15,『それこそが、』
「曲? 歌じゃなくて、か?」
龍が楽器を奏でる印象があまりないので、冬月は思わず聞き返した。
「うむ。歌詞は聞いたことがないな。由来は知らんが、昔からある曲でな、若い龍がバカをした時などに、奏で聞かせるのだ」
「「「へー……」」」
不思議な文化だなあ、と冬月たちは聞き入る。歌や曲を聴かせる、というと、人間の間では、祭りだったり、歌劇だったり、あるいは子守唄だったりの場面が浮かぶが、龍の間では叱るときに曲を聴かせるのか。
「あ、でもよ、昔っからよく聞くけど、歌詞はないって曲、人間の間でもあるよな? あれはどっちかっていうと、神にささげる聖曲って扱いだけどな」
思い出したようにポン、と手を打ったのは世悧だった。冬月と阿星は、ああ、と納得の表情を浮かべ、ジェタはきょとん、と首をかしげる。
「『創龍賛歌』っすよね。教会とかでよく演奏されてる。そういや、『賛歌』なのに歌詞はないっすね、あれ。まあ、珍しいけど、そういう場合もあるって聞くし、そもそも古い曲だから、どっかで歌詞が失われたってのが定説らしいっすけど」
阿星がジェタへの説明も込めて、確認のようにそう語る。そして、ついでとばかりに、『創龍賛歌』のさわりの部分だけ、鼻歌を歌った。
「……って感じの曲で……あれ? 東龍王……さん? どうしたんすか?」
怪訝そうな阿星の声に。冬月と世悧がジェタを振り返ると、そこにはどこか、幼げな表情をした東龍王がいた。冬月もいぶかしみ、トン、とその腕を軽くたたく。
「おい、ジェタ? 今の曲がどうかしたのか?」
「いや……なんとなく、不思議な気持ちになっただけだ。よくわからん」
本当に自分でもわかっていないのだろう、ジェタはしきりに首をかしげている。けれど答えが出そうもないので、意識の切り替えも兼ねて、冬月はもう一度、トン、とジェタの腕を軽くたたいた。
「じゃあさ、ジェタ。お前が知ってるっていう『男神の楔』も聞かせてくれないか? 南西龍王……ジノンの言葉からすると、何か関係がありそうだし」
そっとジノンの方に視線を流せば、ジェタも同じく、ぐるぐる巻きのまま、いまだ転がされている彼を横目で見て、ふんっとどこか得意げに鼻を鳴らした。
「仕方がないな」
そうして、するすると薄青い『龍の羽衣』が指先から紡ぎだされ、小ぶりなハープがあっという間に形成された。思わず見入っていたが、聞くところによると、こうして『龍の羽衣』でハープを作ったり、石や木を加工したりと、案外そういった嗜好も龍の間で楽しまれているらしい。先の話で出た、叱るときに聞かせる、というのも、大抵は奏でる龍自身がが楽器を創り出すのだそうだ。
(綺麗、だな)
太陽の光を浴びて、薄青いハープを構え、長い指先を添えるジェタは、言い表しようもなく美しく、魅入った。この場だけが切り取られたかのような、一瞬の静寂。
けれど、その曲が奏で始められた瞬間。冬月は強烈な引っ掛かりを覚えた。
(え? なんだ? なにが引っかかってるんだ?)
