第2話 30番目のお妃様は元婚約者
「暴虐妃の後釜を見たか? あの美人の妹だから期待したけれど中の上ってとこだな」
これから行われる婚姻式の、花嫁の控室であるリディアのいる部屋は朝から賑やかだった。母ミレイユは亡くなったもののリディアにとって使用人は家族のような存在であり、マリッジブルーめいた寂しさは少しありつつも部屋の賑やかさで気が紛れていた。
だからこれはただの不運。
全ての会話が途切れるというその一瞬の隙を狙ったかのように聞こえてきただけ。
「犯人は血祭りにあげるのでご心配なく」
そう言って般若顔の昔なじみの侍女たちが何人も花嫁控室を出ていったが、リディアは気にすることをやめた。聞き覚えのない声だし、自分を悪くいう人たちに対して温情をかけるのは勿体ない。情には限界がある。
それに彼らの言っていたことを訂正するのもな、というのがリディアの心境。
各一門が自分たちの威信をかけて推薦してきた歴代の皇妃たちは見目麗しい。そんな美姫を見慣れている人たちにとっては自分などギリギリ及第点だろうとリディアは思っている。中の上、上がついたことに感謝さえしていた。
(それよりも、そろそろ時間なのではないかしら)
「もうそろそろ終わりに……「もう少しお待ちください」……分かったわ」
このやり取りは何回目か。リディアとて皇帝に嫁ぐ意味が分かっているし、皇帝の婚姻式が重要な国事だと言うことも分かっている。皇帝が30回目であろうが自分は初婚。花嫁は夢を持って着飾るべきという言葉に従い、いつの間に用意していたのだろうと思える美しい婚礼衣装に身を包むのを義務だとリディアには分かっている。その着付けに時間がかかるのも覚悟していた。
しかし時間がかかり過ぎている。
「皇帝陛下を待たせるわけには……「あの方は待つことに慣れているから大丈夫です」……そういう問題なのかしら?」
そうは思いつつも、皇帝カダルの容姿を思い出してリディアは内心で頷く。あれが花婿なら準備に時間がかかるのは当然だ、と。本当に頷いたら周りの侍女たちに『動かないでください』と叱られるから心の中で。
「ようやくお嬢様の花嫁姿を……」
「このお姿、侯爵様にも見せてさしあげたかったですね」
母ミレイユのことを口に出され、泣かないように他にも家族みたいな人たちがいるからいいじゃないかと強がり続けていたリディアのの心臓がキュウッと締まった。
「お嬢様!?」
ぽろりと涙を一粒零したリディアに周りの女性たちが慌てる。オロオロする者……はいない。この場にいる誰もが先ほどの廊下から聞こえる発言だと誤解した。「やっぱり私もあいつらを成敗してきます」と殺気だった表情で廊下に出ていく者もいた。
違うと訂正しようとしたが、リディアは放っておいた。だってリディアにメリットはない。
「全く、本来ならばあの女ではなくお嬢様がお妃様になるはずだったというのに」
リディアはもともとカダルと婚約していた。それが諸事情で白紙となりカダルはリディアの義姉と婚約し、皇弟から皇帝になり、義姉を筆頭に妃を29人迎えて、30人目がリディア。
「女狂いの皇帝のわけあり結婚、30番目の妃の私……」
「それは?」
「私の半生をつづった自伝のタイトル、どうかしら?」
リディアの自虐的な問い掛けに場が和む。
「面白いですわね」
「かなりのページ数になりそうですね」
「いろいろありましたものね」
「お嬢様、準備ができました」
やっと終わったと一息ついた直後、部屋の扉がノックされました。扉に最寄りの侍女が扉を開けると神官長だった。
「そろそろお時間です」
「……分かりました」
一息が本当に一息だけだった。
◇
神官長のあとをついて歩きながらリディア、眉間に皺が寄る。リディアの視界のあちこちには驚いた顔、驚いた顔、驚いた顔。
(どうです、中の上だってやるときはやるのです)
リディアは根にもつ性格だった。
「水の姫様、どうなさいましたか?」
「……少し緊張しているようですわ」
