Phase 02
事件現場は――やはり、御崎公園球技場の近くにある芝生広場だった。ビクトリア神戸の試合がない日の芝生広場は、基本的にサッカー選手を目指す子供たちのために開放されている。しかし、芝生広場の目の前には規制線が張られていて、そこで何かしらの事件が起こっていることは私の目から見ても明らかだった。
遺体――金崎友美だったモノにはブルーシートがかけられているが、速報ニュースを見る限り、彼女は何者かに心臓をえぐり取られて、なおかつ胸部を縫合された。そういうところだろう。
「――そこで何をしているんだ!」
ヤバい。刑事さんと思しき人物がこっちに来る。私はなんとか言い逃れをしようと思ったけど、刑事さんは――私の顔を見て態度を一変させた。
「――き、君は……彩香ちゃん?」
「どうして、刑事さんが私の名前を知ってるの?」
困惑しつつも私がそう言うと、刑事さんは自分の名前を名乗った。
「僕のこと、覚えてませんか? ほら、中学校で一緒だった葛原恵介」
「け、恵介くん!?」
葛原恵介。私は――中学生の時に、彼に恋をしていた。でも、その恋は互いの進路が別々になったことによって、あっけなく終わりを告げた。
*
「ヒロロン、葛原くんに恋してるでしょ?」
「どうしてそれを知ってるのよ」
「言われなくても分かるわよ? ヒロロンって、サッカー好きだから――多分、異性に対して恋をするなら、サッカー部の子だろうなって思ってたし」
「そ、それはそうだけど……葛原くんが未来の日本代表になるとは思わないけど?」
「そうは言うけど、仮に葛原くんがアンダー23の代表としてロンドンオリンピックで活躍したらどうすんのよ? オリンピックでの活躍次第だと、いわゆるA代表も夢じゃないわよ? ――まあ、それ以前にビクトリア神戸に入団するかどうかだけどさ」
「うーん、ビクトリア神戸は弱いからなぁ……。多分、恵介くんがそういうプロのサッカークラブに行くならガッツ大阪だと思う」
「ガッツ大阪ねぇ……。確かに、関西で強いサッカークラブってそこしかないもんね。去年1部リーグで優勝してるし」
「ゴラッソ大阪は成績が安定しない、京都バイオレットバードは残留争いの常連、そしてビクトリア神戸は――財政難だったところに大手IT企業の社長が『僕の地元を救いたい』って言って買収したのは良いけど、その社長のワガママに振り回されてサポーターが一気に減ったって話。おまけにその社長がオーナーになった年、つまり去年2部に降格してる」
「ヒロロンの言う通りね。――まあ、アタシはそういう関西のサッカークラブのサポーターじゃなくて、鹿島アントリオンっていう茨城にあるサッカークラブのサポーターなんだけど」
「鹿島アントリオン? ――古豪のサポーターをやってるなんて、なんだか沙織ちゃんらしいわね」
「エヘヘ。まあ、お父さんの影響なんだけど。とにかくお父さんが林岡選手のファンでね。NHKで鹿島の試合中継がある日は必ず見てるのよ。――ところで、ヒロロンはどこのサポーター? ビクトリア神戸? ガッツ大阪? それとも――ゴラッソ大阪?」
「みんなにそうやって聞かれるけど、私は『川崎フロンアーレ』っていう新興クラブのサポーターなのよ。沙織ちゃんみたいに、関西ですらないわ」
「あら、珍しいわね。――確か、『めちゃくちゃ得点取るけどその分めちゃくちゃも失点する』っていう面白いクラブだとは聞いてたけど」
「そうなのよ。ちなみに、川崎の選手の中でも特に好きなのは中原憲剛よ?」
「中原憲剛! アタシでも、その選手は知ってるわ。ワールドカップのドイツ大会こそ代表から落選したけど、次の南アフリカ大会では代表に選ばれるんじゃないかって有力視されてる」
「うん。私の中では同じ中原でも横浜Fマリンズからスコティッシュ・プレミアリーグへと移籍した『俊輔』より天才だと思ってるからね」
「――あっ、そろそろ授業始まるわよ」
「そうね。チャイム鳴ってるし」
*
私が葛原恵介と再会したのは――多分、中学3年生の時以来だったと思う。私の高校の進路はいわゆる「底辺」と呼ばれる商業高校で、葛原恵介はスポーツ推薦を受けて滝河第二高校に進学したからだ。
「――恵介くん、久しぶりね。私はてっきりビクトリア神戸の選手になってると思ってたけど」
「みんなからそう言われるけど、残念ながら選手権ではずっと補欠だった。補欠生活で心が折れた僕は、サッカーの道を諦めて、刑事になったんだ」
「そうだったのね。――意外と様になってるじゃん」
「まあね。お察しの通り、僕は兵庫県警捜査一課の刑事として事件の捜査を行っているんだ。捜査一課ってことは、主に殺人事件の捜査を担当していることになる」
