12,『昔話だよ』
冬月は悲しげに、ふっと笑った。
「——前提として、龍使いには男しかいない、ってことは、ご存じでしょう?」
こくり、とうなずいた阿星たちを見て、冬月もうなずきを返す。ジェタも、一応は話を聞く気があるようで、黙って視線を冬月に向けていた。
「僕の知っている『始まり』は、千年前にさかのぼります」
そうして、冬月は語った。
かつて、世界に存在する大陸は、九つだったこと。九つ目の大陸に住まう者たちこそが、龍使いだったこと。
「ほら、阿星と隊長は、伝えましたよね? タラスジェア帝国の、水の民の集落にあった、石碑に刻んであった古代語の内容を」
「ああ……。あの、中途半端に終わってたやつな。『八人の『人の形をした龍』たちは、九つ目の大陸に最後の国を建国する』……だったか?」
冬月が二人に確かめるように話を振れば、世悧がうなずきつつ返した。すると、ここで思わぬところから声が上がる。
「ほう? 千年前……。そういえば、私が孵って間もないころ、一族の年長者が似たような話をしていたような気もするぞ」
冬月をはじめ、阿星も世悧もが、思わず瞠目してジェタを見つめた。
「……そういえば、お前八百歳だったな……。生まれたばかりのころなら、地殻変動から二百年くらい……。龍王以外の龍たちの寿命は三百年ほどだっていうから、そうか、まだそのころなら、東龍の中にも当事者がいたんだな」
冬月と接しているときはいろいろとアレなうえ、人型の見た目が二十代の青年でしかないので失念しがちだが、ジェタは世界最高齢の存在なのである。
「その国、『地龍の国』という名だろう?」
「ああ。そして、当時の龍使いたちは自らの一族を『地龍の一族』と呼んでいたらしい。……まあ、彼らの国は、他国では『見えない隣人の国』とよばれたらしいけどね」
ジェタが随分と昔に聞いた話をしっかりと記憶していることに、やや意外に思った。けれど、はるか千年の昔に滅びた国の名が、ジェタの口から語られて、いまさらのように、かつて実際に存在した国なのだ、と妙に心に迫って感じられた。それは、阿星や世悧も同じだったのだろう。歴史の授業を聞くような表情に近かった先ほどよりも、真剣な光が射していた。それを見て、冬月は話を続ける。
地殻変動で大陸が一つになった時、中心に位置したその国はつぶされ、跡形もなく消え去ったのだと。
「千年前……乱心した龍使いによって一時的に龍が激減し、均衡が崩れ、地殻変動が起こったのではないか、という仮説を、話したことがありますよね」
ジェタの前で話すのは若干危うさを感じたが、さして過剰な反応がなかったことに内心安堵し、阿星と世悧に視線を戻す。
「ああ。でも……まさか」
うなずいたのは世悧で、さっと顔色を変えた。冬月はそれに苦笑を返す。
「ええ、そのまさか、です。……千年前、狂った龍使いは、女だった」
ひゅっと、息をのんだのは阿星で、同様に瞳を揺らしたのは世悧だ。ジェタは、読めない表情で、じっと冬月を見つめていた。
……千年前生まれた、異能を持つ少女・『朧』の話を、冬月は語る。
当時、女の龍使いは必ず『狂う』と言われていたこと。
それでも、『狂わない』という可能性にかけて育て、狂ってしまったら、やむなく殺す、という方法をとっていたこと。——そんな時代にうまれた、『朧』。
彼女もまた、狂った。狂い、龍を操り、従え、人を殺し、国を壊し、蹂躙した。
「悪化の一途をたどる事態の中で、龍使いたちは結論を出したんです。『龍の一族も大人数で、龍を操って朧を討とう』、と」
最悪の結論でしょう、と冬月は無表情に言う。
「ほう……人間ごときが、なぁ……」
恐ろしくやわらかな声で、それなのに、どこにも温度の感じられないそれで、ジェタがつぶやいた。ぞくり、と背筋を冷たいものが駆け抜ける。阿星と世悧が、反射的にややジェタから距離をとった。
「ジェタ」
「ふん。安心しろ、冬月。昔の話なのだろう? なあ?」
「ああ。これは昔話だよ。……今につながる、昔話だ」
冬月が名を呼べば、ジェタは優雅に首を傾けて、確かめるように問われた。だから知っている事実だけを、返す。
「その昔——さっき言った『最悪』が実行され、一連の戦いで、龍の多くが死んだ。……そうして、……どうなったのかは、お判りでしょう」
かくて、安定をつかさどる存在が激減した世界は、安定を喪い、天変地異に襲われたのだ。
「多くの龍使いや、世界中の人々を巻き込んだ地殻変動によって、朧もまた死んだようです。そして、この件の真相自体は世間から隠されたけれど……龍の一族の生き残りは、その過ちを悔やみ、繰り返さないことを誓ったんです」
