13,『記憶の宝珠(Side阿星)』
紺青の瞳は、凪いでいる。荒れ狂うものを内包し、うち沈め、そして静かに、阿星たちを見つめている。
強くて、でも人を頼るのはへたくそな、大事な幼馴染。
彼女の心を思う。
……かつて、狂い、天変地異を引き起こした大罪人・『朧』。そして、女の龍使いは、必ず狂うという話。ならば、今目の前にいる冬月は、千年前の大罪を、再び引き起こすかもしれない存在だということなのだ。
それは、冬月自身に、どれほどの恐怖と葛藤を与えたことか。
いつか、狂うかもしれなくて。いつか、大事な人を、自分が殺めてしまうかもしれなくて。『いつか』、なんて、来るかもわからない未来が、それでも切り離せない影のように付きまとっている。
そしてもし、だ。もし、それが、バレたら、どうなったのか。あの閉鎖的な里で、たった一人にでもばれてしまっていたのなら、上層部に……里長・雁十に筒抜けだっただろう。それでなくても、冬月は龍気の強さや不安定さに、不安視され、おそらくは師・東海を付けることで監視されていた。
……以前聞いた冬月の話では、冬月の父・芭月が亡くなった後は、『騙り人』に引き入れられて、牽制もされていたようだ。
ああ、そうか、と思った。
だから彼女は、里の人々を、心から信頼することが、できなかったのだ。
だって、考えるまでもない。バレていたら、冬月は殺されていたのだろう。事故に見せかけてか、あるいは罪をかぶせてか、手段はいくらでもあるはずだ。
そういう手段をとるのだと、今はもう、阿星もわかっている。
(俺は、なにも、)
知らなかった。あんなに一緒にいて、手をつないで、遊びまわって、いたずらだってして、一緒に怒られて、寂しい夜は共に眠ったのに。
思い出したって、記憶の中の冬月は笑っているけど。楽しそうに、していたけれど。その裏で、想像もできないほどに、息苦しい日々だっただろう。両親を亡くした時、人が思う以上に、恐怖と孤独につぶされそうになっただろう。
もっと早く、気づいてやれればよかったのか? ……そんなのは、くだらない仮定でしかないし、おそらくは里に居た頃に阿星が真実を知っていたら、冬月を危うくさせていたに違いない。
数か月前、冬月が少女であることを知って、それを本人が話してくれるまでは、黙っていようと決めてから、阿星は気心知れた仲間に隠し事をする、そのきつさを痛感している。口をついて言葉が出そうになるのを飲み込んで、とっさに動きかけてしまったことをごまかして。挙動不審だった自覚は十分すぎるほどあるし、それを強く追及せずにいてくれたのは、周囲のやさしさだということも分かっていた。
(十八年、か)
十八年。冬月の両親が亡くなってからは、八年。たった一人で抱えて、耐えてきたのだと。かける言葉を見つけられない。でも。それでも。
「……」
そっと、冬月の隣に座りなおす。そして、彼女の手を強く握りしめた。はっと見上げてきた紺青の瞳に、微笑みを返す。ゆらっと揺れた大きな瞳は、涙をこぼすことはなかったけれど、ゆるりとどこか儚い笑みを湛えた。
そこに、二人の肩をまとめてぎゅうっと抱きしめてきたのは、世悧だ。
「お前らな、俺を仲間外れにすんなよ」
にやっとした笑みで胸元に抱き込まれて、阿星と冬月はぽすん、と腕の中に納まってしまった自分たちに、くすりと、今度こそ確かな笑いがこぼれた。
そして、言葉なんて、考えすぎなくっていいんだと。もっと単純でいいんだと、思った。
「冬月。お前がどんな存在だろうと、……俺は、お前と今、一緒に居られて、うれしいよ」
普段なら口にできないような、素直な言葉が紡がれたのは、きっとこんな時だからで。
「世界中のだれが望まなくたって構わねえ」
その他大勢ではなく、たった一人の少女のほうが、どうしようもなく大切なのだ。
「……俺と同じ日、同じ時間に生まれてくれて、幼馴染として育ってくれて……ありがとな、冬月」
「あほし……」
ぎゅっと、握り返された手は、小さくて、温かかった。
☽☽☽
完全に、夜が明けた。なお、阿星と冬月、世悧の抱擁は、どうにも嫉妬をしたらしき東龍王によって、終了を迎えている。
