14,『呪われた地龍』
「いや、あのですね、別に意地悪で隠していたわけじゃなくって……!」
ジトッとした目で見つめてくる、阿星と世悧に、冬月は慌てて弁明する。
「ふうん? じゃあ、なんでだよ?」
「だから、あの石碑、割れていたので。単語がいくつか、読めないのもあって、すぐにうまく意味がとれなかったので、言わなかったんですよ。あの時はそこまで余裕もなかったですし、あとでちゃんと文章として成立するよう考えてみようと思ってて」
まあ、その後特に二人に話す機会もなく、今の今まで、結果的に黙っていたことになったわけだが。子供みたいに、ぷう、とほほを膨らませた世悧を宥めるように、冬月は眉を下げた。
「つうか、……お前そんなの、どこで見たんだよ?」
「ああ、阿星は知ってるだろ。僕の母が巫女として、里の祠と、そこで祀られてる『神石』の管理していたのを。で、蜜香が次代の巫女に選ばれたけど、中継ぎとして僕が管理していただろ? あの、『神石』が、水の民の集落にあった石碑の続きだよ」
怪訝そうな阿星の問いに、簡単に返す。阿星はグッと眉を寄せ、そしてややあってから目を見開いた。
「えっ。……あれかよ!? そんな身近に……」
「うん。僕も、水の民の集落で石碑を見たときに変な既視感があって……それで思い至ったんだけどね、同じ石が割れたんだ、って」
と、そこで冬月の肩をグッとつかんだジェタが、口をとがらせる。
「おい、二人で話をするな。つまり、どういうことだ? というか、その石碑とやらは何なのだ?」
「あ、ごめん。ええっと、南龍の巣の近くにある集落に、古代語で書かれた石碑があってね……」
そうして、ざっくりとその石碑に書かれていた内容を、冬月はジェタにも伝えた。
「……で、『世界は調和した。龍と人はその断絶を埋めて繋がった。滅びは遠ざけられ、陰に生きる龍使いの存在を、人も龍も意識することなく不変と常変は溶けあった。すなわち、『龍使い』とは……』ってとこで、その石碑の文章は途切れていたんだよ」
「ほう」
自分で聞いたくせに、割と興味がなさそうなジェタである。けれど、阿星と世悧は、そわそわと続きを待っているので、わずかに苦笑して、冬月は歌うように続きを紡いだ。
「……『すなわち、龍使いとは、時に楔を穿ち、時に献身を捧ぐ、『天地をつなぐもの』なのだ。
龍は天を翔け、人は地に憩い、龍使いは狭間で祈る。天地を安寧せしめんことを』」
そこで、少しだけ、冬月は目を細め、眉を顰める。
「どうした、冬月?」
世悧に問われ、迷うように曖昧な笑みを浮かべながら、結局は正直に話した。
「……石碑の文章自体は、ここでいったん終わっています。そのあと、詩が書いてありましたが。ただ、さっきの文章の下のほうに、……あとから、誰かが刻んだんだと思うんですけど。小さく、こう書き加えられてたんですよ」
そして、冬月はそれを古代語で読み上げる。興味が薄そうだったジェタが、ほんの少しだけ瞠目した。
『私たちは、間違えた。『天を統べる者』はいない。我が一族は呪われたのだ』
現代の言葉で、もう一度冬月は繰り返す。阿星と世悧が、考えるように目を見合わせ、顎に手を当てた。
「『間違えた』……? 『呪われた』……誰に? 『わが一族』って……?」
阿星が繰り返す。千年以上前に遺された碑文、そこに誰かが加えた文章。それは悔恨……あるいは、懺悔のような、言葉だった。
「あとから加えられていた文章は、それだけなのか?」
顔をあげた世悧の問いに、冬月は肯う。と、そこで、ジェタがゆるり、と首を傾け口を開いた。
「……ふむ、私の記憶が正しければ、『呪われた』のは、龍使いどものことだろうな」
「え?」
パッと、冬月達三人は、彼を振り返る。どこまでも不可思議に深い、藍色の髪が、さらさらと風に揺れ、光をはじいた。
「『呪われた地龍の一族は狂い、永遠を失う』。私が龍使いの国とやらの話を聞いたのと同じころ、一族のものがそう言っていたぞ」
「それって……つまり、東龍の一族は、その『呪い』を知っていたのか……?」
一歩、ジェタに詰め寄った。けれど何でもないように、ジェタは肩をすくめる。
「さあな。すでにその話をしていた龍は、皆生まれなおしている。私もこれ以上のことは知らん。誰が、なぜ、なんてことは、興味もない。……だが、冬月」
すっと雰囲気を変え、ジェタの長い指が、冬月のほほを包んだ。吹き込むように、囁くように、彼は告げる。
「龍使いが『呪われている』というのなら、つまり、それは、お前のことではないのか?」
「っ、」
はっと、目を見開いたのは、冬月だけではない。……そうだ。
——女の龍使いは必ず『狂う』。
その理由は、冬月が持つ記憶の宝珠でも、明らかになっていない。けれど確かに、国を成していた当時ずっと同じ現象が起きていたのなら、一族の最初からそうであったのならば、もっと対処は違ったのではないだろうか。だって、この世界が安定して回りだしたその時から、龍使いが存在したのなら、その歴史は千年や二千年ではないのだ。もっとずっと、長い長い時間があった。なのに、現実に朧の事件は起こった。
すでに強い日差しの中、暑いくらいの気温だというのに、体の芯が凍り付いたように、寒気がした。
「女として生まれた龍使いが狂うのは、昔、誰かに、呪われたから……?」
心臓の鼓動が早い。すうっと冷たい汗が、背を伝った。これが龍の一族全体にかけられた、呪いであったとして、もしも。もしも、それを解くことができたのならば……冬月は。
(狂わなくても、済む、かもしれない……?)
