16,『優秀な情報源(Side庵哉)』
——冬月たちが、世界初・高速移動@東龍王を、満喫している……とはいいがたい、ちょうどそのころ。はるか東の大国にて、オッチェンジェスタ国軍大臣・庵哉は、深いため息をつき、眉間にもこれまた深い深いしわを刻んでいた。
庵哉の目の前に積み重なる報告書には、オッチェンジェスタ国内各地での、北龍からの襲撃被害が、びっしりと列挙されている。
そう——今、オッチェンジェスタ国は、未曾有の事態にさらされていた。
「なんてことをしてくれたのだ……汰浦……それに、亥良」
まだ春も浅いころ、国王・珮人御塙が庵哉へと示唆した、『敵は、龍だ』という言葉。その時は、まさか東龍ではなく、北龍がこの東の国へと襲撃を始めるなど、夢にも思っていなかった。
それが始まったのは、ほんの一月ほど前のことだ。黒をまとった龍が飛来し、とある村を壊滅に追い込んだ、という信じがたい知らせが舞い込んだ時、庵哉は己の耳を疑った。なぜならば、ここは東に位置する、八大国の一角……東龍の巣を擁する国なのだ。縄張りを超えて、龍が襲撃をするなど、見たことも聞いたこともない。書物の上ですらだ。
(しかも、北東龍や南東龍ですらなく、北龍が!)
信じがたい知らせは、けれど襲撃された村で発見された、漆黒の鱗の欠片を見せられれば、疑う余地もなかった。この異変に、急ぎ、北龍の巣である島を擁する、八大国北の一角・フラースト国へと伝令を送ったが、返答は芳しくないものだった。
わかったのは、かの北国でも襲撃状況が激化しており、他国にかかずらっている余裕がないということだ。むしろ、北龍の襲撃がオッチェンジェスタ国にも向けられることで、北の国々への襲撃頻度がほんのわずかでも和らぐのではないか、と、喜んでいる節が見受けられた。
結果として、何も有益な情報を得られぬまま、庵哉たちはひたすら、対処に奔走することとなった。
けれど、王の命による事前準備が功を奏した。新調した武器を十分に味方へと支給し、拡大した食料や医薬品の備蓄で被害地域を支援できている。さらに、呪術師たちの招集も迅速で、土地を調査済みだったおかげで国民の避難も順調だった。……それでも、龍の襲撃による被害は、日に日に深度を増し、国内には不安が広がっている。
否、既に近隣諸国にも、北龍が縄張り外であるオッチェンジェスタ国を襲撃している、という情報は広まりつつある。今はまだ北、北東、南東の国々まででとどまっているようだが、世界中が混乱するのは時間の問題だろう。
故に、御塙は先んじて八大国間で、まずは会合を開くことを決め、庵哉たちはそれもあって、忙殺される毎日だ。
「……まったく、陛下は、どこまで読んでおられるのか」
思えば、御塙は北龍の襲撃、という前代未聞の急報に、周囲ほどには驚愕をしていなかったようだ。おそらくは事前に、彼の『優秀な情報源』から、報告として聞き及んでいたのだろう。……その『優秀な情報源』が『誰』なのか、あの春浅き日に知らされた時には、驚嘆したうえで、この上なく戦慄したものだが。
だがそれでも、元宰相・汰浦が亥良とともに逃亡した、悪夢のような一日には及ばないだろう。庵哉は書類を高速で処理しながら、その日に至るまでのことを思い起こす。
汰浦が国を裏切っていることは、王の『情報源』からもたらされた決定的な証拠とともに、軍部高官に知らされていた。庵哉が初めて耳にしたのは、晩春のとある夜だ。またも御塙の執務室に呼び出され、知らされたのだ。
「陛下! それは間違いないのですか!? 汰浦宰相が『黄玉』で……!」
「ああ。奴は畏れ知らずにも、龍を創ろうとしている。……庵哉、お前にも紹介した『彼』からの情報だ、誤りはない」
震える声で問うた庵哉に、御塙は厳しい表情を崩さずに淡々と答えた。ぐう、と喉の奥を鳴らし、庵哉は唇をかみしめる。
