18,『それは人間の感覚である』
——はるか南西、上空にて。「人間が耐えられる速度で飛んでくれ、お願いだから!」という冬月の絶叫を聞き入れ、ジェタはどうにか、最も運動能力が低い同行者・絽凪がしがみついていられる、ぎりぎりの速度で飛行していた。
「まったく、本来の私の速度ならば、すぐ着くのだぞ? こんなにゆっくり飛んでは、一日かかってしまうではないか!」
「その場合、目的地に着くのはお前だけだからな。僕らは全員、地面に向かって真っ逆さまだよ!」
不満たらたらなジェタに、バシバシと冬月はその後頭部をはたくが、はたかれているジェタはといえば、「人間というのは、もろすぎるものだな!」などと笑っており、まったくもって痛痒を感じていないようである。
「うん、……東龍王殿が、冬月に関心を向けていてよかったというべきなのか……複雑だ」
「冬月がいなきゃ、そもそも東龍王さんが背中に乗せてくれるわけないっすもんね。……彼のストーカー行為には、思うところはあるっすけど」
「ひいいいいいいいいい! 高い! 早い! ひえええええええええええ」
もはや悟りを開いたかのような瞳で、しみじみとこぼす世悧と阿星、ひたすらおびえている絽凪、という三人は、ジェタと丁々発止のやり取りをしている冬月を、おおむね生暖かく見守っていた。……いや、本音では、言いたいことはいろいろとありそうだが、ジェタの背中に乗って超高高度を飛行中の現在、飲み込んでいるようである。
ともあれ、どうにか落っこちることもなく、南西の大国・インデージア帝国から、現在向かっているのは、砂漠地帯、西の入り口だった。
国土の一部が砂漠化していたり、砂漠地帯に面している国は、全部で五か国だ。南のゴダ国とホノミ王国、西のトーニスカ国、北のユメリザンナ共和国、そして東のヒューマド王国である。
インデージア帝国の帝都・ホノロアティスから、直線距離で進むのならば南の国々のほうが近かったのだが、砂漠の民と交流のある絽凪曰く、彼が聞き及んだ話通りであれば、恋人である輝の所属する集は、西の入り口からほど近いオアシスに滞在している可能性が高いという。
「移動には、ある程度の周期と規則性があると聞いたのだ。それが変わっていなければ、間違いない」
出発前にそう語った絽凪は、それはそれは頼もしかったのだが、ジェタに乗って飛翔した途端、へっぴり腰で大絶叫だった。気持ちはとてもわかるが、さすがにそろそろ慣れてほしい。数時間叫びっぱなしで、のどがつぶれかけであるのに、まだ絶叫している。まったく同じ顔面を持っている世悧は、そんな絽凪を見て、大変微妙な表情を隠しきれていない。
ちなみに、今回の旅路では、やはり絽凪は身分を隠したお忍びであるので、顔を隠す薄布は取り払っている。ゆえに、もしも現地の人々に追及された場合は、『双子です』と言い張ろうと全員で意見は一致していた。『他人の激似です』と押し通すには、寸分たがわず同じ顔であるので、面倒くさいという主張について、否定はどこからも上がらなかったのである。
ともかく、高速飛行も、始まって数時間。ようやく慣れたのか、あるいはとうとうのどがつぶれたのか、絽凪も静かになったころ。快適かと聞かれれば残念ながら否定するしかないものの、特に何も起こらず平和な移動時間。冬月たちは、絽凪にのど飴を提供しつつ、雑談に入っていた。
「……そういえばさ、ジェタ。君、離れていても自分の一族の状況が分かるって言ってたよね? 隊長たちから、汰浦宰相たちの話を聞いて、ちょっとオッチェンジェスタ国の様子が気になってるんだけど、何かわからないか?」
ふと、冬月は思い出し、何気なくそう尋ねた。かなり前のことではあるが、王であるジェタが、冬月一人を追いかけてこんなにも長期間、縄張りを離れて大丈夫なのか、と聞いたときに、遠く離れた場所からであっても、一族の様子はわかる、ということを言っていたのだ。
ピクリ、と世悧が反応したことも、阿星がじっと耳を澄ましていることも、絽凪がぱちぱちと目を瞬きつつ、注目していることも、もちろん冬月は気付いている。
そしてそんな冬月たちに、大変軽い感じで、ジェタは答えた。
「うん? ああ、あちらは、珍しいことが起こっているな。どうも、ジャリスも面倒なものにとらわれているようだからな」
「『ジャリス』……ああ、北龍王か。そうだな、北龍の襲撃状況はおかしい状態がここ一年以上続いていると、聞いているよ。……でも、『珍しいこと』って……?」
嫌な予感を抱きつつ、冬月は問う。すると、やはりぺろりと、言った。