内心ドヤ顔していたせいで足並みが遅くなっただけだが、なんとなく格好悪かったのでリディアは誤魔化した。そのおかげで『水の姫』という久し振りの呼び名に気づくのが遅れた。
水の姫、リディアは建国時から続く名門・水の侯爵家の末裔。
先代侯爵ミレイユが亡くなり、リディアは10代で唯一の直系となった。
リディアだけになったのは、一族が何者かに襲われたとかいう物騒な理由ではない。領地で疫病が流行ったという哀しい理由でもない。水の一門の減少理由は、愛。特にリディアの水の侯爵家は『愛が一番大事』と豪語する家門、伴侶一人を死ぬまで愛し抜く。
周りにはロマンチックと評判がよく、人としては立派な方針だとリディアも思うが、子孫繁栄を考えたらデメリット。愛人をこさえて子孫を増やしている家があるのに対し、水の侯爵家は妻一人の出産能力に頼りきりなので子孫は少なくなる。
リディアの祖父母の間にできた子どもはリディアの母ミレイユのみ、そしてミレイユが産んだのもリディアのみ。
(未婚で適齢期の女性が他にいないから私がこうして皇妃に……ご先祖様、子孫繁栄は計画的に)
「あの小さなお姫様がこんな素晴らしい女性に成長なさるとは」
この神官長は母ミレイユの友人だったため、最近はあまり会うことがなかったが古くから交流がある。リディアが結婚するときは彼が祭壇で神の代理人を務めると言っていた。
「約束を覚えていてくださってありがとうございます、神の小父様」
「あなたを見守ると、若くして逝ったわが友との約束でしたからね」
母の友人ではなかったのかと、リディアは首を傾げる。
「私とリディア様のお父上は同じ神学校で学び合った仲です。女性と話をしただけで顔を真っ赤にするあの奥手が水の侯爵様の夫となるなど、当時は想像もつきませんでしたよ」
リディアが生まれて間もなく父親は亡くなったためリディアの記憶にない人だが、母ミレイユや周囲の者たちからは温かな水で優しく包み込むような人だったとリディアは聞いている。マグマのように苛烈なミレイユよりもよほど水の侯爵らしい御仁だった、と。
この国にはいくつも貴族家があるが、元を辿ると王家と水・火・風・土の4つの侯爵家、この5つになる。
この4つの侯爵家だけは血脈を重んじ、初代の直系を当主とするため女性でも爵位を継げる。だからリディアの母ミレイユが先代の水の侯爵で、ミレイユ亡き後はリディアが継ぐ予定だった。
しかし、ミレイユが周囲の予想より遥かに早くに亡くなった。150年ほど前の皇帝が法律を変更し、未婚では爵位を継げないため水の侯爵は空位だった。
(なぜかそれを分かっていない人が多いのですよね)
「あの美形な水の侯爵様のご令嬢にしては地味らしいぞ」
「見た目の良さは先に生まれた姉が持っていってしまったのだろう」
何ごとにもタイミングの悪さはあるもので、扉が閉まっているのに聞こえてきた部屋の中の会話にリディアの眉間にしわが寄る。
(どうしてこんな嫌な誤解がされているのかしら……あの継父の自信満々な振る舞いが原因だとしても、それにしても……)
「ゆとり教育の弊害なのでしょうか」
「いいえ、彼らが馬鹿なだけでしょう」
そう言うと神官長はノックもせずその部屋の扉を開けた。中にいた貴族たちにリディアは見覚えがあった、ルードリッヒの腰巾着たちだ。
「な、なんだ一体!」
「失礼。しかし無知を晒して貴殿らが恥ずかしい目に遭わないように教えてさしあげようかと。これも神の思し召しなのでしょう」
神官長は「こちら」といって彼らの目をリディアに向ける。婚礼衣装を着ているのだから今日の花嫁のリディアだと一目で分かり、彼らの表情が驚きに変わる。
(地味でも化粧でどうにかなるのです)
リディアは内心でフンスッと胸を張った。
「リディア嬢のお父君はあんなのではありません。あれはリディア嬢の継父、あれの連れ子であるレオノーラ元妃はリディア嬢と血を一滴も共にしない義姉、でした、一昨日まで」
(一昨日まで?)
