脱出
水茎岡山城で猪名秀信に捕らえられた後、足利義澄は細川高国の邸宅に幽閉されていた。尤も、その扱いは決して悪いものでは無く、六畳間の中で本を読んだり、和歌を興じたり、といった文化的な生活を営んでいた。極めつけに、彼の身の回りの世話と監視をする小姓が五人程度いた。之は幽閉されている身としては破格の待遇である。一日二回の食事も公家の物と比べても遜色無い華やかさである。
然し、この待遇は彼にとって侮辱以外の何者でもなかった。彼にとって待遇とは『与えられる』ものでは無く、『与える』ものなのである。
幽閉から十四日目の夜、彼は食事を終えた後、静かに眠っていた。其時、眩い光が辺りを覆った。何事かと思い、目を開けると枕元に老人が立っているではないか。老人は、白い道服に身を包み、杖を携えている。耳は垂れ下がり、顔には皺が刻まれている。然し、その立姿には何処か迫力があり、油断出来ない。彼はその老人を知っていた。然し、その人物は二ヶ月も前に死んだ筈であった。そう、この男こそ暗殺された細川右京大夫政元その人なのである。
「遂に…某の天命も尽きたか……。」
彼は思わずそう口にした。
「大樹、儂です。死んでなどいません。」
「然し…既に貴様は…。」
「触って確かめてみては?」
彼は政元の道服に触れた。絹を指で摘んでみた。確かに、実体がある。
「生きておったのだな…。」
「えぇ、生きていますとも。」
すると、老人は彼に手を伸ばした。
「大樹、行きましょう。」
「何処へ行くと…?」
「阿波…澄元の所で御座います。」
「そうか…澄元の…。」
彼は起き上がり、政元の手を取った。政元は畳を杖の先で二回突いた。その瞬間、二人の肉体は霞となって実体を失った。二人は障子の僅かな隙間を通り抜け、屋敷の外へ出た。馬よりも速く、風よりも速く西南へ向かった。
二人は何時しか堺の港へ辿り着いた。海は目に見えず、闇の中で、微かに聞こえる波の音だけがその実在を証明している。東の空が少しだけ明るくなっている。潮風を受けながら二人は阿波を目指した。淡路を通り過ぎ、鳴門の大渦が見えた。その遥かなる深淵は、我々を覗いていた。
阿波へ上陸するとすっかり夜が明けていた。吉野川を遡ると勝瑞城が見えて来た。恐らく、細川澄元や三好之長は其処にいるであろう。門や襖の僅かな隙間から城内に侵入し、遂に寝室で寝ている澄元を発見した。政元は杖の柄で畳を二回突いた。すると、辺りは眩い光で包まれた。
澄元が目を覚ますと、枕元に二人の男が立っていた。澄元は飛び起きて部屋に立て掛けていた薙刀を振り翳した。薙刀は大きな金属音を立てて二つに折れた。澄元は折れた薙刀を見て覚悟を決めた。すると、二人の内の一人が話し掛けてきた。
「澄元、儂じゃよ。儂。」
澄元はその聞き覚えのある声に腰を抜かした。その声の主は二ヶ月も前に亡くなったからである。その横にいたのは幽閉されていた筈の自分の主君であった。
「父上!?」
「久し振りじゃな、澄元。」
「大樹まで…」
「澄元、生きてまた会えるとはな。」
「父上…生きておられたのですか…?」
「あぁ、色々あってな。」
政元は自分が暗殺されかかった時に魔法に覚醒した事を澄元に説明した。
「ま…魔法ですか…?」
「あぁ、やっと使える様になったのじゃ。」
「そ…そうですか。」
澄元は政元が長年に渡り、魔法を使う為に様々な奇行を繰り返していた事を思い出した。例えば、生涯女人を近づけず童貞を貫き通したり、一日の殆どを魔法を使う為の修行に費やしたり…と挙げればきりが無い。そもそも澄元と高国が争っているのは、政元が三人も養子を取ったからである。そんな事を考えていると、部屋の襖が開いた。襖を開けたのは、之長であった。然し之長は、細川京兆家に長年仕えていた経験から、この特異な状況に対し、少しの動揺も見せなかった。
「大樹殿、それから右京大夫殿、何故この様な所に?」
政元は長い髭をさすりながらこう言った。
「之長はあいも変わらずだな。」
四人は今後の展開について話し合った。話し合いの結果次の事が決まった。
・足利義澄を再び将軍の地位に就ける事
・細川高国、大内義興等を京から追放する事
・細川澄元を管領及び京兆家当主の地位に就ける事
・三好之長を山城守護代にする事
義澄は阿波の国衆等や大友、少弐といった大内義興の敵対者に加勢を求める書状を発給し、澄元と之長は京都奪還の作戦を練り始めた。そして政元は京や堺で情報を集める事にした。