「それで、例の猟奇殺人事件はずっと追ってたってこと?」
「もちろんだ。『心臓のない死体』がこの球技場の近辺で相次いで見つかっていて、なおかつ容疑者として唾を付けていた金崎家に対して殺害予告が送られてきたことも把握済みだ。――まあ、残念ながら金崎家の関係者から被害者が出てしまったが」
「そうね。――なんだか、友美さんが気の毒よ」
そう言いながら、私は「金崎友美だったモノ」を見ていく。
彼女は眠った顔をしていて、今にでも生き返りそうな雰囲気を醸し出している。しかし、心臓が抜き取られた状態なので、ここから生き返るということはまずない。
葛原恵介は、遺体の状況を改めて説明した。
「今更彩香ちゃんに説明するのもどうかと思うけど、被害者は金崎友美。年齢は32歳で、職業は薬剤師だ。――まあ、薬剤師と言っても、調剤薬局で働いていた訳じゃなくて、院内薬局で働いていたようだが」
金崎友美だったモノの死装束は――例のロックバンドのロゴをあしらったトレーナーである。つまり、私が会った日に、金崎友美は殺されていることになる。
「――ニルヴァーナのトレーナー」
「ん? トレーナーがどうしたんだ?」
「あの、私――彼女が殺害される半日前に会ってるのよ。その時に着ていた服が、ニルヴァーナのトレーナーだったので、つい……」
「なるほど。――衣類に損傷は見られないな。もしかしたら、友美さんは衣類を脱がされた上で心臓をくり抜かれ、何事もなかったかのように服を着させた。犯人は、かなり用意周到な人物だったのか」
「まあ、そうでしょうね。――切り裂きジャックですら、そこまで考えて心臓をくり抜いた訳じゃないし」
「切り裂きジャックか。そういうモノを持ち出すところが彩香ちゃんらしいな」
切り裂きジャック。言うまでもなく――19世紀のロンドンを恐怖に陥れた殺人鬼である。彼(?)は娼婦を狙って凶行に及び、持っていたナイフで内臓をえぐり取ったと言われている。
当然、犯人はロンドンの深い霧の中に消えてしまい、事件の真相は未だに分かっていない。そんな切り裂きジャックが、令和の世の中に現れた。それも、現れた場所は、イギリスのロンドンではなく――神戸という日本の港町である。
とはいえ、切り裂きジャックと違って、件の殺人鬼はえぐり取った部分をわざわざ縫合している。その点で考えると、犯人は切り裂きジャックよりもよっぽど知能があると思われる。
それから、葛原恵介は話を続けた。
「とにかく、この事件は彩香ちゃんのような一般人が関わるモノではない。我々兵庫県警捜査一課に任せるんだ」
「まあ、そうなるよね。――私、一応これでも小説家なんだけど」
「小説家? ――確かに、彩香ちゃんは常日頃から本を読んでいたけど……本当に小説家になったのか」
「そうよ。大学生の頃に講談社に原稿を送ったら、本当にプロの小説家としてデビューすることになったのよ。まあ、残念ながら売れ行きはイマイチだけどさ」
「そうだったのか。――また、書店かネットで彩香ちゃんの著書を見かけたら買わせてもらうよ」
「ありがと」
そこで話は終わろうとしていたが――葛原恵介はある話を持ちかけてきた。
「そうだ。彩香ちゃんがそういう類の仕事に就いているんだったら、僕から頼みがある」
「頼み? 一体、何なのよ?」
「この猟奇殺人事件の解決に一役買ってほしい」
「それ、沙織ちゃんにも同じことを言われたんだけど――いくら推理小説を書いていると言っても、私は探偵じゃないわよ?」
「そうか。西野沙織も同じことを言っていたか。なんだか、面白いな」
「どこが面白いのよ?」
「――いや、なんでもない。中学生時代のことを思い出しただけだ」
「そっか。――まあ、良いけどさ」
そう言って、私は事件現場から踵を返すことにした。ついでに葛原恵介の連絡先も交換しておいた。――どうやら、電話番号が変わっていたらしい。
*
芦屋に戻ってきて――疲れた。スマホを見ると、時刻は日付変更線を越えていた。つまり、今は10月5日の午前1時である。
そのまま寝ようにも不快なので、私はとりあえずシャワーを浴びて、髪を乾かし、部屋着に着替えた。それにしても、部屋着のセンスが――我ながら終わっている。何をどうすれば「メタリカ」のロゴが入った部屋着を買うんだろうか。おまけに男物なので、サイズはブカブカである。
それから、ダイナブックをスリープから解除してメールをチェックする。――当たり前だけど、こんな時間帯に新着メールなんて入る訳がない。
メールチェックも終わったし、今日はもう寝よう。明日になれば、事件も進展を迎えているはずだろう。
*
――ここはどこだ? 私はどうなっている?
