19,『結末を決めるのは』
さらに数時間。真夜中に出発したが、既に太陽は頂点を過ぎた。途中、しびれを切らしたジェタが速度を突如上げ、絽凪が吹っ飛びかけるという事件もあったが、どうにか全員無事だった。なお、速度急上昇は、冬月によって絶対零度の視線とともにお叱りがあった。
命綱を括り付けさせてくれ(長さと利便性の問題から、ジェタの首に括り付けることになる)、というお願いを、激論を交わした結果、「私を何だと思っている!」と、拒否したのはジェタなので、速度制限だけは守ってほしいものである。
「そろそろ、西龍王の縄張りに入るぞ」
ジェタの言葉に、冬月たちはそっと首を巡らせるが、眼下に立ち込めている雲が厚く、まったく位置が確認できない。基本的に龍たちは自分たちの縄張りを出ないことからも、彼らは本能的に、現在地を把握できるのかもしれなかった。
冬月たちが、ジェタに感心をしていた時だった。今度は唐突に、ジェタが飛行を止めたのだ。
「「「「……っ」」」」
あんまりにも唐突すぎて、慣性の法則にしたがった冬月たちの体はぐらり、と揺れ、またもやあわや自由落下、というところだった。……が、何とか踏みとどまり。口をついて出そうになった文句はあれど、とある予感に、冬月と阿星は飲み込み、世悧と絽凪は冬月たちに口をふさがれて、強制的に押しとどめた。
「「……」」
ジェタが凝視している先を、冬月たちも追う。そして——見つけた。
雲海に紛れそうな、純白の鱗をきらめかせた……龍。冬月たちの正面右手側から、左へ向かって横切る、遠いその姿。
「……ザラー」
ジェタの静かな声で、それが西龍王であることを知る。たった一頭、どこへ行っていたのか、おそらく向かう先は、彼の巣である荒野なのだろうけれど。……先ほどの話で確認した、この世界で今、三番目に強い、龍王。
「ジェタ、お願い、やめて」
冬月はささやくように、請う。今、西龍王・ザラーと対峙するのは、よろしくない。地上ならまだしも、ここは超高高度の上空で、戦闘力の高くない絽凪もいる。ジェタが後れを取ることはないとはわかっているが、南西龍王・ジノンの時ほど、簡単に抑え込める相手でもないのだ。
「ちっ」
息をつめてジェタを伺っていると、やがて舌打ちとともに、龍気を抑え、ザラーに存在が露見しないように、雲間に身をひそめてくれた。冬月たちも息をひそめ、気配を消す。絽凪も、慣れないなりに必死に、息を殺していた。
ザラーがすさまじい速さで、飛ぶ。横切る。横切っていく。そのまま気づかず、飛び去ってほしい、と願ったのは、冬月だけではなく、その場の全員だ。
けれど。ピタリ、とザラーは羽ばたきを、止めた。背筋がゾッと泡立った。その間、ザラーは首をしなやかにめぐらせる。何かを探している。……何に、気づいた?
「……——!!!」
はっと、視線を落としたのは、冬月と阿星が同時だった。……その状態に慣れてしまったから、意識を取り戻さないまま、囚われているから、だから失念してしまっていた。
今、この場には、冬月たちだけではなかった。……というか、出発前に意識ある全員の妥協点を探った結果、ジェタの左足に括り付けられて、荷物のごとく運ばれるという状況に落ち着いた、龍の羽衣でぐるぐる巻きの、南西龍王も共に移動中だった。
意識を失ってはいても、発する龍王の気配はそのままに!
ピタリと、ザラーの乳白色の瞳が、冬月たちを捕らえた。
☽☽☽
「ひ、っっっぎゃああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」
ようやく回復したのどで、大絶叫をするのは、絽凪だった。無理もない。冬月たちも叫びたい。だってもう、ありえない。冬月や阿星が龍使いだからと、手出しできる状況じゃない。もはや怪獣大戦争というべきだ。
あの時、気づかれてすぐ、ものすごいスピードで接近され、そして始まった、東龍王と西龍王のにらみ合いから、大激突、……だけならば、まだ何とかなったのだろうけど!