ここまで出てきているのに、つかみきれない、そんな気持ちの悪さがあった。曲はまだ続いている。叱るときに奏でる、というからか、落ち着いた、やや重い曲調だ。ただ、単調ではない。
記憶を手繰る。どこかで、聞いたことがあるのか? 否、そこまで音楽に触れる機会が多かったわけではないし、龍の間でだけ伝わっている曲なら、ほかのどこで聞いたというのか。では、似ている曲を知っている? いや、そういう引っ掛かりとは違う。聞いた、というよりは、どこかで、何かに、そう……何度も目にして、何度も読んだ、あの……。
(あの文章を読み上げるときに、つい、節をつけて口ずさんでしまった時の……)
戦慄した。
もし。——もしも、今、頭の中で組みあがった仮説が正しいのならば。
「……き。……とう……。冬月? 冬月!!!」
肩を強くゆすられて、はっと冬月は思考の海から、現実に意識を戻す。瞬きをすれば、心配そうにこちらをのぞき込んでいる顔が三つ。いつの間にか、ジェタの演奏は終わっていたようだ。
「何度呼んでも返事しねえし、冷や汗かいてるし……大丈夫かよ、冬月」
「どうしたんだ? ひどい顔色だぞ? まさか、まだ怪我の影響で、体調が悪いのか?」
「私の演奏がそんなに悪かったのか!? そんな馬鹿な……!」
手拭いで冬月の額の汗をぬぐう阿星、熱を測るように首筋に手を当てる世悧、大分見当違いな方向にショックを受けているジェタ。
「……すみません、今、僕……とんでもないことに気づいたかも、しれません」
「え? ……え?」
動揺のまま、冬月が声を落とすと、困惑したような声を阿星が挙げ、世悧は瞬きをしつつ、阿星と冬月、ジェタを順番に見る。そしてジェタは首を傾げ、問うた。
「どういう意味だ、冬月」
「今、ジェタが弾いてくれた曲……もしかしたら、それこそが、南西龍王を縛っている、ものなのかもしれない」
「「「は?」」」
☽☽☽
数日後、冬月たちは高速で移動していた。
——真夜中から始まり、夜が明けきってもずっと、話し込んでいた冬月たちだが、そこからさらに一日たった頃には、冬月たちは森……ではなく、インデージア帝国帝都・ホノロアティスにある王城にて、完全防音と人払い、さらに念には念を入れて目くらましの呪術まで併用したうえで、一堂に会していた。
室内では、呪術をかけなおして完璧に男装した冬月、阿星、世悧、そしてジェタが大きなソファに並んで座っている。さらにはぐるぐる巻きのまま意識はいまだない、南西龍王・ジノンもいるが……まあ、ジノンはその状態のまま、部屋の隅のソファに転がされている。
そんな冬月らの対面のソファには、インデージア帝国皇帝・『那王』熾播佳寿羅、第一皇子・『一宮』絽凪、第二皇女・『四宮』麗々が並んで座っている。
「「「「……」」」」
「「「……」」」
向かい合う七人の間には、重い、重い沈黙が横たわって久しい。
(なんでこうなったんだ……)
あの、森での話し合いの後。冬月たちは満場一致で、どうにかして早急に、砂漠の民の持つ情報を確かめなければならない、という結論に達したのだ。砂漠の民が、何をどこまで把握しているかはわからないが、それでも手がかりくらいはつかめないか、藁にも縋る思いではある。……けれど、もしかすれば彼らこそが、ジノンを『楔』から解放するカギを握っているかもしれないのだ。
となればやはり、なるべく手間や確執を避けるためにも、砂漠の民の女性と恋仲だという絽凪の協力を仰ぎたい。そうすると、麗々が戻ってくるのを待つのが、一番効率がいいのは明らかだった。
(……いや、麗々さん、数日かかるって言ってたけど、ものすごく頑張って後処理と根回ししてくれたみたいで、翌早朝には来てくれたんだけど)
留剛の葬儀の手配、工芸都市・ハレウィークへの連絡と諸々の状況の辻褄合わせ、汰浦と亥良が、すでに国際指名手配されていることが判明したことを受けての、国内への警戒の呼びかけと捜索手配、世悧らが対峙したという『異形』の秘密裏な回収・解剖の指示……等々。留剛の件で、心に受けた傷は深いだろうに、それでも立ち止まることなく、毅然と動いてくれたことには感謝しかない。
だからこそ今、冬月たちは麗々の呪術で帝都へと戻り、——ジェタとジノンは、龍王であるため、呪術をはじく恐れがあったので、ジェタが翼でひとッ飛びしたが——その足でそのまま密談へと直行したのである。
重い重い沈黙は、……まあ、大体龍王二人の所為ではあったのだが。
(だから、宿で待っててくれって、あんなに言ったのに……!)