天井の照明を見る限り、多分手術室なのだろう。
どういう訳か、私は手術室のベッドの上に寝かされていて、これから何らかの手術を受けるところなのか。
やがて、1人の医師が私に声をかけてきた。
「――これから、あなたには死んでもらいます」
えっ? 私、死ぬの? 確かに常日頃から「死にたい」と思いながら生きているけど、「殺されたい」とは一言も願っていない。私は思わず反論した。
「私、殺されるんでしょうか? それだけは勘弁してください」
医師と思しき悪魔は――邪悪な笑みを浮かべながら話す。
「いいえ、実際に死ぬわけじゃありません。でも、ほとんど『死』に近い状態でしょうね」
「それって、一体どういうことでしょうか?」
「体内から、あなたの心臓を抜き取ります」
心臓を――抜き取る? そんなことをしたら、本当に死んでしまうけど。
私は必至に抵抗したけど、医師という名の悪魔は私の胸部にメスを入れていく。そして、くり抜かれた胸部を見て――悪魔は笑った。
「強い鼓動だ。まさに私の望む心臓だよ」
それ、強い鼓動なんかじゃなくて――多分、恐怖で怯えているだけだと思う。恐怖を覚えるということは、心臓の鼓動は速くなって、いわゆる「早鐘を打つ」状態になる。それだけ、私は恐怖で怯えているのだろう。
どくんどくんと脈を打つ音が聞こえる。私の心臓は、このまま抜き取られてしまうのか。
「アハハハハ、この鼓動、たまらないな! ――食ってやろうか?」
えっ? 心臓を食べる? それ、本当に言ってるの?
私は悪魔の言葉に悲鳴を上げようと思ったけど、耳の中で鳴り響く金属音がそれを邪魔していく。体は痺れて動かないし、鼓動は死にそうなほど脈を打っている。――金縛りか。
こういう時、私に出来ることといえば――自らの首を絞めて、意識を覚醒させることだけである。私は頸動脈を押さえて、その意識を覚醒させた。
意識が覚醒するにつれて、視界が真っ白になっていく。そこにあるモノが崩れ去っていく。――それでも、悪魔は邪悪な笑みを浮かべていた。
*
はぁ……はぁ……。
――夢か。
悪夢にうなされていたからか、心臓の鼓動は未だに速い。それは自分の胸に手を当てていても鼓動を感じるぐらいである。
それにしても、嫌な夢だったな。いくら自分が「心臓のない遺体」の事件を追っているとしても、夢の世界で本当に心臓を抜かれるなんて思ってもいなかった。
スマホの画面を見ると、時刻は午前4時だった。覚醒するとしても、中途半端な時間である。このまま寝直したら、確実に朝寝坊はするだろう。――だったら、もう起きてしまおうか。
仮に、あの夢が明晰夢というか、予知夢だとしたら――私の心臓も危ういのか。もしかしたら、事件の犯人は私を知る人間という可能性もある。
でも、あの時進路はバラバラになって、私を知る人間なんて少ないと思う。いくら底辺の商業高校から同志社大学に進学したとしても、私の顔なんて忘れられているのがオチだろう。
ふと、私はスマホでSNSを見た。見るべきSNSは、実名登録が基本のインスタグラムである。
当然だけど、私をフォローしている人間は少ない。西野沙織以外のフォロワーで、なおかつ中学校で同級生だった人間と言えば――ああ、彼女がいたか。
*
私にせよ、西野沙織にせよ、兵庫県出身ということに変わりはない。ただ、兵庫県は南北に広いから――南部と北部では月とスッポンぐらいの差がある。そして、私も西野沙織も出身は「兵庫県豊岡市」という北部の街である。神戸や西宮と違って、豊岡は同じ兵庫県とは思えないぐらいの田舎町であり、大抵の人間は大学進学を機に豊岡という街を捨てる。
そういう自分も、高校時代に「こんな田舎捨ててやる!」という思いで勉強して、同命社大学へ進路を定めた。
当然、同命社大学の理工学部は超狭き門なので「底辺高校の偏差値じゃ行けないだろう」という下馬評で溢れていた。しかし、私は必死に同命社大学の赤本を読んで、受験して、そして――合格した。母親は泣いて喜んでいた。
その後のことは言うまでもないが、東日本大震災を契機とした混乱政治の中で、私は就活に失敗して――何度も自殺を図ろうと思った。でも、そんな私に対して優しく言葉をかけてくれる人間がいた。
「――廣田さん、死なないで。廣田さんが死んだら、私は悲しむよ?」
死のうとした時に、スマホに一言だけ送られたメッセージ。それはまさしく古裡仁美のものだった。
古裡仁美。彼女は私の実家の2つ隣に住んでいて、付き合いは小学校どころか、保育園の頃まで遡る。早い話が――幼馴染みという関係にあたる。
私の母親は豊岡で里帰り出産した後、父親の関係で千葉県市川市に籍を置いていた。しかし、度重なるDVと堕落した生活を送っていた父親に激怒した母親は三行半を突きつけたうえで、2歳の頃に私を連れて豊岡へと戻った。その頃の兵庫県というのは――言うまでもなく、「阪神淡路大震災」が発生する1年前だった。後で母親から聞いた話だが、豊岡も震災の被害はそれなりに大きかったらしい。
そして、震災から1年後、私は「母親が職場復帰する」ということで日中は保育園に預けられることになった。