それは、これまで期待しようとして、しきれなくて、だけど切望した、ものだ。
心臓が早鐘を打つ。だけれど、冬月はこぶしを強く強く握りしめて、自分の思考に待ったをかけた。
「……ジェタの記憶が正しくて、当時の東龍たちの言葉が、僕のような存在のことを意味していたとして。それでも、短くても千年、誰にも解けていない、呪いなんだよな」
期待しただけ、叶わなかったときの絶望は深い。冬月はそれを、いやというほど知っている。……もし、中途半端に希望を抱いて、それが砕かれたら、立ち直れないかもしれない。だから言葉に出して、戒めた。物事はそんなにも、都合よく進みはしないのだと。
けれど、そんな冬月の背を、ぽんと優しく、二つの手がたたく。
「お前の言うとおりだ、冬月。……でもさ、龍使いだって、こうして龍王と普通に話すなんて、きっと千年以上、なかったことだぜ?」
「ああ、あがいてみなきゃ、始まらないからな、こういうのは。それに、忘れてないよな? 一宮殿下が言ってた、砂漠の民。彼らなら、世間が知らない歴史とやらを知ってるかもしれない。今ここで、あきらめるのは、違うだろ?」
阿星と世悧の、温かさとやさしさをありったけ詰めたような、声。彼らを見上げて、冬月は瞬きを一つ、二つ。そうして、にじむように微笑んだ。
「うん。……うん」
小さくうなずいた冬月のこぶしは、いつの間にか解かれていた。
が、空気を全く読まないジェタは、……否、空気を読んだうえで邪魔をしたのか、ドーンと横から冬月に抱き着いて、自らの疑問をそのまま口にした、
「冬月、『砂漠の民』とはなんだ? さっきの、『水の民』とは違うのか?」
「うわっ、……ああ、えっとね、……」
確かに、本来、基本的に自らの縄張りを出ないうえ、人間に興味関心が薄い龍にとっては、砂漠の民だの水の民だのはわからないことだろう。ジェタの存在もばれて、この調子だと、おそらくこれからもついてくるだろうと思われるため、冬月は今後、尋ねる予定である砂漠の民と、ジェタもちらっと存在を確認しているはずの水の民について、簡潔に説明をした。
その間、どうしてか、阿星と世悧が微妙な顔をしていたが、冬月は気づかなかった。それよりも、説明をしているうちに、ふと思い出したことがあったので、今度は冬月からジェタに問う。
「そういえば、ジェタ。『男神の楔』って、聞いたことがあるか? 南西龍王と対峙したときに、彼が言っていたんだよ。『忌々しきは、『男神の楔』』って」
冬月の知識では、その単語に当てはまるものは心当たりがない。視線で、、阿星や世悧にも問うが、首を横に振られた。
「『男神の楔』だと?」
ぱち、と青灰色の眼を瞬いたジェタを、冬月、阿星、世悧の三人がじっと見つめ返す。
「うん。僕らは知らない言葉だけど、龍たちの間ではどうかなって。まあ、南西龍たち独特の言葉なら、お前も知らないかもしれないけど」
冬月が重ねた言葉に、さらにぱちぱちと瞬いたジェタは、あっけらかんと答えた。
「それは、曲名だ。龍ならば、どの一族も知っている、古い曲だ」