ジェタが素直に待っているわけがなかった。そして、南の大国・タラスジェア帝国でも難なくやって見せたように、この最強龍王様がその気になれば、インデージア帝国の王城に忍び込むのもたやすいのだろう。ジェタを止める労力およびそれにかける時間と、この部屋に横たわる沈黙の気まずさを天秤にかけ、冬月たちは、気まずさを我慢することを選んだのである。
(せめてジノンは、宿に置いてきてほしかったけど……断固拒否だもんなあ)
まあ、ジェタからすれば、龍王の一角が、訳の分からない方法で操られて、それがいまだ解けていない状態で、自分の目の届かないところに放置などできない、ということなのだろう。その主張はわかるし、賛成だ。……だから、ジノンとともにジェタが、宿でお留守番しててくれるのが、一番だったのに……ジェタは、冬月から目を離すこともまた、断固拒否だった。
(……ジェタのおかげで生きてるけど、ジノンに首を絞められて、かなり危なかったもんな、僕)
いまだに、冬月に着いてきていた理由を語らないジェタであるが、言動からして冬月への興味・関心・執着が薄れたわけではなさそうである。……認識が変わったのか、心境が変わったのか、それともほかに思うところがあったのかはわからないが、薄れたどころか、むしろ深まったような気もする。だからこその、別行動断固拒否なのだろう。
そんなジェタが、当たり前みたいな顔をして、ジノンを引きずりつつ、この部屋へ入室したときの、那王と絽凪の顔は、引きつり切っていた。
麗々には、一応森で別れる前に、ジェタとジノンが東龍王と南西龍王であることだけは伝えていた。よって、おそらく彼女から、青をまとった男が東龍王であることは聞いていたのだろう。それを考えれば、那王たちの反応は、かなり穏当なほうだと思う。
(『セクハラ男』でジェタのことを認識している、麗々さんがいるからこそ、引きつるだけで済んだのかな……)
なお、麗々のジェタへの認識は、いまだに覆っていない。そして残念ながら、冬月たちのうちだれも、ジェタの言動を擁護できなかった。だって、冬月達三人の中でも、ジェタの認識は『冬月のストーカー』で固定され、覆っていない。
しかもこの東龍王、相変わらず全く空気を読まないので、当たり前みたいな顔をして、引きずっていたジノンを持ち上げ、のたまったのだ。
「うむ、ちょうどよい椅子があるな。ジノンはここに置いておくか!」
そして遠慮なくソファに寝かせられるジノンを、ものすごい目をして那王たちが見ていた。ジェタのこと同様、ジノンのこともしっかりと麗々から聞き及んでいたのだろう。ジェタに人間の心情への配慮を期待するだけ無駄だとはわかっていたのだが、まさか開口一番そうくるとは思ってなかったので、出遅れた。防ぐことができなかったのが悔やまれる。
(インデージア帝国は、南西龍の被害を被って、大変な状況なんだから……)
本当に、那王たちが理性的でよかったと思わざるを得ない。
……ともかく。沈黙していても時間の無駄なので、そこからどうにかこうにか、空気を変え……るのは無理でも、ともかく口火を切って。たがいに、これまで得た情報を交換し……冬月の本来の性別や、千年前の大罪など、若干省いたところはあるが……やはり、満場一致で砂漠の民のもとへ、一刻も早く向かう、という結論に至った。
けれどそこで、同道する面子で少々もめた。どうしても麗々が同行すると言ってきかなかったのだ。しかし、ハレウィークの件の後処理は、まだまだまだまだ終わる気配がなく、那王による却下に次ぐ却下、という母娘喧嘩が勃発。結局は麗々が説得され、砂漠の民訪問は、冬月、阿星、世悧、ジェタ(+ジノン)、そして絽凪、というまたしても超少数精鋭で敢行されることと相成った。
——こうして、現在。城での話し合いからわずか半日、日付が変わった直後の真夜中である。ほんの少し、呪術で移動する間だけであっても、冬月との別行動となるのを断固拒否したジェタによって、おそらく世界初ではなかろうかという、東龍王の上に他全員が乗って、高速移動の最中であった。