その時に出会った少女が、まさしく古裡仁美だった。
私と古裡仁美が出会った時の第一声は、未だに忘れていない。
「ねえ、一緒に遊ぼ?」
そう話す仁美の手には、セーラームーンの月野うさぎのぬいぐるみが握られていた。多分、私が持っていた火野レイのぬいぐるみを見て話したのだろう。
それからというもの、古裡仁美とは長い付き合いだった。彼女の家が私の家の2件隣にあると知ったのは小学生のときで、風邪で学校を休んだ時には必ずポストに手紙を添えて宿題を届けてくれていた。当然、彼女の家に遊びに行くということもあった。ゲームをしたり、互いに勉強を教え合ったり、時に羽目を外してみたり……。とにかく、高校で進路が別々になるまで約12年間という長い年月を過ごしていた。
しかし、高校が別々になるということは――関係も疎遠になっていく。一応、ガラケーの番号は交換していたが、古裡仁美には古裡仁美の人生があるだろうし、私はそこで彼女に干渉することをやめた。その結果、SNSで名前を見かけるまで彼女のことは記憶から消えていた。そして、就活を機にガラケーからスマホに変えて、真っ先にSNS上で見かけた名前が「古裡仁美」だった。私はその名前に対して、若干疑心暗鬼になりつつ彼女をフォローした。
SNS上で見かけた「古裡仁美」をフォローして、即座にダイレクトメッセージが送られてきた。
「――廣田さん? あの、廣田彩香さんですよね? 確かに、私は古裡仁美で間違いないです」
送られてきたダイレクトメッセージに対して、私は小さくガッツポーズをした。それから、彼女と色々と話をしていたが――どうやら、京都の国公立大学に進学したらしい。まあ、彼女は私と違って頭も良かったし、国公立大学に進学するのは当然の結果だろう。
*
彼女が犯人という線はあまり考えたくないが、一応事件について何か知っていることはあるのだろうか? そう思った私は、なんとなく古裡仁美のインスタグラムにダイレクトメッセージを送信した。
――仁美ちゃん、突然ダイレクトメッセージを送ってごめん。
――最近神戸で起きている連続猟奇殺人事件について、何か知っていることはない?
どうせこんなダイレクトメッセージを送っても読んではくれないだろうと思っていたが……既読マークが付いている。もしかして、事件について何か知っているのだろうか?
既読マークが付いて数分後。――彼女から返信が来た。
――御崎公園球技場の近くで起きているあの事件のことですよね?
――それなら、私……知っています。
――それにしても、どうしてそんな事件に対して興味を持っているのでしょうか?
――いくら廣田さんが無類のミステリ好きだとしても、趣味が悪いと思います。
ああ、見透かされていたか。案の定、古裡仁美はメッセージ上でドン引きしている。
仕方がないと思いつつ、私は適当に汗の絵文字を送信して彼女をあしらうことにした。――これで良いだろう。
汗の絵文字の意味を読み取ったのか、古裡仁美はあるメッセージを送信してきた。
――まあ、廣田さんが例の事件に対して興味を持つことは悪いことじゃないと思います。
――そうだ、一度会ってみませんか?
――私、こう見えて神戸で開業医を営んでいるんです。ああ、もちろん解剖とかそういうモノじゃなくて、心療内科の方ですけど……。
――なんなら、廣田さんの心も一度診ましょうか? 廣田さん、昔から結構「病んでる」印象を持っていますし……。
――クリニックはここにあります。日曜日が休診日で、それ以外は午後6時まで開院しています。
――廣田さんの来院、待っていますから。
そう言って、古裡仁美は自分の病院の地図を送信してきた。――どうやら、クリニックがあるのは住吉らしい。芦屋からは近いな。
*
古裡仁美が営む心療内科にはバイクで行こうと考えていたが、曰く「JR住吉駅の駅ビルの中にクリニックがある」と言っていたので、敢えて電車で行くことにした。新快速だと住吉駅を通り過ぎてしまうので、一本見送って普通電車に乗った。
住吉駅に着いたところで、私は「古裡メンタルクリニック」という看板を探す。――すぐに見つかった。どうやら、開業して2年ぐらいらしい。
私は、クリニックの中に入る。受付係に「古裡さんの友人です」と伝えたら、「すぐにお呼びしますので待っていて下さい」と言われた。
数分後、「廣田さん、診察室にお入り下さい」と言われたので――私は診察室の中に入った。
目の前のゲーミングチェアに腰掛けていたのは、紛れもなく古裡仁美本人だった。長くて黒い髪はポニーテールで縛ってあって、赤縁の眼鏡をかけている。それはまさしく私の中の記憶にある彼女で間違いなかった。
彼女は話す。
「廣田さん、本当に来てくれたんですね。――こうやって面と向かって話をするのって、15年ぶりぐらいかな?」
「仁美ちゃんがそう言うなら、間違いないと思う。最後に会ったのは……多分、高校2年生の夏休みだったかもしれない」
「そうですね。あの時点で私は『国立大学に進学する』って進路を定めたから、遊ぶどころじゃなかったんだもの。もちろん、K大に進学してから『心理学』に興味を持って――その結果、こうやって心療内科を開業したんです」
