二十話、小菅春虎
◆◇◆
頬から雫が流れるのを、ソラは感じた。
春虎の指摘と、己の触角が告げる感覚が繋がり、その正しさを証明していた。
「…………」
ソラは不思議そうに頬を撫でた。涙という現象を眺めて、自己を顧みた。
「うん、確かに泣いているね」
「…………」
ただそれだけの言葉だった。
だがその言葉はソラが自己の痛みを自覚したということだ。
――自分が泣いていると気が付いた――
ただ、それだけのこと。だというのに春虎はまるで救助に発見された遭難者のように心から安堵していた。
嗚呼、そして。
「その涙は、私が……つけた」
彼女は己が過去にした罪を 心の底から悔いていた。
最初はただの一目惚れ、ふと見かけて惹かれた男の子。
その子が偶然、過去に壊した相手だったと、言ってしまえばそれだけだ。
「だから、その涙を、どうか、私に」
誰より、何より、熾烈で可憐でしおらしく。
彼女はソラを想っていた。同時に想えば想うほど……自分という存在が恐ろしく汚い存在にしか見えなくなっていく。
「拭わせて、」
腕が、足が、顔が……あらゆる部位が腐って見える。
骨と皮が糞色になるまでに腐食し続けて、鏡がまともにみれなくなった。
その痛みから、その絶望を抱え続けた少女はやっと。
「…………」
――――顔面を蹴り飛ばされた。
一度 頬の骨にひびが入る。
二度 瞳をクツの先端に潰され
三度 四度 五度 六度……それは男女平等に殺すという絶対的な意志が宿っていた。
「はあ……経験値もカスそうだな……そろそろシルベちゃんの補佐に行かんとな」
止めと言わんばかりに腹部を蹴り飛ばして数メートル飛ばすと踵を返してランニングしだした。
「げほ……ぁ゛っ……っ、……いか、な゛いで……ソラ。
まだ、生き゛てる……わだぢは、生ギてる゛……!」
先ほどまで酷いことをされたというのに、この少女はまだソラしか見えていない。
将来、悪い男に引っ掛かりそうな気がしてならない。
「生きるのが罪なんて、そんなことしか言えない君を認めない……!
絶対゛っ、絶対に゛治ずんだ……っ――――あの日、君を壊した私が、治さないといけないんだ……っ」
その身を動かすのは凄まじいまでの執念だ。
腕で地べたを這いずって、ソラへと必死に手を伸ばす様は憐れかな。
もうひたすらボロボロな雑巾にしか見えない。
そんな少女を見て、ソラはため息交じりに見下した。
「なあ、君は自分の言ってること。自覚してるか?」
そして問いかける。だが返答を待たずに言葉を続ける。
「自分が壊したから治す。
自分がやったから助ける、自分が、自分が……とさ」
それはきっと。ソラは気付いているからだろう。
その問いの答えを春虎は気付いていないということに。
「お前の言ってることを簡単にまとめると
いじめっ子がいじめられっ子に対して『いじめられてるの? 可哀想……』って言ってるようなものじゃないか
なんで加害者が被害者を慰めようとしてるんだよ。まず端的に言って相手の気持ちを微塵も見ようとしていない、常識的に考えれば『相手を煽る行動』だと分かり切っているのになぁ」
それは春虎の言動を極めて客観的に整理したら誰でも分かるようなこと。
『治してあげよう!』
『何も分からないけどとりあえず止める』
『涙を指摘したから拭わせて』
春虎という〝加害者〟が取った行動、それがひたすら虫唾が走る煽りでしかないのは明白だろう。
「救いたいというなら、今までやったことを清算してからにしろよ。
好感度がマイナスの奴が面と向かって謝りもせず、裏でコソコソコソコソ動き回っていても『これするからまあ許せよ、俺は謝らないけど』って言ってるだけじゃねえか」
春虎が絶望していく、顔から血の気が引いていく。
今にも壊れそうな身体から熱が消えて、遠のいていく。
「裏でニヤニヤしてるのが目に見えるんだよなぁ……道具か何かで『我慢しろ』って上から物言いしてるって気付いてっか? お前」
「ち、ちが」
「なにも違わないさ。
だってお前――――一度も謝ってないじゃないか」
「――――」
ソラを壊したのは『自分の都合』……この時点で最低さは語るまでもないだろう。
その上でソラを治したいというのは〝どの目線でやっていた?〟
「治して〝あげる〟
壊して〝しまった〟
助けなきゃ〝いけない〟。
気付けよ、お前が見てるのはお前だけだ
――――ただの一度も相手と向き合おうと思わないドブ女が。
今のお前、コースケよりキタねえよ、本当に小物臭くて殺したくなる」
コースケの性根の渇望は綺麗だったのでその言葉は悪口にはならない。
だが過去のソラ……即ちサカイを毛嫌いしているソラしかしらない小菅にとって、その言葉は世界で最も心を抉る行いに他ならない。
何故なら、
「…………ぁっ、」
小菅春虎はこの男の子に恋をした少女だったのだから。
本当は苦しいはずなのに、
本当は痛いはずなのに、
本当は壊れているはずなのに、
そんな自分さえ置き去りにして、誰かを助けて、前に進み続ける背中。
そんな背中がカッコいいと、そんな姿に恋をした少女、それが小菅春虎だ。
だからもその背中に拒絶されたら、必然的に小菅春虎という少女は
「ぁ…ぁ…っ……っ……ぁ………っ…」
――――失恋することに気付くことになる。
地に零れ落ちる涙は止めどなく、ただ聞き取れないほど小さくて乱れた嗚咽がひたすらその場に流れて……ソラが耳元で囁いた。
「自分の現実に押し潰されて、そのまま死んじまえよ
――――この薄汚い恥晒しが」
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
小菅春虎は、その日のうちに命を絶った。
調べによると、喉元へ楔のようなものを突き立てて自害したのではないか、とされているモノの。
肝心の自殺に使われた楔は発見されなかったという。
違うんです。もうちょい軽めの精神攻撃でざまぁwって軽く笑える風にしようと思っていたんです。
だけどソラ君が思った以上にエグい子で……まさか精神をズタズタにして自殺にまで追い込むとは……
作中でヒロインを救える手段があるのにも関わらず見殺しにしたり洗脳をして仲間を増やしたり…と様々な行動の影響でしょうね。はい。