「ああ、北龍どもが、東の地にも来ているようだ。珍しいだろう?」
「「「は?」」」
「まあ別に、それで私の一族が困ることはないから、気にしてはおらんがな」
「「「……はぁ!?」」」
目をかっぴらいて、冬月たちは驚愕した。季節外れの雪ですね、くらいの調子で、本当に何ら気にした様子なく、言ってのけたジェタを、冬月たちは凝視する。
「は……、ちょ、待ってくれジェタ。そ、それ、……いつから……?」
「ひと月ほど前からだと思うが? それがどうした?」
ひと月。つまり、大体四十五日ほど前から、起こっていた、と。
「「「……」」」
言えよ、と思う。ものすごく。だがしかし、それは人間の感覚である。今、ジェタが悠々と縄張り外を飛行しているように、龍たちにとって、自分たちの縄張りの範囲は認識していても、別にそこに他の龍が入ってきたからといって、意識するようなことはないのだろう。だからこその、あっけらかんとした、このジェタの反応である。
ただ、今の情報から、推測できたことはある。
「……東の国に、何かしら、奴らの目的があるのかもしれないな」
「そうですね。というか、むしろジェタも、たぶん狙われていたのでは? 僕をストーキングしていて、不在だったから、被害にあわなかっただけ……とか」
「……あー……。そういや、俺らが里を出た直後くらいから、北龍や南龍の襲撃状況がおかしい、って噂聞いたよな。……つまり、……間一髪?」
世悧の指摘に、冬月と阿星がうなずく。冬月は考えつつ、さらに口を開いた。
「かも。どういう基準で狙っていったのかはわからないけど……。でも、もしかしたら、東西南北の龍王たちを、優先的に狙ったのかもしれません」
それに首をかしげたのは、世悧と絽凪だ。代表するように世悧が尋ねる。
「ん? どういうことだ?」
「えっと、基本的に、年齢……生きている年月が長ければ長いほど、龍って強いんです。だから最年長の龍であるジェタは、今のところ一番強いってことになるんですけど。でも、龍王たちはちょっと違う基準があるみたいで……。東西南北の龍王のほうが、南東、南西、北西、北東の龍王たちより、強いらしいんですよ」
なあ、と冬月はジェタに話を振った。
「まあ、そうだな。たとえ同じ年月生きていても、南東などの龍王の強さは、私たちの半分くらいだ」
半分、と聞いて、そこまで正確には把握していなかった冬月と阿星も、世悧・絽凪と同じように目を瞬く。
つまり、ジェタの話を踏まえると、現在の龍王たちの強さの序列は、こうなる。
【強】
東龍王:ジェタ(八百歳)
北龍王:ジャリス(六百歳)
西龍王:ザラー(四百歳)
北東龍王:ゼティー(七百歳→実質の強さは三百五十歳程度)
北西龍王:ゼスタ(五百歳→実質の強さは二百五十歳程度)
南龍王:ジーク(二百歳)
南西龍王:ジノン(三百歳→実質の強さは百五十歳程度)
南東龍王:ザクラ(百歳→実質の強さは五十歳程度)
【弱】
「なるほどな。同じ龍王なのに、東龍王殿があんまりにも南西龍王を圧倒しているとは思ったんだよな……」
腑に落ちた表情を世悧が浮かべた。
「東はともかく、僕らが旅の最初のほうに通過した南東の国々では、龍の襲撃の異常はありませんでした。それに、南西龍の襲撃状況がおかしくなったのも、南や北より遅かったんですよね?」
冬月が問えば、絽凪はうなずく。
「つまり、強い方から攻略していったかも、ってのは大体あってそうっすね。……俺でもそうするかもしれないっす」
やや皮肉気に、唇をゆがめた阿星に、冬月たちは視線で理由を問う。阿星は苦笑をこぼした。
「だって、結果的に龍たちは、ほかの龍王の状況にほとんど無関心に近いっすけど、そうなるかどうかはやってみなきゃわかんないし。なら、邪魔しに来られたら面倒なところを優先的に攻略するってのは、あると思うんすよね」
そういわれれば、確かに納得できるものがあった。世悧も阿星も、ジェタがジノンを、一ひねりで抑え込んだ場面を目撃しているのもあるのだろう。
「……つまり……東龍王殿が、冬月をストーキングしていたのは……結果的に、俺らにとって良かった、ということになってしまうのか……?」
「「……」」
世悧がボソッとつぶやいた、その言葉だけは、理解できるが素直に肯定したくない、微妙な気持ちがわいた。世悧の声はごく小さく、さらには飛行中でびゅうびゅうとした風音もすさまじいというのに、しっかり聞き取ったジェタが、喜色をにじませて笑ったのも、さらに微妙な気持ちを増長させたのだった。