「なるほど。――それで、私の心も診てくれるの?」
「もちろんです。――でも、先に例の連続猟奇殺人事件についてですよね」
「ああ、そうだった。――何か知っていることがあったら、私に説明してよ」
「もちろんです」
そう言って、古裡仁美は「心臓のない遺体」について知っていることを私に話してくれた。
「実は、私……たまたま『心臓のない遺体』を目撃したんです。1人目の被害者って、『浅田一樹』っていう名前でしたよね? 彼の遺体が発見された日って、ビクトリア神戸の試合があった次の日だったんです」
「試合があった次の日?」
「そうです。私、その日に御崎公園球技場周辺――要するに、和田岬の患者さんから往診の依頼があって、球技場の芝生広場の前を通ったんです。そうしたら、男性が倒れていた。私は思わず男性に駆け寄ったけど……頸動脈を触っても脈がないし、妙に冷たい。もしかしたら、死んでいるかもしれない。そう思って、男性の服を脱がせたんです」
「そして、服を脱がせたら――男性の胸部に、心臓を抜き取って縫合した跡が見つかったと」
「その通りです。まさかあの遺体が大事になるなんて思ってもいませんでしたから……」
私は、なんとなくビクトリア神戸の試合スケジュールを確かめた。
「浅田一樹が殺害されたのは――何月何日なの?」
「えーっと……8月25日ですね」
8月25日――その日のビクトリア神戸の対戦相手はザバン鳥栖だったようだ。試合結果は2対0でビクトリア神戸が勝っている。
「つまり、ビクトリア神戸とザバン鳥栖が試合をしている間に浅田一樹は殺害されたの?」
「どうなんでしょう? 私はビクトリア神戸のサポーターじゃないから分からないんですけど……」
「そうなの。――どこサポなの?」
「私? 私は……ごめんなさい、こう見えて川崎フロンアーレのサポーターなんです」
「え? ――私と同じじゃないの」
私がそう言うと、古裡仁美は――目を丸くした。そして、興奮しながら私に話す。
「誰? 誰推しなんですか!?」
仕方がないので、私は古裡仁美の話に付き合った。
「移籍する前は二笘薫と宮川大勢だったけど……どっちも移籍していなくなりましたからね。二笘薫に至ってはプレミアリーグだし。今なら川田新太かな」
「川田新太! 中々いい選手ですよね!」
もちろん、宮川大勢の移籍先についても説明しなければ。
彼の移籍先は――言うまでもなく、ビクトリア神戸だ。しかも、川崎フロンアーレからビクトリア神戸に移籍して1年目からチームの主力として活躍しているというオマケ付きである。
「ちなみに宮川大勢はビクトリア神戸に移籍して得点を量産してる。ついでにビクトリア神戸のギャルサポも一気に増えたって話よ。私もビクトリア神戸としての宮川選手のユニフォームを持ってるし」
「確かに、それならビクトリア神戸の試合を見る口実になりますよね」
脱線した話が長引いても困るので、私は大きく咳き込んで軌道修正させた。
「――コホン。とにかく、仁美ちゃんの証言と合致させると、ビクトリア神戸とザバン鳥栖の試合前後で浅田一樹は殺害されたということなるのね。貴重な証言をありがとう」
「いえいえ、とんでもありません! ――じゃあ、廣田さんの心も診ましょうか」
そう言って、古裡仁美は私の心のカウンセリングを始めた。
「よろしく頼むよ」
*
お察しの通り、診断結果は「慢性的な鬱病」だった。彼女曰く「もっと楽しいことを考えましょう」とのことである。――こんな状況で、楽しいことを考える方が難しいだろう。
それから、適当な抗うつ剤を処方してもらった。気休め程度にしかならないけど、「ないよりはマシ」かもしれない。
帰り際に、彼女は話す。
「でも、こうして廣田さんとお話できただけでも良かったと思います。――私、自分に対して自信をなくしていましたし」
「仁美ちゃんが、自信をなくす? 私には、信じられない話ですけど……」
「――いいえ、なんでもありません。とにかく、事件について何か分かったら、また廣田さんのスマホにメッセージを送りますからね。もちろん、定期的に診察も来て下さい」
「分かっています。――それじゃあ、失礼します」
そう言って、私は古裡メンタルクリニックを後にした。
*
それにしても、古裡仁美という人物は――不思議だ。
どういう理由があって精神科医を目指そうと思ったかは不明だが、多分、彼女は「使える」人間だろう。
とにかく、古裡仁美という存在が「一連の事件の犯人ではない」と確信しただけでも、大した収穫である。
そして、アパートに戻ると、早速古裡仁美からスマホ宛にメッセージが来ていた。
――廣田さん、先程は来てくれてありがとうございました。
――あれから、事件の推理について進展はありましたでしょうか? 多分、あまり進展は無いと思いますが……。
――そういえば、浅田一樹が殺害された日は「ビクトリア神戸の試合がある日」でしたよね?
――もしかしたら、他の被害者が殺害された日時もビクトリア神戸の試合が御崎公園球技場で行われた日なんじゃないかと思ってメッセージを送信してみたんですけど……。
――違いますか?
