13,『無知は、きっとある意味幸福なのかもしれない』
そして数日。冬月たちは、再び冬の旅路をひた走っていた。音楽の街・ドロンでは、予定通り、庵哉と医師、そして薬が、副隊長たる亥良を指揮官とした、一小隊十五人の騎士たちを護衛として帰還していった。
あの後は特に、呪術のことで疑われることはなく、淡々と準備から呪術の発動まで進み、神殿から出た時に、人知れず冬月は胸をなでおろしたものだ。予想通り、呪術のかかったペンダントに興味を示した者も、世悧をはじめとして数人いたが、「母の形見なんですよ、」と微笑めば引いてくれたので、物わかりのいい男たちであった。
なお、移動の呪術で帰還する者たちに冬月と阿星も含めて、移動させてしまうべきでは? という意見も実はあったようだ。後から世悧に聞いたことだが、世悧と庵哉、亥良で協議した結果、それは却下されたらしい。
そもそも、人数などを指定して事前に神官たちが用意していた移動の呪術陣は、余分な人間を運ぶことができなかった。もちろん、騎士や医師たちの何人かと、冬月と阿星を交代して首都・テンダーに送るか、という案も出たらしいけれど……どうにも、此度の緊急事態につき、移動先が直接王城内になっているという。そこにいきなり冬月たち部外者を放り込むのははばかられたようだ。
「そして、俺たちには金がない。よって、余分な移動の呪術を頼むことはできないんだ!」
世悧は恥ずかしげもなく、堂々とそう言っていた。冬月と阿星は冷たい視線を向けた。……まあ、後払いでも何でも、手段はなくはなかっただろうが、冬月たちが何か騎士団員になじんでいるのもあって、そこまでして急ぐ必要性を感じなかったのだろう。
(もう、龍使いの里は跡形もないだろうけども)
知らないって幸せだな、と冬月は思った。そして、一見騎士たちになじんで従順な冬月と阿星も、内心は全然そんなことはない。むしろ、そろそろ時間稼ぎは十分とみなし、次なる目的地である、大聖堂のある街にたどりつく前に、行方をくらまそうとしていた。
ただ、簡単にはいきそうにないとも思っている。世悧という実力者がいることもそうだが……。
(……ちょっと、気になることがあるんだよね)
そう思いながら、ちらっと阿星を目を見合わせる。返ってきたさりげない頷きに、彼もまた自分と同じものを感じていると確信した。
ここしばらく、じっと誰かに、見られている、と思う。それも多分複数人から。ドロンに入る前にも感じて、その時は気のせいかと思っていた。しかし、一行の人数が減ってから、その視線を明確に感じるようになったのだ。
龍使いが物珍しく、観察しているというだけならいい。あるいは、責任感や警戒心の強い騎士の誰かによる、監視の目だというなら、それも納得する。
(でも、そういうのとは違いそうだな)
悪意や敵意、とは言い切れない。けれど、不穏な視線だということはわかった。
さすがに、個人で乗馬するという自由は与えられなかった冬月と阿星は、騎士の後ろに乗せてもらう形で、馬に同乗している。動きが制限されている分、周囲の視線には敏感になっていた。
おそらくではあるが、冬月たちには、その視線が何を意味しているのかに心当たりがあった。だからと言って、視線の主の特定には至らない。それも、ごく自然に騎士たちと談笑しながら、会話や表情の端々を観察し、たぶん『彼等』だろうな、と目星をつけてはいたけれど。
「そろそろ、雪止みそうですね。阿星、この後は多分しばらく降らないよね?」
「おう、俺もそう思うわ。この風と雲の動きなら、今夜からしばらく晴れるんじゃね?」
そんな何気ない会話の間に、目線で互いに誰に目星をつけているのかを共有する。おそらく、『彼等』は数日以内に動くんだろうなと予想していた。
世悧をはじめ、ここ数日行動を共にするオッチェンジェスタ騎士たちは、国民性もあっておおらかで気さくで、いい人たちだと思う。むしろちょっと大丈夫かと心配になるくらいのお人好しさを感じる。……だから、面倒なことには、したくない。したくはないが、……避けられないこともあるんだろうと、覚悟を決めざるを得なかった。
☽☽☽
深夜だった。ドロンの街を出てから五日余り。宿に泊まれる日が続いていたが、今夜はあいにく野宿と相成った。恐ろしく寒いが、護竜山のふもとで野営をしていたように、備えは十分。当然のように冬月たちも手伝いつつ、てきぱきとテントや風よけ、焚火の準備をして、夕飯をかきこめば、さっさと就寝して、現在に至る。
一応これでも、冬月や阿星は騎士ではなく、『偶然発見された龍使い』として、首都まで同行している――連行というには緩く、護送というには気安いため、『同行』なのだろう――ので、夜の見張りは割り当てられていない。もちろん、二人で一緒のテントに休ませてもらえるということは流石になかったし、むしろ逃亡を防ぐため、夜番の騎士たちによる見張りもあったけれど。それぞれが与えられたテントが一人用だったのは、配慮と警戒のどちらだったのだろう。
