第2話 三十番目の皇妃は元婚約者
―――暴虐妃の後釜を見たか?あの美人の妹だから期待したけれど中の上ってとこだな。
これから行われる皇帝陛下の婚姻式。
その花嫁控室であるここはとても華やかで、家族はいないけれど仲のよい使用人や懐かしい王宮の侍女たちが集まってとても賑やか。
これはただの不運。
ほんの少し会話が途切れた瞬間に廊下から聞こえてきただけ。
暴虐妃の後釜。
美人の妹。
中の上。
―――犯人は血祭りにあげるのでご心配なく。
そう言って般若顔の侍女たちが数名部屋を出ていったけれど。
気にしないことにしましょう。
顔も知らない誰か、それも私を悪くいう人を擁護するのも変ですから。
「本当にお嬢様は、優し過ぎるのですわ」
「面倒なだけですわ。わざわざ解説込みで罰を下してあげるほど親切にはなれません」
それに彼らの言ったことは全て間違いではない。
社交界を賑わした美姫たちが続々とやってきた後宮を見てきた方々からすれば私は中級、中の上と『上』がついただけ感謝したいところです。
それにしても、まだ準備に時間がかかるのかしら。
「それよりも、少しだけ動いてもいいかしら?」
「もう少しお待ちください」
このやりとり、何度目かしら。
皇帝に嫁ぐ皇妃の婚礼衣装は華やかで気付けに時間がかかるのは覚悟していましたが、それにしても時間がかかります。
やることがなく鏡を見ると衣装に着られている私。
後釜なのだからこんな装飾過多でなくても……陛下が花婿では仕方がないのでしょう。
陛下はこの国一番の権力者であり、その見た目はこの国の最上級。
「一番」と言えないのは人にはそれぞれ好みがあって、ジャンル違いというものです。
「お嬢様がやっと……」
「このお姿、侯爵様にも見せてさし上げたかった」
そう言って涙を流すのは実家から来てくれた侍女たち。
やめてください、「お母さまに見せたかった」などと言われたら涙が……
「お嬢様!?」
思わず涙を零してしまったら、周囲にいたみんなを慌てさせてしまいました。
数名殺気立った顔で廊下に出ていきましたが……彼女たちの誤解を知りつつも放っておきました。
「お嬢様、先ほどの愚か者たちは無知が過ぎて『後釜』などと言いましたが、本来ならばあの女ではなくお嬢様が皇妃となるはずだったのですよ」
確かに陛下は私も元婚約者。
でも私の婚約者だったときのあの方は『皇弟』で、私は皇弟妃になるはずだった。
それがふたを開けてみればあの方は『皇帝』となり、その後の三年間で二十九人の皇妃を娶り(うち二十六人は離縁済み)、私は三十番目の妻。
「女狂いの皇帝の訳あり結婚、三十番目の妻になった私」
「お嬢様、それは?」
「私の半生をつづった自伝のタイトル。どうかしら?」
あら?
自虐的だと笑い飛ばしてくれると思ったのに。
「面白いですわね」
「確かにワケアリ結婚ですものね」
周りの人たちの微笑は私の予想と違うもの……まあ、いいか。
「お嬢様、準備ができました」
やっと終わったと一息ついた直後、部屋の扉がノックされました。
扉の最寄りの侍女が扉を開けると神官長。
「そろそろお時間です」
一息が本当に一息だけだった。
「分かりました」
私は立ち上がると準備を手伝ってくれたみんなに礼を言て部屋を出る。
祭壇のある部屋まで神官長のあとをついていくのだけれど……視線がうるさい。
視界の端には驚いた顔、驚いた顔、驚いた顔。
どうです、中の上だってやるときはやるのです。
私は根にもつ性格です。
「水の姫様、どうなさいましたか?」
「少し緊張しているようですわ」
内心ドヤ顔していたせいで足並みが遅くなったのか、神官長が心配そうに声をかけてくれました。
それにしても『水の姫』と呼ばれたのは久しぶりです。
う呼ばれると建国時から続く名門『水の侯爵家』の末裔であることを意識して背筋が伸びます。
お母様が亡くなったとき、私はまだ十代で水の侯爵家唯一の直系になりました。
ちなみに私一人なのは家族が何者かに襲われたなどと物騒な理由ではありません。
事故や領地で疫病が流行ったなどという哀しい理由でもありません。
理由は『愛』です。
我が水の侯爵家は「愛が一番大事」と豪語する家門で、伴侶一人を愛し抜く。
他の家門のご令嬢には「ロマンチックですわ」と評判がいい、人としては立派な方針ですが、子孫繁栄の上ではデメリット。
他の家門の方々は愛人をこさえて子孫を増やしているのに、うちの家門はただ一人の妻の出産能力に頼りきりなため子孫はそんなにいない。
祖父母の間にできた子どもは母ただ一人。
そして、その母が産んだ子どもも私ひとりだけ。
その結果、未婚で適齢期の女性が他にいないから私がこうして皇帝陛下に嫁ぐことになったのです。
ご先祖様を恨んでしまいました。