「冬月は! 私のものだ! 触るな!」
「いや、何度も言うが、僕はお前のものじゃない。とりあえず離れろ」
冬月を阿星と世悧から引きはがし、腕に抱き込んだ東龍王に、至極冷静に突っ込みを入れ、さっと距離をとる冬月。鮮やかな手並みだった。
「て、手慣れていらっしゃる……!」
手慣れるほど、同じやり取りを繰り返したんだな、と察せて冬月が気の毒になった。
ともかくも、麗々が戻ってくるまでの間、阿星たちはこの森に身をひそめている必要がある。幸い、愛馬たちに積んだ食料は無事だったので、昨日の朝食以降、まったく何も口にしていなかったことに気づき、手早く食事を済ませて、今後の対策を練らなければならない。
が、ふと思いついたように、世悧がこぼした言葉で、再び阿星たちはぐるっと焚火跡を囲んで、腰を下ろすことになる。
「そういや……思ったんだが、冬月。お前の知ってる千年前の話、詳しすぎないか? だって、龍使いの里でも、だんだん忘れられてたんだろう? 上層部には話が継がれていたとして、千年前に暴走した女の名前までわかるもんか……?」
確かにそうだな、と思ったので、阿星も冬月に視線を投げた。すると冬月は、やや首を傾げ、はっと何かに気づいたように瞠目した。
「あれっ……。僕言ってませんでしたか……? このペンダントのこと」
しゃらっと、胸元から引きずり出されたのは、冬月の母・夏秋の形見だという、青い石のペンダントだ。……うん、冬月が自決しようとした呪術が仕込まれていたりなど、若干苦い思い出のある、あのペンダントである。
「え、それって、まさか、まだ何か仕込まれてんのか!?」
「仕込まれてるっていうか……まあ、仕込まれている、でいいのか? 僕がやったんじゃないけど」
思わず声を大きくすれば、冬月はこてん、首をかたむけつつ、しゃらしゃらとペンダントをゆらす。と、そこにヌッと顔を近づけたのは、東龍王だった。
「おい、冬月。それ、よくよく観察すると、わが一族の気配が、わずかにするぞ。どういうことだ?」
「え? ああー……。それはたぶん、このペンダントの材料が、東龍から剥がれ落ちた鱗らしいから……それじゃない?」
「「「は?」」」
初めて、東龍王まで一緒になって、似たような怪訝な声が出た。なんとなくうれしくない。が、それよりも今は、もう少し、冬月の話を聞かなければならないようである。
「ちょっと待て……。ちょっと待て、冬月。お前さ、もしかしてお前の昔話以外にも、いろいろうっかり言ってないこととか、ちょっと秘密をかすめるかもしれないってんで伏せといたこととか、ボロボロあったりしねえか……?」
頭が痛そうに額に右手を当てて、世悧が問う。冬月は……すっと目をそらした。正直かよ。正直なほうがいいけどさあ!
「おいこら。目をそらすな。ちょっとこっちにこい。ここに座れ。とにかくそのペンダントについて説明しろ。な?」
とっても優しく、世悧は冬月の肩に手を置き、しかし有無を言わせず座らせた。そして再び、夜明け前からと同じく、円を描くように四人は座ったのである。
「……えっと。ざっくりいうと、このペンダント、母の家に代々受け継がれているもので、千年前の記録映像が見れる『記憶の宝珠』っていうものなんですよ」
冬月は首から外したペンダントを、顔の横に掲げて言う。よし、わからん。
「ざっくりじゃなくて、詳しく頼む」
真顔で言う世悧に同意である。
「わかりました」
そして、冬月が詳しく説明したところによると。
ペンダント……正確には、金属の台座にはまり込んでいる、青い珠は、千年前に喪われた技術によってできているのだという。生まれなおす時に剥がれ落ちる龍の鱗の中の、逆鱗を使用するらしい。
「僕も、さすがに詳しい作り方は知りません。この宝珠に残されている映像に、ちらっと出てきた知識でしかないので。ただ、使い方は、母から教わっています」
血をたらして龍気を当てるだけだ、と冬月は言った。手渡されたペンダントにはまり込んだ宝珠を、まじまじと見つめる。ペンダントは阿星から世悧へ、世悧から東龍王へ。
その時。
「ふむ。こうか?」
「はっ?」