庵哉にとって汰浦は、前国王時代からゆるぎない地位を築いた、生粋の貴族であった。白髪に豊かな髭を湛え、青い瞳は聡明で、穏やかな顔立ちの好々爺然としたたたずまい。けれど、決して弱弱しくはなく、年齢を感じさせないしゃんと伸びた背筋と、鋭い意見をもつ、王の右腕だ。若くして即位した御塙を広い視野と深い見識で、長年支えてきた。
そんな男が、いったい何を考えて、『人造生命』……『龍を創り出す』などという恐ろしい行為に加担しているのか。
「いつから、ですか?」
「さあな。『黄玉』がいつからそこまでゆがんだのか、汰浦がいつからその思想に染まったのか……それは私にも知りえない。ただ、汰浦が早くからあの組織に所属していたことは確かだ。……あれは『十六人の円卓の賢者』に名を連ねている」
ぐるり、と手に持ったペンを回して吐き捨てられた言葉に、庵哉もまた、表情をゆがめた。
『黄玉』は、龍の色になぞらえて、八色で構成員が組み分けされている。さらに役割ごとに所属が異なり、研究して知識を蓄える『勾玉』、技術開発の『鏡』、実働部隊である『剣』の三つに分かれているのだ。
なおかつ、実力者には順に番号を振られており、例えば『青』に振り分けられる『勾玉』『鏡』『剣』は、それぞれ百番まであるという。
つまり『黄玉』とは、少なくとも二千四百人の実力者から成り、加えて番号を持たない構成員も無数に抱える、大規模な組織なのだ。そんな組織の頂点に立つのが、『十六人の円卓の賢者』である。
そのうちの一人が汰浦なのだと、御塙は言った。
「国としては、情報流出の危険も懸念されて、あまり推奨されることではない。が、そもそも『黄玉』の始まりは、八大国で連携して作られている対龍機関だった。八大国の手を離れて久しいが、それでも、所属することを禁じる法律はない」
御塙の苦味が多分に混じる言葉は、正しい。……『黄玉』の理念が形骸化しようとも、その運営が、とっくに八大国の手を離れていようとも、それでも天空を舞う脅威たる龍に対して、少しでも人間が抵抗をするために、無力でいないために、必要だとされてきた組織だったのだ。
……救われた事例が年々、ほんのわずかずつ減っている事実もあり、龍使いがじわじわとその数を減らしているのではないか、という憶測が、ここ何年も様々な国でささやかれていた。それも、余計に『黄玉』の存在意義をあらゆる国々が、暗黙のうちに認めていた理由だろう。
「……それでは、陛下。教えていただけますか。『彼』を通じて、宰相が外道な実験をしていることは、もうずいぶんと前から、情報をつかんでおられたのでしょう? そうであれば、もっと早くに宰相を捕らえることができたのではありませんか? いまだ、野放しにしていらっしゃるご理由は何です?」
グッと歯噛みして込み上げる激情を飲み込み、あくまで冷静な声音で、庵哉は尋ねる。
「ああ、汰浦は用心深く、なかなか尻尾をつかませない奴だったが、一年ほど前から動きが大胆になったからな。だが、手繰り寄せねばならんものは、汰浦の悪行だけではなかったのだ」
どこか、痛みを耐えるような色を映した瞳で、御塙は深くため息をつく。そして、ばさりと執務机に投げ出されたのは、分厚い報告書の束だった。
「読んでみろ」
「はい」
庵哉は躊躇なく手を伸ばし、報告書に目を通す。そして、見る見るうちに、その表情はこわばっていった。
「陛下、これは……!」
庵哉の手元の報告書には、はっきりと明記されていた。世界各地で問題となっている、龍の襲撃の頻発化。それさえも、汰浦と『黄玉』、そして……『龍使い』による企てであるのだと。
「協力者である呪術師の所在、そして龍使いたちの拠点は、いまだ割れておらんのだ。今、汰浦を捕縛すれば、奴らにつながる糸が途切れてしまう」
ぱらぱらと、ほかの書類にペンを走らせながらこぼす御塙は、不本意極まりないといった表情だ。
(龍使い……龍使いだと……!?)