ただ、一族内ですら語られるのがはばかられたために、この事件の詳細を受け継ぐものは限られ、さらには世代を経るにつれて、ゆっくりと失われていくことになる。『龍使いの暴走による龍の激減』という大罪に、話は簡略化されたのだ。
そこで冬月が不意に阿星を見る。彼はびくりと肩を震わせた。
「阿星。もう、わかるだろう? 女の龍使いは、『産まれない』と言われてるよね。——けど、それは間違いなんだたよ」
「……」
顔は無表情のまま、けれど、隠しようもない悲痛な響きを帯びて、冬月は告げる。
「女の龍使いは、産まれないんじゃない。——生まれた瞬間に、殺されるんだ」
シン、とその場が静まり返った。焚火の、火の粉がはぜる音だけが、ひどく耳につく。
「それ、は」
はくり、はくりと空気を噛んで、それでもどうにか、声を絞り出した阿星。
「龍の一族の上層部だけが知る、暗黙の掟だよ。龍使いの異能を持って生まれた女の赤子は、殺すこと、っていうね」
ちょうどその時、すっと、朝陽が射して、冬月たちを照らし出した。風が緩やかに髪を揺らして抜ける。
「……ま、待ってくれ。どうして、龍使いか龍使いじゃないかなんてものが、産まれた時点でわかるんだ? 判りもしないのに殺すわけじゃねえんだろう?」
「ん? そういえばそうだな? 端から殺すわけではなさそうだが?」
世悧が混乱したように言い、ジェタも首を傾げた。冬月は一瞬瞬く。そしてすぐに納得した。そう言えば、説明したことはなかっただろうか?
「——龍の力を持つ者には生まれた時に、ある特徴があるんです」
言って冬月は親指で、自分の額の中心を指し示した。今はもう、何も残ってはいない、そこ。
「龍の力をもって生まれた赤子には、体のどこかに龍の鱗を模したようなあざが、必ずくっきりと浮かんでいます。僕の場合は、額でした」
阿星も、そうだったと聞く。世悧とジェタが、まじまじと冬月と阿星の額を観察していた。……今は何も残っていないのだが。
「そのあざは、大体一歳になる前ぐらいに消えてしまうものです。まあ、異能の有無を確認するだけなら、十分でしょう?」
そして、そのあざをもって生まれた女児は、その瞬間に運命が決まるのだ。
里で赤子が死ぬたびに、どれほど自責に苛まれただろう。どれほど罪悪感に押しつぶされそうになっただろう。
耳をふさぎ、体を縮こまらせ、押し殺した声で謝罪を繰り返した、幼いころの記憶が、脳裏をかすめて、静かに奥へと沈めた。
「殺すっていうのは……親が……?」
世悧が、恐る恐ると言った様子で尋ねた。
「——いいえ。この掟は基本的に、龍の一族であっても知らない……。上層部だけが知っているものなので」
「なら――?」
答えた冬月に重ねて問おうとした世悧を、遮って答えたのは阿星だった。
「たぶん、風習のせいっす。俺たちの里では、独特の風習あるんすよ」
「風習?」
世悧がハッとしたように、阿星を振り向いた。阿星の父・星尹は上層部の一員だ。確実のその『掟』を知り、関わってきた。泣きたいのをこらえているような顔で、阿星は続ける。
「俺ら龍使いは、いろいろと知識を叩き込まれるっすけど、そこには医学とか薬学も含まれてます。だから、基本的に怪我も風邪も、対処するのは龍使いというか……上層部の人らが、診てくれるんすよ。そんで、それはお産の時も同じっす」
そこで阿星は唇をきつく噛んだ。それから大きく、深呼吸をする。
「上層部の人らで、子供を取り上げるっていうのが、うちの里の風習っす。……だから、たぶん」
「真っ先に確認して、……異能を持った『女』なら、その場で殺すんです。遺体の処理も、そのまま上層部が受け持ちます」
冬月は阿星に最後まで言わせず、言葉を引き継いだ。
……きっと。阿星の父の手も、赤子の血で染まっている。
阿星が、これまで気づかなかったのも無理はない。上層部の人間によって赤子が取り上げられるのは、冬月らが生まれる何十年も、下手をすれば何百年も前からの風習だし、上層部だけあって、その医療の腕は確かなのだ。冬月だって、自身が関係していなければ、何も違和感を感じなかっただろう。
さらに言うなら、里の人口は多くないし、龍使いの異能もちは年々減っている。それに、お産はそれでなくても危険が伴うものだ。死産は、決して珍しくない。……亡くなった赤子たちの男女比なんて、気にする人はあまりいないし、子供は授かりものだから、偶然だと言われればそれで納得される話なのだ。
「……なら……冬月は、どうして」
世悧は動揺を何とか飲み下し、判りやすく作った冷静さで問うてくる。ジェタも、この話にさして衝撃を受けた様子はないが、疑問はあるようで、こちらを見ている。冬月は胸元のペンダントを、そっと握りしめた。