素っ頓狂な世悧の声で振り返れば、手渡された東龍王が、まさかの早業で宝珠に血を垂らしていた。そして、特に意識していないために垂れ流しの、膨大な龍気が宝珠に注がれ……。
「こんの、阿呆!」
冬月がバッと宝珠を取り返すも、すでにふわりと青く淡い光が宝珠からあふれ、その映像は、始まった。
阿星たちの目の前に映し出される、それ。
そこにいたのは、『少女』だった。長くなびく茶髪、華奢なからだ。まだ距離は遠いが、映像は駆け寄るように揺れながら、どんどんと近づいている。
『朧! だめだ、行くな!』
叫んだ声は、少年のもの。おそらくは古代語なのだろう、阿星には意味を正確に聞き取ることができなかったが、『朧』という少女の名だけは聞き取れた。映像の手前側から延ばされる、細い少年の腕。……ならば、この映像は、叫んだ少年視点のものなのだろうか。
振り返った少女……朧は、嗤った。
そして、渦巻くように発された龍気のすさまじさに、少年の足が止まったのか、うめき声とともに、映像の揺れが止まる。
「これって」
千年前、朧が、狂った、その時の。
少女の赤茶の瞳の、瞳孔は縦に割れている。そこに浮かぶ狂気が、殺意が、悦楽が、彼女の心が、強すぎる龍気に飲まれたことを示していた。
けれど、それだけではない。普通の龍使いではありえないその姿に、阿星たちはくぎ付けになった。全身の肌には、薄く龍の鱗が浮き出て、その爪が鋭くとがり、……ああ、それはまさしく、『人の形をした龍』のような。
———バチン!
と、そこで映像は突如、終了した。はっとして周囲を見れば、宝珠を手にした冬月が、東龍王をぎりぎりと締め上げていた。
「お前なあ……! こんなところで何にも考えずに映像を再生する奴があるか!」
「ちょ、冬月! 締まっている! 締まっているぞ! もう私の血で映像は止まったではないか!」
冬月と東龍王の関係性、思っていた以上に冬月が強いな……? と確信しつつ、冬月が映像を止めたことを理解する。のちに確認したところ、映像を再生し始めた者と同じ血液を垂らすことで、映像の再生を止めることができるのだという。
「というか、これ、一応再生者が見たいと思うところから見れるんだけど、お前よりにも寄ってあの場面って……」
「む、『狂う』とはどんなものかと思っただけだ。見た目も変わるのだな!」
ようやく東龍王を話した冬月が、深くため息をついているが、東龍王は反省のかけらもない様子である。
「というか、『狂う』とああいう姿になる、ってのは、俺も初耳だぜ」
「あ、そうなのか?」
蚊帳の外に置かれたまま、ぼそっと阿星がつぶやけば、それを拾った世悧が振り向く。そのすぐ後、冬月と、冬月に引っ張られた東龍王も近くに来たので、先ほどの映像で見た朧の姿について、あらためて問うた。
「ああ、僕もこの映像で知ったんだけど。……どうにもね、強い龍気を制御下に置いて、あの姿に自分で成れる龍使いが当時はいて、『覚醒』って呼ばれていたらしいよ。『狂う』ていうのは強すぎる龍気に負けて、凶暴性が増している状態だから、『覚醒』にしろ、『狂う』にしろ、強い龍気が肉体にも影響を及ぼしてるってことなのかもしれないね」
けれど、さすがにそれ以上のことは、冬月も知らない様子だった。もう奪われないように、そっとペンダントを首に戻し、服の下に隠している。だから阿星たちも、それ以上は聞かなかったが、多々頭の片隅に、先ほどの朧の姿が強く残っていた。
「なるほどな。で、あとはほかに、言ってないことはないか」
そう切り出したのは、世悧である。先ほどすっと目をそらした様子から、まだ何かありそうではある。
「ええ……うーん。これは、あえて伏せてたことなんですけど……。というか、水の民の集落で読んだ、あの石碑について、その時は伝えるとまずいかもと思ったことがいくつかあって……。でも、ジェタもいるから、聞けばいいか」
案の定、何かあるようで、眉を下げた冬月は、視線を東龍王へとむけた。阿星と世悧も、視線を彼へ向けた。
「あのさ、ジェタ。僕、お前たち龍王の名を、すべて知っているんだ」
「……なんだと? そういえば、ジノンの真名を知っていたな……」