そもそも、西龍王・ザラーが、齢四百の、世界で三番目に強さとはいえ、ジェタはその倍を生きる最強龍王様である。背中に乗っている冬月(たち)を落とさないように、と気遣っていることもあり、動きがかなり、制限されてはいたものの、龍気で勝るジェタは、たびたびザラーの動きを止めていた。冬月たちの予想よりも数段早く、決着がつきそうだったのだ。
が。
「うむ……。これは、私でも、まずいかもしれんな」
急にそんな、不穏なことを口走ったジェタに、聞き返す間もなく。冬月たちは、その言葉の意味を知ることになったのだ。
「「「……は?」」」
「……くぁwせdrftgyふじこl?!!?!?!?!?!!!」
冬月たちは蒼白になり、絽凪はあまりの恐怖に失神した。なぜならば……そう。雲間から、バサリと羽音を響かせて、現れた新たなる影が、……複数。
それは、桔梗紫、翠緑、濃灰、そして漆黒の鱗を、それぞれに艶めかせ、冬月たちを乗せたジェタを、包囲した。
「南東龍王、北東龍王、北西龍王、北龍王……!」
うなるように牙の間から絞り出されたジェタの声に、想像通りの最悪を知る。いっそ、壮観な光景だった。南龍王・ジークを除いたすべての龍王が、この場に集結しているなんて!
「……マジかよ……っ」
「おいおいおいおい……ははは、いくら何でも過剰戦力だろ……」
「敵の支配下にないのは、ジェタとジークだけってのが判明したけど、こんなところで判明しなくてよかったよ!!」
呆然と顔色をなくす阿星、現実逃避のから笑いをあげた世悧。冬月も渾身の叫びをあげつつ、泡を吹いて卒倒した絽凪をどうにか支える。が、ジェタが旋回したのか、がくんと重力の方向が変わり、慌ててしがみつき、かと思えば顔面すれっすれを、もはや人間の目に追えない『何か』がかすっていく。
「「「っっっっっぎゃあああああああああああああああ!!!!!」」」
もう、冬月たちは恥も外聞もない、大絶叫である。
五方向からの突進、爪撃、尾による打撃、旋回しての回避、火炎、毒、風による斬撃など、様々な攻撃が吐き出され、さらには天候までもが渦巻いて、雷の嵐となっている。さすがのジェタも、五対一というこの状況は不利なようだ。全龍を従わせる龍気を放つには、さすがにためがいるだろうに、そんな余裕はみじんも与えられず、回避回避回避反撃回避反撃、と防御優先にならざるを得なかった。
(このままじゃジリ貧だ!)
何かないか。なにか、この状況を打開する術は。冬月たちを背に乗せているから、ジェタは本気で動けない。……が、こんな高高度から降りれるわけもない。否、冬月と阿星はたぶん、飛び降りても龍使いの装備があるので生き残れるが、世悧と絽凪は無理だろう。
かつて、オッチェンジェスタ国にて、崖から落下したときに、世悧を支えつつ龍使いの装備・鱗傘を使い、無事着地したことがあったが、あれは世悧一人に冬月と阿星二人がかりだったから支え切れたのだ。いくら絽凪が平均より軽くても、成人男性。冬月と阿星だけで、世悧と絽凪を抱えて、無事に地上まで降りる自信はない。
(どうする? どうすれば……、!)
はっと気づいた冬月は、目も眩むほどの巨大な炎を吐き出したジェタに、怒鳴るように声をかける。
「ジェタ! 何秒あればここから脱せる!?」
「、三秒だ!」
一瞬の戸惑いを切り捨てて、叫び返したジェタ。冬月はペロリ、と乾ききった唇をなめる。
「……了解っ!」
何をする気かと、阿星と世悧の戸惑いが伝わるが、冬月はそんな二人に叫んだ。
「阿星、隊長! 僕と絽凪さん、落ちないように抑えててください!」
「は、……はぁ!?」
「お前一体、何を……!」
阿星と世悧はがくがくと絶えず上下するジェタの背中の上で、これでもかと目を見開いたが、反射的にそれぞれ、冬月と絽凪の肩をがっちり抑えてくれた。冬月は説明する時間すら惜しみ、準備を始める。懐から出したのは、常に常備している遺灰と清水を混ぜたものをつめている、小さな瓶だ。
「まさかっ」
察したのだろう、阿星は正しい。
「そういう、こと! 結界を、張る!」
一つも間違えられない呪術記号を、足場が不安定なこの状況で、描く。迷いなく、一心に。
「龍王相手だろ、お前……!」
「持たせて見せます!」
世悧の声にたたきかぶせるように、叫び返す。——冬月は、麗々や羽異ほどに、優れた呪術師ではない。けれど、唯一冬月だけが、彼らには困難なことができる理由がある。
冬月は龍使いだ。その呪術は、龍にはじかれる王気ではなく、龍気によって、発動する。
……ゆえに、ジェタの背中に描いた呪術陣は、拒まれることなくその威力を発揮することができるのだ。
(主たる記号は、『背を向けあう双剣』『円を成す盾』。でもそれだけじゃダメだ。『泰然たる君主』『忠実なる光輝』『解けぬ円環』『絡み合う抱擁』……!)