私は、彼女の考えを否定した。
――そうは言うけど、6人目の被害者である金崎友美が殺害された日時は10月4日です。その日は金曜日で、ビクトリア神戸の試合がない日でした。
これで良いか。既読は付いている。
私がメッセージを送信して数分後、彼女からメッセージに対する返信が送られてきた。
――そうでしたね。金崎友美さんが殺害された日は金曜日でしたね。私の考えが甘かったです。
――でも、もしかしたら……金崎友美さん以外の被害者に関して言えば、ビクトリア神戸の試合がある日に殺害された可能性が高いと思います。
――念のために、調べてみてください。
古裡仁美からのメッセージは、そこで終わっていた。――ここは、葛原恵介の力を借りようか。私は彼のスマホにメッセージを送信した。
――恵介くん、ちょっといいかな?
――例の事件における、金崎友美以外の被害者が殺害された日時って、今すぐ調べられるかな?
――別に、急ぎじゃないからボチボチでいいんだけどさ。
わざわざ「急ぎじゃないから」とメッセージに付け加えたけど、既読はすぐに付いた。
そして、返信が送られてきた。
――ああ、ちょうど被害者の殺害日時を調べていたところだ。
――でも、調べれば調べるほど……気持ち悪いまで合致するんだ。僕、こう見えてビクトリア神戸のサポーターだからね。
――浅田一樹が殺害された8月25日はザバン鳥栖戦、佐々木真実子が殺害された9月13日はゴラッソ大阪戦、小鳥遊康史が殺害された9月25日は天皇杯の鹿島アントリオン戦、中原妃星が殺害された9月28日は浦和レッドデビルズ戦、そして……原田裕司が殺害された10月2日は、アジアチャンピオンズリーグの山東泰山戦だった。いずれも試合会場はビクトリア神戸のホームスタジアムである御崎公園球技場だ。
――ここまで合致すると、正直言って自分が怖くなるよ。被疑者は、恐らくビクトリア神戸の試合が行われた日に殺人を犯しているはずだ。
――彩香ちゃんがどう思うかはさておき、僕の考えはかなり核心を突いていると思う。
――僕はこれから捜査会議だから、何か情報が手に入ったらまたメッセージを送るよ。
葛原恵介からのメッセージはそこで終わっていた。
それにしても、ビクトリア神戸の試合がある日に――血なまぐさい事件が起きているのか。一体、犯人はどういう目的があってビクトリア神戸の試合を狙ったんだ?
*
葛原恵介が調べ上げたビクトリア神戸の試合スケジュールと殺人事件の因果関係。ザバン鳥栖戦は2対0でビクトリア神戸が勝っているし、ゴラッソ大阪戦は2対1でビクトリア神戸が勝っている。天皇杯の鹿島アントリオン戦は3対0でビクトリア神戸の圧勝、浦和レッドデビルズ戦は1対0でビクトリア神戸の勝ち。山東泰山戦は2対1でビクトリア神戸が辛勝している。――全部勝ち試合じゃないか。いや、試合結果はあまり関係ないだろうか。
試合結果云々以前に、もしかしたら――犯人はビクトリア神戸の試合の日に、サポーターを狙って殺人を犯したのか。私はそう考えたけど、そんな都合の良い話なんてある訳がない。とりあえず、この考えは捨てよう。
そういえば、犬――金崎モカが殺害された事件も考えていかなければならない。私は「連続猟奇殺人事件」と「犬の殺害事件」を同一犯であると結びつけたが、同時期に金崎医院の院内薬局から劇薬が消えているという点にも注目した。しかし、金崎友美はすでにこの世からいない。ならば、ここは思い切って彼女の妹である金崎瑠璃に話を聞いてみるべきか。
そうと決まれば、行動に移していくしかない。私は、バイクにまたがり金崎医院へと向かった。
*
金崎医院に着いたところで、私は――母親と思しき人物に「金崎友美の知人です」と伝えた。当然だけど、母親はそれを了承してくれた。
「友美さんはすでにこの世にいませんが……もしかして、瑠璃さんに用事でもあるのでしょうか?」
「その通りです。――瑠璃さんの精神状態、どうなっているんでしょうか?」
「多分、女性となら接触できると思いますが……瑠璃さんの部屋はこちらです」
そう言って、金崎友美の母親は――金崎瑠璃の部屋へと案内してくれた。
「瑠璃ちゃん、あなたに会いたいって人がいるの。――女性だから安心して」
母親がそう言うと、金崎瑠璃と思しき女性がドアの向こうから話しかけてきた。
「――分かった。中に入れて」
私は、金崎瑠璃の部屋の中へと入った。彼女は、まだ幼い顔つきを残しつつ、髪は長く切り揃えられていた。
彼女は話す。
「あなたが、友美さんの友人?」
答えは当然だ。
「そうよ。――厳密に言えば、友美さんの友人の友人だけど」
「なるほど。――名前、教えてもらっていい?」
「私の名前? 私は――廣田彩香よ」
「廣田……彩香……。分かった。その名前、覚えさせてもらったから。ところで、私に何の用があって来たの?」
「実は、『モカちゃんが殺害された事件』について調べていて、その過程で『院内薬局の薬品庫から突然劇薬が消えたこと』も知りたいって思ったの」
私がそう言うと、金崎瑠璃は俯きながら話した。
「モカちゃんが殺されたのって、突然だったからとてもショックで……。でも、言われてみればその前から予兆らしきモノはあったかもしれない」
「予兆らしきモノって、もしかして……『劇薬が消えた』こと?」
金崎瑠璃の答えは、私が思っていたモノだった。