ともかく、そういう理由で、一人用のテントの中の、まだまだ夜明けの遠い時間。ここ数日晴れ間がのぞいた程度で、積もった雪が消えるほどに北部の冬は優しくはなく、夜ともなれば恐ろしく冷え込む。温熱の呪術が施された灰色の毛布に潜り込んで、冬月は寝息を立てていた。
夕方から雲が薄くかかり始めた空は、月も星も見えない。野営をしている周囲は多少開けているが、割合近くに大きな山があるし、街道を挟んで薄く長く横に広がる林もある。冬月の記憶が正しければ、林の向こうは崖になっていたはずだ。そんな中で聞こえるのは風の音と、葉擦れの音、夜番の騎士たちの小さな話し声、焚火がはぜる音。それだけの静かな夜だった。
――その静けさの中、そっと、テントの入り口を覗く者がいた。その者は息を殺し、静かに静かに、内部に侵入してくる。ゆっくりと上下する毛布を見下ろして、ぎゅっと両手で握りしめたものをさらに固く握る。
そして。
「……っ!」
その者は、固く握りしめた小刀を、冬月の心臓めがけて、振り下ろした――振り下ろそうとした。
けれど、それはかなわない。
バサッという音共に、侵入者の目の前に広がった灰色が、振り下ろされる刃を阻んだのだ。
「なっ」
灰色の毛布に突き刺さったナイフは進路を狂わせて、侵入者はたたらを踏む。
「いくら何でも乱暴じゃない?」
冬月は先ほどまでの寝息は全くの狸寝入りであったことを示すように、バッチリ開いた両目で侵入者を睥睨する。
「……くそっ」
そしてその侵入者――オッチェンジェスタ騎士の一人は、激しい舌打ちをして狼狽をにじませる。ナイフを構え直しているものの、冬月はその姿に特に脅威は感じない。年若い騎士は、冬月や阿星とそう変わらない年齢。それなりに上背はあるが、その幼さの残る顔立ちは少年にすら見える。ともすれば年下だろう。――何より、戦闘経験が圧倒的に不足していることが一目で見て取れた。
それでも、殺意は本物だろう。そのナイフを持つ手が震えているのは、少年騎士の怒りだろうか。あるいは恐怖なのだろうか。
「殺したいんですね、僕らを」
「お前がっ! お前らが……っ!」
冬月の言葉に、少年は激昂する。しかし、彼が再び襲い掛かってくる前に、テントの外が騒がしくなった。
「阿星の方の片がついたみたいですね」
「なっ、そんな、だって、」
先輩が。
そう言った少年騎士の声は、最後まで言葉にならなかった。一瞬外に気を取られたその隙を、見逃す冬月ではなかったからだ。一息で詰めた距離と、容赦なく首筋に落とした手刀。かくり、と少年騎士は膝をつき、その場に倒れた。冬月は彼が完全に気を失っていることを確認して、息を吐き出す。その間にも、外のざわめきはだんだんと大きくなり、冬月のテントにも近づいてきていた。
「『先輩』、ね。二、三人くらいに目星をつけてたけど、誰のことかな」
冬月と阿星は、感じた視線から、こういうことが遠からず起こるだろうと予測していたし、その行動を起こすだろう人物たちにも目星をつけていた。そして、今夜の夜番がその人物たちであると把握した時に、事が起こるなら今夜だと、確信を持った。
彼らが行動を起こさないならそれでよかった。冬月や阿星……『龍使い』に対して、彼らがどんな感情を抱いていようとも、あちらがなにもいわないのなら追及するつもりはなかったし、多少の居心地の悪い視線をよこしたくらいで怒るつもりも毛頭ない。そもそもが、あと数日のうちに逃亡する予定なのだ。
だから警戒はしても牽制はしなかったし、騎士たちの誰に対しても態度を変えなかった。
(でも、行動に移されたら、抵抗するしかないしね)
国々を巡る先達の龍使いたちなら、もっとうまく切り抜けたのだろうか。騒動を起こすことなく、――いや、そもそも、百戦錬磨のあの人たちなら、鱗鈴草を煎じた失敗薬を頭からかぶるなんてへまは、しないのだろう。
そんなことを短い間につらつらと考えていれば、焦った顔の世悧が、ばさりとテントの入り口を開け放った。
「冬月っ! お前、……のところも、か……」
冷めた表情で立っている冬月、気絶し転がっている少年騎士、切り裂かれた毛布、そのそばに転がるナイフ。状況をすぐに把握した世悧は、痛いような顔をして、ぐっと唇をかむ。
「……気づいているんだろうが、阿星も襲われた。あいつも自力で撃退していたけどな。……済まない」
すっと膝をついて、気絶している騎士を手早く拘束しながら、世悧は謝罪を口にする。絞り出すような声ににじむのは怒りと後悔と、困惑。
(ああ、そうか。判らないかもな……当事者でなければ)
おそらく、世悧にはわからないのだ。なぜ少年騎士をはじめとした数名が、冬月たちを襲ったのか、その動機が。
その無知は、きっとある意味幸福なのかもしれないと、冬月は思った。