補完しあい、高めあう、補助記号を刻んでいく。間違えぬよう、ゆがまぬよう、反発せずに調和するように。
そして。
「っ、行くぞ! 『結界』!!!!」
五方向から途切れぬように連携し、攻撃を加えてくる龍王たち。その中央、ジェタを囲むように、巨大な薄青色の結界が、展開した。と、同時に重い音が幾重にも重なってとどろく。そろそろ、耳がバカになりそうだ。結界がゆがむ。撓む。揺らぐ。でも、まだだ。まだ耐える。耐えろ。
「あと、すこし、」
呪術を維持する冬月は、全身に汗をかいて耐える。阿星が抑える肩には、痛いほどに力が入っている。それでも。
ぴき、……ぱりん。
ひどくあっけない音で、それは崩壊し。
(足りなかっ……)
迫りくる五頭の王に、絶望を抱いたその時。
「よくやった、冬月」
ひどく甘い、ジェタの声がして、次の瞬間。
——天地を裂くような、光の柱が、……否。『光』ではない。ただ、これは、目が灼けるほどの。天地を割るほどの。理不尽なまでに巨大な、『龍気の塊』だった。
「出直せ、小僧ども」
それは、有無を言わさず、この世で二番目に強いとされる北龍王・ジャリスすらも、動きを完全に凍り付かせる威力を持っていた。
けれど、南西龍王・ジノンの例を見るに、それは暴走を招きかねない。また、龍型のままの龍王五体を拘束するのは、無謀するぎる。ゆえにこそ、この時ばかりは状況を見誤らなかったジェタは、大きすぎるほどの隙をついて、今出せる最大速度で、その場を離脱したのだ。
——————————————————だけれど。
それは、全員の油断といえば油断だったし、限界といえば、限界だったのだ。
急加速にかかる圧力で、意識のない絽凪の体を支え切れず、ずるりと滑り。
それを慌てて支えなおす世悧と、一瞬気を取られた、冬月と阿星。
そして、先ほどの呪術で、まだ自身でジェタにしっかりとしがみ付くには、体勢が整っていなかった冬月と、ほんの少しだけ手から力が緩んだ、阿星。
いくら何でも急には止まれなかった、ジェタ。
「っ」
絽凪は、無事に世悧に支えられた。空中に放り出されたのは、冬月の華奢な体だけだ。
「げっ」
それは誰の口からこぼれた声だったのか。ただ、冬月・阿星・世悧・ジェタまでもの全員が全員、ぽかん、と口を開けていたのが、いやに記憶に残った。
「っそだろおいこれ待って……下で拾ってえええええええええええ……!!!」
今までにない奇声をあげて、冬月は落ちていく。一瞬で、硬直したままの龍王たちが視界から遠のく。ジェタなんて止まれないまま加速したから、とっくに視界の外だ。
戦闘で、ずいぶんと場所や高度が移動していた。ここはどこだろうか。判別できない。とにかく、冬月は無我夢中で、鱗傘だけは開く。バッと衣が広がって風を受け、速度が落ちた。ただ、思っていたより高度が低い。ジェタが旋回して下に落ちるより先に回収してくれる、というのは期待できそうにない。
そうして、最悪なことに、着地点として目の前に迫るのは、巨大な川。回避すらできないほど巨大な……ああこれ知ってる、世界最大の川だろ、そういやこの辺だったかもなあ!!!
「ぐっ」
そこにたたきつけられた瞬間、全身が砕け散るような衝撃に、冬月は何もわからなくなった。
☽☽☽
男はほくそ笑む。龍の翼を彫り込んだその手の甲を見ながら、ただ笑む。
男には、これからまだ大仕事が残っていた。しかしそのためには、必要な駒がもう一つある。
「冬月……。やはり、あの力は、使える」
上手に、使って見せると、男は嗤った。
「——さあ、歴史を繰り返そう」
男は空を見上げて言う。晴れ渡ったそれには似つかわしくない、暗い瞳だった。
しかし、と男はつぶやく。
「結末を決めるのは……」