第3話:光、深淵を掃く
振り下ろされる巨大な戦棍。松浦かなが死を覚悟し、瞳を閉じたその刹那、空気を切り裂く鋭い衝撃音が響いた。
しかし、肉体が潰される痛みは来ない。
「……あ?」
かなが恐る恐る目を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
自分のすぐ目の前、ブラッドオーガの放った一撃が、一本の古びた竹箒によって受け止められていたのだ。
そこに立っていたのは、作業着に身を包み、首からタオルを下げた冴えない中年男性だった。黒沢株式会社のロゴが入った帽子を深く被り、彼は溜息をつきながら巨大な怪物を仰ぎ見ている。
「危ないって言ったろ。清掃中なんだ。私服でこんなところに入られちゃ困るんだよ」
葛西正夫は、片手で箒を支えたまま、まるで行儀の悪い子供を嗜めるような口調で言った。
ブラッドオーガが、困惑したように喉を鳴らす。自身の渾身の一撃が、人間一人の、しかもただの掃除道具に止められたことが理解できないようだった。
怪物は怒りに狂い、さらに力を込めて戦棍を押し込もうとするが、葛西の足元は石畳の一枚さえ沈んでいない。
「ライフスティール、出力調整。清掃モード解除。……少し、本気で吸わせてもらうぞ」
葛西の全身から、溢れんばかりの白い光が立ち昇った。
それは松浦かながこれまで見たどんな魔法よりも清らかで、そして暴力的なまでの密度を持った輝きだった。
葛西が箒を軽く一振りすると、ブラッドオーガの巨体が紙屑のように弾き飛ばされ、壁に激突した。
「ガ、アアアッ!?」
怪物は立ち上がろうとしたが、その身体に異変が起きていた。
赤黒く隆起していた筋肉が、見る間に萎んでいく。褐色の皮膚は土色に変わり、その瞳から生気が急速に失われていった。
葛西が「ライフスティール」の指向性をブラッドオーガに固定したのだ。触れずとも、空間を介して対象の魔力と生命力を根こそぎ奪い去る。それが光の勇者と呼ばれた男の、真の力の一端だった。
「ア……カハッ……」
ブラッドオーガは、咆哮を上げることさえできなくなった。
強大なイレギュラーとして現れた怪物が、今はただの枯れ木のように震えている。葛西は静かな足取りで怪物に歩み寄り、光り輝く右手をその頭部にかざした。
「悪いな。お前は、ここにいちゃいけない汚れだ」
まばゆい閃光が、三十層の空間を真っ白に染め上げた。
爆音も、破壊の衝撃もない。ただ、絶対的な光が全てを包み込み、次の瞬間には、そこにはブラッドオーガの破片一つ、血の一滴すら残っていなかった。
ただ、静まり返ったダンジョンに、葛西が持つ箒の先がカツンと床を叩く音だけが響いた。
「ふぅ……。さて、怪我はないか? お嬢さん」
葛西は光を収め、いつもの冴えない中年男性の顔に戻ってかなに手を差し伸べた。
かなは呆然として、その手を取ることも忘れていた。
彼女の視線の先、地面に転がったスマートフォンは、今の「神業」を完璧に全世界へと映し出し続けていた。
「あ……あの……」
「ん? なんだ、腰が抜けたか? 無理もないな。ほら、掴まれ」
葛西は苦笑しながら、かなの腕を引いて立ち上がらせた。
その時、彼は初めて気づいた。かなの足元に落ちているスマートフォンの画面が、狂ったような速度で流れていることに。
「……ん? なんだ、その機械。まだ動いてるのか?」
葛西の顔が、スマートフォンのレンズにドアップで映し出される。
その瞬間、配信の同時接続数は十万を突破した。