「ほんと、びっくりするぐらい偶然が重なったんですよ」
——それが『幸運』だったのかどうか、いまだに判りはしない。けれども、その奇跡があって、今がある。
「つい、昨日でしたね。僕と阿星が、生まれた日のことを、隊長たちに話したのは」
真冬の、嵐の日に生まれたのだと、話した時には留剛もいて、興味津々で聞いてくれていた。南西龍の襲撃によって、すぐにあの平穏は、崩れ去ったけれど。
「ジェタ。お前には、話したことがなかったよね。実は、僕と阿星は全く同じ日の、ほぼ同じ時間に産まれたんだ」
「ほう? 人間には、そういうこともあるのだな」
ジェタは首をかしげる。まあ、龍は卵生だし、『産まれる』というよりは『生まれなおす』というのが正しく、人間とは根本的に原理が異なっている。知識として、人間の出産のことを知ってはいても、あまりピンとこないのだろう。
「言ってたな、確かに。蜜香っていう幼馴染の女の子も、同じ日の同じ時間に生まれたんだろ? 珍しいよな」
「そうですね。……でも、そうなったのは偶然ですけど、まったく原因がなかったわけでもないんです」
世悧の言葉に、冬月が返せば、世悧とジェタまでが首をひねった。
「阿星も、その時の話を聞いたこと、あるだろ?」
「ああ。あの日はすっげえ嵐っていうか、暴風雪で……里への龍の襲撃もあって、そのせいで雪崩が起きたっていう、悪夢みたいな日だったらしい」
阿星に視線を投げればうなずきが返り、思い出すように言葉を紡ぐ。……その内容に、冬月と阿星、さらには世悧も、微妙な顔をしてジェタを見てしまったのは、仕方がないだろう。
「嵐の日? 龍使いの里? ……覚えとらんな」
「だろうな……」
ジェタには、記憶の片隅にも残らない、ただの一日だったのだろう。それは予想していたので、置いておいて。冬月はあらためて、世悧に向き直る。
「——その日……僕らが生まれた日は、そんな状況で、けが人も多かったですし、襲撃の対処にも人手がとられて、その上雪崩が起きたものだから、そちらにも急遽対応が必要になって。僕らの母親たちも、身重でしたけど、けが人の手当てなんかを手伝っていたそうです」
「けど、無理がたたったのか、三人とも急に産気づいてしまったらしいっす。冬月と蜜香は、出産予定日より一か月以上早かったらしいっすけどね」
冬月はその日に思いを馳せながら、口にする。自分では覚えてもいない過去を。阿星もところどころ、言葉を追加してくれた。
「そして……出産の際、どうしても、そばに着く上層部の人数が、足りなかったんです。ほとんどが里を出払っていたり、けがで倒れていたりして。……お産につくことができるのは、たった三人で、その三人のうちの一人は……僕の父さんでした」
話の先の予想ができていたのだろう、阿星は目を伏せている。世悧は静かに、静かに耳を傾けていた。ジェタだけは、いまだにぴんとこないようで、首をかしげていたけれど。
「さすがに、自分の妻が出産するときに、別のところに行くのは、事情を知らないほかの里人に不審がられますからね」
冬月は阿星を見据える。阿星はわずかに肩を揺らした。
「——だから、里長は決断しました」
冬月はそっと、花びらをなでるように、柔らかな声で言葉を落とす。
「父さんが、僕を取り上げることを許したんです。……万が一の時は、父さん自身が手を下すことを命じて」
明確な言葉に、阿星が鋭く息をのむ。世悧は眉間にしわを寄せ、ジェタはなるほど、とうなずきを返す。
「だからか。そなたの父親が、上層部とやらを騙したのだな。生まれた子は男だ、と」
「うん。父さんは呪術が使えたからね。それで、生まれたばかりの僕に呪術をかけて、見た目の性別を変えたんだ。里の人でほかに呪術が使える人はいなかったし、人体に施す場合、呪術陣は残らない。誰にも気づかれずに隠し通せたみたいだ」
ふっと、皮肉な笑みが、口の端に上った。
「それだけ、里から父さんへの信頼が厚かったんでしょうね。……父さんは、『騙り人』として、実績があったから」
「あ……。冬月の、じいさんの……?」
阿星の口からこぼれた言葉に、薄く笑みをかたどって、うなずく。
「ああ。裏切り者の肉親を、冷徹に『処理』した男だと、里長は信頼していたのでしょう。けれど父はその信頼を裏切り、そして里の全員を騙して、僕を生かした」
——『それでも、お前だけは、……できないよ。私には、できない』。
決して口数は多くなかった父が、そういって抱きしめてくれたこと。抱きしめてくれたその腕が、かすかにふるえていたことも、冬月は覚えている。
「それが、僕がこれまで、『男』として生きてきた、理由です」