「その通りです。私、こう見えて大学で薬学部を専攻していて、その過程で金崎医院における薬品を管理していました。でも、1ヶ月前から――どうしても薬が1つ足りない。よりによって消えた薬は劇薬だったので、私にばかり責任がのしかかって……」
「消えた劇薬って、何だったの? 都合が悪くなければ教えてほしいな」
「それが……『モルヒネ』なんです」
モルヒネ。――麻酔として使われる薬品か。麻薬成分からできているが故に依存性が高く、病院では厳重な保管が定められている。
――ちょっと待った。犯人は、金崎医院からモルヒネを盗み出して、一連の犯行に及んだのか。
仮に「心臓のない遺体」がモルヒネによって生み出されたモノだとして、「モカちゃんの殺害」もペットフードにモルヒネを混ぜたうえで腹部を切り裂いた。そうやって考えると、矛盾はない。
私は、金崎瑠璃にあることを聞いた。
「瑠璃さんにこんなことを聞くのは心苦しいと思うけど、モカちゃんって……普段、どんなペットフードを食べていたの?」
「ペットフードですか? そういえば、あまり気にしていませんでした。――でも、モカちゃんが死んでいた場所は、家の庭でしたね」
「家の庭? ――もしかして、瑠璃さんは金崎家の中に殺人犯がいると考えているの?」
私はそうやって聞いたけど、金崎瑠璃は――顎を擦りながら答えた。
「――分かりません。当然ですけど、私としては身内がそういう犯罪に対して手を染めているなんて考えたくありません……」
「そうだよね。――何か、ごめんなさい」
「良いんです。この家は『先祖代々呪われている』って言われていますし」
金崎家にかかっている呪い。――気になるな。私は、なんとなく金崎瑠璃にそのことを聞いてみた。
「――呪われている? それ、もう少し詳しく説明してくれないかしら?」
私がそう言うと、金崎瑠璃は――「呪い」について詳しく話してくれた。
「私の家、昔から『女性は長生きできない』っていうジンクスというか、呪いがあるんです。その証拠に、私の祖母に当たる金崎淑子さんは、70歳でこの世を去っています。死因は大腸がんでした。――もちろん、それだけじゃありません。私のひいおばあちゃんも、どうやら65歳で天寿を全うせずに死んでしまったと聞いています。そして、何より……友美さんも死んでしまった。――次は多分、私の番です。友美さんから聞いたと思いますが、この前、ガード下で複数の見知らぬ男性に犯された時に、私は『死』を覚悟しましたから」
「それは、友美さんから聞いている。――その時のトラウマって、まだ癒えていないのね」
「その通りです……」
私は、なんとなく金崎瑠璃に古裡仁美のことを話した。
「そうだ。――私の友人が、心療内科を営んでいるんです。もしかしたら、あなたの助けになるのではないかと思って……」
「心療内科ですか。――通ってみようかな」
金崎瑠璃がそう言ってくれたことを確信して、私はそっと頷いた。
「クリニックがあるのは住吉だから、ここから少し距離があるの。でも、電車で行って行けない距離じゃない。往診も受け付けているし」
「往診?」
「実は、その友人――御崎公園球技場の付近で相次いでいる『心臓のない遺体』の第一発見者だったの。和田岬の患者の元へ往診に行く過程で、遺体を見つけたって訳」
「そうだったんですか……。もしかしたら、私が事件について知っていることを聞いてもらえるかも」
「事件について知っていること?」
「はい。――私も、『心臓のない遺体』を目の当たりにしていますから」
「それ、本当なの?」
「本当です。被害者の1人である原田裕司さんって、私の家――要するに、金崎医院でレントゲン技師として働いていたんです」
やはり、原田裕司は金崎医院で働いていた人間だったのか。
私は、金崎瑠璃の話を聞いて――あることを確信した。
「じゃあ、一連の『心臓のない遺体』の事件って、もしかして……金崎家を恨む人間による犯行なのかな?」
「そうかもしれません。――そのこと、あの精神科医に話しても大丈夫でしょうか?」
「多分、大丈夫だと思う。それは私が保証してあげるから」
「ありがとうございます! それじゃあ――」
どうやら、金崎瑠璃が持っている「心の傷」はすぐに癒えるかもしれない。――私は、なんとなく安堵の表情を浮かべた。
*
あまり長話をするのもどうかと思うので、私は金崎家を後にすることにした。
出ていく前に、金崎瑠璃は話す。
「今日はありがとうございました。――私、なくしていた自信を取り戻せそうな気がします」
彼女の感謝の言葉を、私は受け取った。
「それは良かった。これから先、何か困ったことがあったら――いつでも私を頼っていいから」
そう言って、私は金崎家の玄関から踵を返した。
*
和田岬からバイクで芦屋に戻っていく。――金崎瑠璃と接触したことによって、事件に関する収穫は得られたかもしれない。これは、事件解決に一歩前進だろうか。
そんなことを考えつつ、私は芦屋へと戻った。スマホを見ると、現在時刻は午後7時だった。――結構、長話していたんだな。
一応、芦屋に戻る過程でコンビニに寄って冷凍食品とサラダを買った。冷凍食品はいわゆる「冷凍パスタ」と呼ばれるモノで、味は――明太子だった。
明太子パスタを食べつつ、私はスマホの画面を見ていた。――西野沙織からメッセージが来ている。
――ヒロロン、あれから事件について何か手がかりは得られた?