うかがうような冬月に、片眉を引き上げた東龍王。阿星と世悧は瞬きし、顔を見合わせる。けれど口は挟まずに、成り行きを見守った。
「偶然、石碑に書かれているのを読んでね。お前は、自分のことも、南龍王のことも、愛称、かな……それでしか呼ばなかったから、あまり知られるべきではないのかと思って、伏せていたんだよ。それを、阿星と隊長に伝えてもいいか?」
阿星は思い出す。東龍王の名は、ジェタ。南龍王の名は、ジーク。そして南西龍王の名は、ジノンゼオ・チェスピート・セロ・カークーン。
(確かに、南西龍王だけ、やけに仰々しいというか……。そうか、『ジェタ』と『ジーク』のほうが、愛称だからか)
小さな納得を得て、目の前で向き合う二人を、じっと見つめる。まっすぐに東龍王を見据える冬月。その冬月を見ているとは思えないほど、無表情の東龍王。沈黙が、ひどく長く感じられた。
「……名は、縛りを強くする。特に私たち、龍王にとってはな。だが、冬月。そなたならば許してやろう。ついでにそこの二人もな」
それから、すっと視線を東龍王が下げた先には、ぐるぐる巻きで寝かされたままの、南西龍王がいた。
「……ジノンを縛る『何か』から解放してやるには、必要そうだからな」
そうして、ふっと空気が軽くなった。知らず、息をつめていたことに気づき、ひそかに深呼吸をする。冬月も同じく、ゆっくり深く息をして、それからへにょっと眉を下げた。「ありがと、ジェタ」と、小さく告げた声に、口角をあげた東龍王。なんとなく、踏み込めないような気がして、阿星と世悧は居心地の悪さを感じた。
が、そんなものは感じていないらしい冬月は、くるっと阿星たちのほうを振り返る。
「では、許可を得たので、お伝えしておきます。彼らの名は……」
東龍王・『ラジェタ・イオロ・セロ・カークーン』。
南東龍王・『イザクラ・リーティア・セロ・カークーン』。
南龍王・『ウィラジーク・エミシェ・セロ・カークーン』。
南西龍王・『ジノンゼオ・チェスピート・セロ・カークーン』。
西龍王・『ザラーフィ・オッツェ・セロ・カークーン』。
北西龍王・『ゼスタディオ・プランク・セロ・カークーン』。
北龍王・『イェジャリス・ラビ・セロ・カークーン』。
北東龍王・『ゼティードア・カイビワナ・セロ・カークーン』。
「『セロ・カークーン』は、古代語で『君臨者』とか『王者』という意味です。名の後につけると敬称に変わるので……ジェタなら『ラジェタ・イオロ陛下』、って感じですね」
「よいか、軽々しく呼ぶなよ」
冬月の補足と、東龍王の警告に、阿星と世悧はぴしりと背筋が凍ったような心地になる。……いわく、それぞれの愛称は、『ジェタ』『ザクラ』『ジーク』『ジノン』『ザラー』『ゼスタ』『ジャリス』『ゼティー』だそうで、どうしても名を呼ぶなら愛称で呼べと言われた。……うん、必要に迫られない限りは『東龍王』と呼ぶことにする。今もそうだし。
ああ、そういえば、冬月は南龍王のことも、普通に『ジーク』と呼びかけていたが、そうか、東龍王で慣れていたからなんだな、とどうでもいい気づきを得つつ、先ほど空で読み上げられた八つの名前を、脳裏に刻み込む。メモなんかしたら東龍王に吹き飛ばされそうである。
「……わかった、教えてくれてありがとう。今後に必要だというのなら、覚えておく。……ところで冬月、水の民の集落の石碑、『伝えるとまずいかもと思ったことがいくつかあって』といったな? ほかには何を……伏せたんだ……?」
聞くのが怖いが、聞かねばならない、そんな哀愁を漂わせて、世悧が尋ねた。すると冬月は、今度は割とあっけらかんと、口を開く。
「あ、はい。実はあの石碑の続き、僕、見たことあるんですよ」
「「……は?」」
「中途半端に文章が途切れていたでしょう? あれ、たぶん大きな岩が三つに割れたと思うんですよね。水の民の集落で見たのは、一番右側の部分だと思います。で、僕、あの岩の真ん中部分、知ってます」
「「は?」」
「だから、あの続きの文章も、わかります」
「「はああああああ!?」」
あの、めちゃくちゃ気になるところで終わっていた文章の、続きだと……!?