「おや、リディア嬢も一昨日発行された最新の貴族名鑑は見ていませんか?」
「貴族名鑑、もうそんな時期なのですね。一昨日……何をしていたかの記憶もありませんわ」
それはもう目の回る忙しさで、年に一回発行される貴族名鑑のことなど気にも留めなかった。
「先の水の侯爵ミレイユ様とルードリッヒ殿の婚姻は無効になったのです」
「あらまあ、ようやく」
「ええ、ようやく。不審な点だらけだったですものね。そういう理由で、ルードリッヒ殿はなんとかって男爵家の次男……ああ、違った。その男爵家は彼の兄君が継いだので、代替わりでルードリッヒ殿は何の爵位ももたない『平民』になりました」
母ミレイユとルードリッヒの再婚は不審な点だらけだった。
視察に出ていたリディアのもとにミレイユが昏睡状態になったと連絡が来て、急いで戻ればルードリッヒが『ミレイユがサインした』たという婚姻届を持っていた。しかしミレイユはこの数日前から目を開けられず、覚悟しろとリディアは医師に言われていた。
ミレイユにサインができるわけがない。
リディアは婚姻届を見せるように言ったが、ルードリッヒの『友人』がリディアたちを押さえている間にルードリッヒは神殿に提出。そこにも『友人』がいたようで、ミレイユの死亡よりも先に婚姻届は受理された。
水の侯爵家でも法律は曲げられない。
リディアが未成年であったことと当主不在であったことが影響し、ルードリッヒは水の侯爵のように振る舞った。きちんと貴族名鑑を見て、建国の歴史と四侯爵家の跡継ぎのルールを知っていれば『誤解』は起きなかったが、どこの世界にも勉強不足の者はいる。
官吏たちにいたっては『紙に書かれた記録だけでなく自分の目で見たものを信じよ』というこの国の官吏の嗜みが悪影響となった可能性もある。
「神の小父様、こんなことで私たちの時間を使うのはもったいないですわ。時は金なり。早くお式をすませましょう。既婚者になれば水の侯爵は私、ついでに皇妃。簡単にどうにでもできますので」
「そうですか。ひとつお願いなのですが、ルードリッヒ殿の『友人』の神官は私に任せてくれませんか? 落とし前をつけさせないと」
「神の住処に梃入れは少々面倒でしたので助かりましたわ」
「リ、リディア嬢」
名前を呼ばれて振り返ったものの、知らない男だった。彼は王都に本部を置き、王宮にも出入りしているほどの商会の長だった。
「『水の侯爵』の名で購入された品物の代金が未払いなのですが」
彼の一言で、同じような訴えをもつ者たちも似たようなことを言いはじめたが……。
「ルードリッヒ殿が水の侯爵だったから我々は信用して……」
「与信調査が甘いのです。貴族名鑑を見れば母の死後から水の侯爵がいなかったことは分かります。貴族名鑑などそこかしこにありますわ」
詐欺の訴えなら自分ではなく騎士団へとリディアはアドバイスした。ついでにルードリッヒがツケ払いしていそうな商会や店にも教えてあげてほしいと頼んだ。全ては無理だろうが無駄な仕事が減ってリディアは満足だった。
「ルードリッヒ殿が水の侯爵になることは……」
「私に死ねと言っていることは大金が絡んでいると推察して目を瞑りましょう。そして答えですが、彼は水の侯爵にはなれません。なれるのは直系の者だけ。時を遡って彼の一族を直系にするしかありませんわね」
四侯爵家だけ当主は直系のみというルールがあるのは、この国が仲のよい偉大な魔法使い5人によって建てられた国だから。
国なのだから誰かを王様にしなくてはと話し合い、ついでに国王が皇帝かも話し合い、話し合いの末に聖魔法を使う魔法使いが皇帝になることに決まった。だからこの国は王国ではなく帝国である。
聖魔法使いが皇帝に選ばれた理由だが、帝国民を守ることを考えたら攻撃特化の他の4人よりも結界を作れる聖魔法使いが一番適していたから。
奪い合いも押しつけ合いもなく皇帝が決まり、他の4人も侯爵となり皇帝を支えていくことを誓った。このときの一人、水の魔法使いがリディアのご先祖様となる。
このときの違いが影響しているのか、四侯爵家の直系は膨大な量の魔力を持つ。下の貴族が下剋上を起こそうなんて思わないほど魔力量に圧倒的な差がある。
「どうかお願いします。リディア様は水の……いえ、ルードリッヒ殿の家族ですよね?」
情に訴える作戦に出られたが、感情面においてはリディアも言いたいことがある。
「お互い嫌いあう間柄ですわ。私にとってあの人たちは婚約者を寝取った者とその味方。付け加えるなら私の結婚相手探しを邪魔していき遅れにした上に殺害を試みようとする人たちですよ。殺害は失敗しましたが結婚相手のほうは成功。おかげで、こうして、私が、水の皇妃にならなくてはいけなくなったのです」
知らないと言わせる気はなかったし、そんなことはできないとリディアは思っていた。
なぜなら婚約者を寝取ったことをレオノーラは隠すどころか自慢げに周りに話していた。本人は自分の美貌を称えて言っているようだが、言われたほうは反応に困る。彼らは「さすが、レオノーラ様」と返した。それが一番無難だったことはリディアにも分かるが、それでレオノーラが気分をよくして寝取った寝取ったと吹聴し続けた。
「おかげで私は寝取られ令嬢。中の上の顔で着飾って意味あります? 目立って得あります? それは地味になりますよ、誰のせいですか。あの3人ですわ。あんなの家族でもなんでもありませんわ、気色悪い」
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