一方、庵哉の顔色は真っ青である。……なぜなら、この世界の誰もが、一度は恐れたことがあるだろう、龍使いの異能の悪用……それが実際に起こっているというのだから。
さらに、庵哉の脳裏には、かわいがっていた元部下の顔が過る。龍使いの少年二人とともに行方をくらませた、世悧。彼は至極無事に逃げ延びて、案外仲良く同行者二人と旅を謳歌しているようだと、世悧の実兄・那依悧からの話がもたらされたのだが……。
(龍使いが、龍の異変の原因ならば……!)
まさか、世悧もこの事態にかかわっているのだろうか。同行している龍使いの少年二人は? 少年たちに会ったことのある、騎士たちの話では、悪印象は持たなかったが、汰浦のような例もある……。
焦燥に、思考が鈍り始めた、その時。
「ああ、安心しろ。お前のために、ちゃんと調べておいた。……報告書の続きをしっかりと読め」
「!」
御塙に言われて、はっと続きを読み始めた庵哉は、その内容に、今度は少しだけ、肩の力を抜く。
(……世悧め、あいつも『黄玉』に所属していたのか。まあ、性格を考えれば、『最初の理念』を信じておったんだろうが……。ともかくも、すでに実質、『黄玉』から抜けているようだな。龍使いの少年二人も……、里に反旗を翻した側、だとは)
情報源の『彼』が、いったいどこからどう調べつくしたのかはわからないが、とにかく世悧と同行している龍使いの少年たち……冬月と阿星は、龍使いの里や『黄玉』には加担していないどころか、思いっきり邪魔をしているらしい。
(そして目を付けられ、狙われている……ようだが、今のところ捕まったという情報はなし、か。ひとまず安心してよいのだろうか……)
曰く、南龍の巣に乗り込んで、操られていた南龍王を解放したとか。道理で、南の国々の混乱が、落ち着きつつあるわけだ。……いや、八大国南の一角・タラスジェア帝国内部は、いまだかなり混乱しているという話も聞くが、ともかく南龍による襲撃頻度は例年並みに落ち着いてきているという話は、庵哉にも届いている。
うん、何がどうなってたった三人で南龍の巣に乗り込む、という無茶を敢行するに至ったのかは、さすがにこの報告書からは読み取れないが、なんにしろ、行動力ありすぎである。庵哉は懐かしき元部下・世悧の、非常にお人よしな性格を思い出し、……ああ、あいつ、やりそうだな、と思った。庵哉の麾下であった時も、割と当たり前のように、無茶をする男であった。
そうして、わずかに安堵を得たのもつかの間。数か月かけて、汰浦に慎重に探りを入れた結果、つながっている呪術師や龍使いの拠点について、辿れそうだという情報が入ったのだ。ゆえに、軍上層部、中でも口が堅く信頼がおける者たちを集め、水面下で捕縛の準備が進められていた。
けれど、ようやく準備が整いそうな頃、北龍による襲撃が始まったのだ。結果、庵哉をはじめとした軍部は、その対応に追われることになり、捕縛作戦はいったん凍結されてしまった。
……このタイミングの良さは、おそらくは庵哉たちの動きが、ある程度汰浦たちに予測されていたのだろう。どれほど秘匿しようとも、相手は長年宰相の座を務めた、老獪な男である。わずかな違和感から、状況を読まれてしまった可能性はある。
捕縛前に逃亡されてしまう可能性を懸念してはいたが、前王時代から築き上げられた汰浦への周囲の信頼は厚く、準備が整い切らないままに動けばこちらが糾弾されかねない。北龍への対応で駆け回る裏側で、じりじりと機を伺っていたのだ。
が。事態が急変したのは、ある日、王城に飛び込んできた、那依悧と狗右悧……元部下・世悧の実兄二人に、原因があるのである。