――一応、恵介くんと仁美ちゃんから話は聞いたけどさ。
やはり、葛原恵介と古裡仁美のことは把握済みだったのか。コミュ障である私から考えると、西野沙織という存在は――「コミュおばけ」である。
そんなことはどうでも良くて、私は彼女のメッセージに返信していく。
――恵介くんと仁美ちゃんからメッセージが送られてきたんだったら、話は早いわね。
――私、あれから金崎瑠璃と接触したのよ。
――彼女、見ず知らずの男性に犯されたことによって心にトラウマを抱えてるみたい。
――一応、私の方から仁美ちゃんのメンタルクリニックを勧めておいたから、多分……事件も多少は進展すると思う。
とりあえず、私は一旦そこでメッセージを止めたが――西野沙織は、意外なメッセージを私に返信してきた。
――そうそう、ヒロロンがバイクでアチコチを駆け回ってる間に……アタシ、あることを調べてたの。
――調べてた内容は、「生贄にまつわるモノ」だったんだけど。
――ほら、古代メキシコでは「生きた心臓を神様に捧げる儀式」が有名だったしさ。
――それで、日本でもそういうケースがないかどうか調べてたら……いくつか見つかったわ。
――それも、西日本でよく行われてたって話よ。
――一番有名なのはヤマタノオロチに捧げられたクシナダヒメかな。
確かに、日本神話にはそういう伝承が残っているが――この令和の世の中で、そういうことが許されるとはとても思えない。
私は西野沙織のメッセージに若干思うことがありつつ、返信していった。
――確かに、ヤマタノオロチのために捧げられたクシナダヒメの件は有名だけど……それは、あくまでも神様の話よね? 生身の人間でやることじゃないと思う。
メッセージに対する西野沙織からの返信は、すぐに来た。
――そうよね。まあ、アタシはそういうのにあまり詳しくないんだけど。
それはそうか。――いや、犯人は「儀式」のために生身の人間から心臓を抜き取ったとは限らない。もしかしたら、もっと……別の理由があるかもしれない。そう思いつつ、私はポテトチップスの袋に手を伸ばして、1枚つまんだ。
ポテトチップスは常にコンソメ味を選んでいる。特に理由はないけど、子供の頃からコンソメ味のポテトチップスが好きだった。
オレンジジュースを片手にコンソメ味のポテトチップスを食べながら、ダイナブックの画面を見る。我ながら、まさに「クズの極み」である。
画面上には「人身御供」の検索結果が表示されている。やはり、西野沙織からのメッセージに引きずられているのか。いくらそういう迷信が残っていたとしても、やっていることは――えげつない。
そして、私はそういう「えげつない」事件に対して片足を突っ込んでいる状態である。
さて、私はこれからどうすべきだろうか? そんなことを考えても仕方がないのだけれど、どうしても考えざるを得ない。
あまり事件に深入りしても碌なことにならないので、新作小説の原稿でも書いてやろうと思ったが、どうせ例の事件に引っ張られるのがオチである。
それから、小説の原稿を書き始めたが――案の定、例の事件に引っ張られた原稿しか書けない。これじゃああまりにも不謹慎である。私の講談社における担当者がこの原稿を見たら、鼻で笑われるだろう。
恥ずかしいので、原稿を保存せずに×ボタンを押そうと思ったが――指が動かない。というか、×ボタンを押そうとすると力が入らない。一旦、保存してから×ボタンを押すべきか。
そんなことを考えながら原稿を保存したタイミングで、スマホが鳴った。どうやら、メッセージの送り主は葛原恵介らしい。
――彩香ちゃん、夜分にすまない。
――明日、「彩香ちゃんの顔が見たい」と思ってメッセージを送ってみたんだ。
――場所は……兵庫県警の署内じゃマズいから、ここは三宮でどうだ?
――場所が決まったら、改めてメッセージを送るから。
そうか。――何か、事件について分かったことでもあるのか。そんなことを考えつつ、私は適当に「親指を立てたキャラ」のスタンプを彼のスマホに送信した。既読はすぐに付いたから、多分チェック済みだろう。
それから、白湯で睡眠安定剤を流し込んで、私はベッドに入った。スマホを見ると午後11時30分を回ろうとしていたから当然だろう。
*
当たり前だけど、ベッドに入ってからの意識はない。夢の記憶がないことからも、私は熟睡できていたようだ。昨日、「心臓をえぐり取られる悪い夢」を見たことを考えると、嘘みたいな話である。




