるのに、大事な判断材料がひとつ一致しない。
「はー? あったり前じゃん。どーしたの? あ、もしかして久しぶりだから緊張してる?」
仕草や喋り方、言葉遣いも僕がよく知る結城美咲で間違いない。なのに戸惑いを隠せないでいるのは、今までのイメージと大きくかけ離れた格好をしているからだ。
「えっと……美咲、その格好……」
「……うわ! やっば! はずっ! 今日まで学校だったから染めてないんだった!」
そう、今の美咲は明るく染めた髪じゃなく、大人しい黒髪を肩のあたりで一つに結んでいるのだ。星坂のワンピースタイプの制服も手伝って、正真正銘のお嬢様オーラ全開だ。
以前制服姿を見たことはあったが、髪の色ひとつでこうも変わるものなのか……。おまけにピアスやイヤリングの類のアクセサリーも身につけていない。まあ、当然といえば当然で、これが学生のあるべき普通の姿であるけども。
それにしたって髪の色だけで印象変わり過ぎだろ。七海さんもだけど、女の子は髪型ひとつで印象が変わるのを体現し過ぎだ。
満開に咲いた桜を月明かりが優しく照らしている。
美咲の立っている位置が丁度よく重なり、桜の木が背景みたいになっていて、ドラマのワンシーンや小説の表紙を連想させる。
月と桜、これが物語の世界だったら主役は絶対に美咲だろう。
元々中学生離れした容姿をしていたのだが、これまでとはまた方向性が違う。大人しい印象を与えといて、表情は喜怒哀楽に正直に変わる真っ直ぐさがある。
髪の色ひとつ違うだけで、同じ表情でも与える印象がこれでもかと違う。
初めて会った時は名前や容姿の良さで驚かされたが、よもや同一人物の変わり様にこうも驚かされるとは思わなかった。恐らく今日限りだとは思うので目に焼き付けたくなる。
「なに見てんの?」
「ちょっと驚いてた。いつもと雰囲気違い過ぎて。別人としか思えなかったからつい」
「……そう? 陽也くんがあたしの顔忘れてただけじゃね?」
「へ?」
「あたしは全然気にしてないけど」
あれ……なんか棘が生えてきているような……。
なんか嫌な予感が……。
「と、ところで美咲は一体どうしてここまで来たんだ? 確か家別方向だよな?」
「陽也くんがサイン返してくれないから。つーか既読も全然つかないし」
「あ……!
然程問題視していなかった事が、最悪の火種を抱えていた事実に今更になって気づく。
受験勉強とか、塞ぎ込んでいた時間が長かったからと理由はあるが、それらを並べたところで言い訳にしかならない。
「なにしてたんでしょーねー? なーんとなく分かったけど」
美咲の視線が僕の隣に向く。
「ち、違うんだ! 美咲、ごめん……僕スマホ壊れててサイン気づけなかったんだ」
「だったらすぐに教えてくれたらいいじゃん」
「でも学校違うからそう簡単には……受験勉強もあるし」
「そんなの栞が同じ学校に通ってんだから、栞に伝えとけばよくない? てか受験勉強あんのはあたしも一緒だから」
「それはそうなんだけどさ、僕学校で色々あって、そこまで頭が回らなかったっていうか……余裕がなかったっていうか」
「だからそれをあたしに相談してよ」
「う……でもこっちだって必死だったんだよ」
ものの数秒で結局言い訳みたいになってしまった。スマホの件を一から説明するとなると、学校で起きた出来事を全て話さざるを得ない。
当人の七海さんがいる前でそれは避けるべきだ。かといって美咲の気持ちを蔑ろにできない。
美咲は単純に怒っているだけならここまで食い下がらない。
「だったら尚更あたしに話してくれないとダメじゃない? ずっと心配だったんだからね?」
「美咲……」
「別にサイン返してくれないのがムカついたんじゃないから。マジで」
「うん。分かってる」
「絶対分かってない」
「そんなことないって」
お洒落に人一倍気を使う美咲が髪の色も忘れてたぐらいなんだ。それだけ僕に気を割いてくれていたのが見て取れる。
美咲の言う通り、栞に一言でも伝えとけばここまで心配させなかったと思うと胸が傷む。あのまま縁が切れてもおかしくなかったのに……。
「あ! ちょっと陽也くん何笑ってんの!?」
「いや、笑ってはいない……多分」
「はあ〜?」
知らず知らずのうちに連絡が途絶えてしまってもおかしくないのに、美咲はすごく心配してくれたのだ。嬉しいと思わずにいられない。顔に出てしまって妙な誤解をされているのは問題だが。
「とりあえずごめん……本当にごめん」
「『とりあえず』は違くない?」
指摘が早すぎる。まだ前置きなのに……気持ちは分からんでもないが、僕が最後まで言い終えてからにしてほしい。
「それと心配してくれてありがとう。すごい嬉しい」
「……ま、後でね」
後で?
「陽也くん、まだ言うことあるんじゃない?」
「え……な、なんでしょう」
「卒業おめでと」
「あ! そうだ! 美咲も卒業おめでとう」
中学なんて僕にとってはとっくに過去のものになっていたけど、美咲との出逢いはあの中学があったからだ。
僕はともかく、美咲にはこうして言葉にしてあげないと。こうして屈託ない笑顔で祝ってくれているのだから。
「はー。マジで陽也くんに会えてよかった〜」
「少し大袈裟じゃない? 明日でも明後日でもいいし。僕の家の場所だって知ってるだろ?
「ダーメ。今日会いたかったの。卒業した日に『おめでとう』って直接言いたかったの」
「そっか……でもよく僕の場所がわかったね」
「家にも学校にもいなかったから、あとはまあ……気合い。的な?」
「え……? じゃあもしかしてずっと!?」
「……イエス」
よく見ると美咲は心なしか疲れた顔をしているし、服も少しだけ乱れている。
「それはその……えっと、どうしよ……どこかで冷たい飲み物でも……」
「あはっ! 何テンパってんの? 会えたんだから気にしなくていいよ」
「いやいや! そういうわけにもいかないよ!」
「いいからいいから!」
「だからって何もしないわけには……」
「……ねーねー。それなら一つ訊いていい?」
言って美咲は可愛らしく笑顔を見せると、僕に詰め寄って肩に手を乗せた。
「いいよ。なんでも——」
「あはっ!」
美咲は太陽が弾けたような笑みを咲かせる。僕がなんて答えるか分かってたみたいに、最後まで言わせてくれない。美咲は綺麗な人差し指を立ててゆっくり指した。
僕のすぐ隣を。
「こいつ誰?」
一言も発してなかったシンデレラを。