「あの小さな姫君がこんな素晴らしい女性に成長なさるとは」
「ありがとうございます」
―――姫様が結婚するときは私か神父になりましょう。
「約束を覚えていてくださってありがとうございます、神の小父様」
「水の侯爵様と、若くして逝ったわが友との約束でしたからね」
「友?」
「私はあなたのお父上と友人だったのですよ。同じ神学校で学び合った仲です。ふふふ、女性と話をしただけで顔を真っ赤にするあの奥手が水の侯爵様の夫となるとは」
水の侯爵は私の亡き母のこと。
この国にはいくつも貴族家がありますが、建国当時からある四つの侯爵家は別格。
この四つの家門だけは血を重視するため女性でも爵位を継ぐことができるのですが、何代か前の皇帝が法律を変更したため未婚の状態では爵位を継げません。
だから水の侯爵位は母亡きあとはずっと空位なのですが、この辺りの認識を間違えている人も少なくなくて、
「あの美形の水の侯爵閣下のご令嬢にしては地味だな」
「いいところは全て姉のレオノーラ様が持っていってしまったのだろう」
祭壇の間の前室に入った瞬間に聞こえてきた声に思わずため息が漏れそうになります。
そう、なぜか私の継父であるルードリッヒを水の侯爵だと思っている人が多く、さらにルードリッヒを私の実父だと勘違いしている者も多いのです。
まあ、神父様も難しいお顔をなさって。
「ゆとり教育の弊害でしょうかねえ」
「法律上は私の義父になりますけれど、爵位継承のルールくらいは覚えておくべきかと」
あら?
何か私も変なことを言いましたか?
「一昨日出た最新の貴族名鑑は見ていませんか?」
「ええ、婚礼準備で忙しくて」
それはもう目の回る忙しさで。
「そうでしたか。水の侯爵様とルードリッヒ殿の『婚姻』に対して不審な点が見つかって調査した結果、お二人の婚姻は無効となりましたよ。最新版では水の侯爵家の方はリディア様のみ、ルードリッヒ殿は何とかって男爵家の子息でしたね」
神父様のお声が大きかったおかげで、周囲の方々の表情が面白いように変わりました。
なかなかよい性格をしている方です。
母と継父の再婚……不審な点だらけですよね。
昏睡状態になって意識のない母の病室に飛び込んでいって母と再婚したというのですからね。
あのとき継父、いえ、ルードリッヒに協力した家門の当主たち、あと立ち会ったと主張した王宮の書記官と神官はしっかりお仕置きしないと。
私ももうすぐ既婚者。
つまり水の侯爵は私です。
「当時おいたをした神官は私のほうから叱っておきました、ご令嬢の手を煩わせることはないでしょう」
「まあ、助かりましたわ」
「いえいえ」と神官様は微笑みます。
「今日をもってずっと空位だった水の侯爵位をリディア様が継承されること、少し早いですが言祝がせていただきます」
「ありがとうございます。未熟な身ですが精進してまいります」
「リ、リディア嬢」と名前を呼ばれたので振り返ります。
誰かしら?
「王都で商いをしている者なのですが……その、『水の侯爵』の名で購入された品物の代金が未払いなのですが」
その方の訴えで周囲も「これ幸い」と未払いの話を私にするのですが、
「どうしてそんなことを私に?」
「どうしてって……ルードリッヒ殿が自分は水の侯爵と言うから我々は信用して」
「ルードリッヒ殿が詐欺を働き、あなた方は確認不足で詐欺に引っかかった。そこに私が関係あるのでしょうか?」
「ルードリッヒ殿が水の侯爵じゃないなんて知らなかった……」
「変な話ですわね。四侯爵家で最重要視されるのは『血統』、初代の血を濃く継ぐ者から優先して爵位が継承されることはよく知られていること。ルードリッヒ殿も一門の者なので継承の可能性はありますが、継承順位が私の認識外なので百番台なのでしょう」
四侯爵家だけそんな変なルールがあるのは、このベルンハルト帝国が仲良し五人組によってつくられた建国の歴史に関係しています。
この五人は偉大な魔法使い。
国を作った彼らは「王様を決めよう」と話し合いに話し合いを重ね、聖魔法の使い手が皇帝になりました。
聖魔法使いが王様になったのは「皇帝はみんなに守られる者だから」という他の四人の主張によるものなのですが、別に彼が弱かったのではありません。
他の四人が戦闘型の魔法が得意だっただけで、彼のみが結界創生など防御に特化した魔法使いだったからだそうです。
仲良し五人組。
皇帝以外の四人は『侯爵』となり皇帝を支えることを誓いました。
このとき皇帝に誓った者の一人、水の魔法使いが私のご先祖様です。
この五人の仲良しっぷりは時を経た現在でも影響があると言われています。
例えば魔力量。
不思議なことに侯爵家の直系は生まれながらして膨大な量の魔力を持ちます。
私の魔力量も結構あります。
ちなみにルードリッヒ殿が魔法を使うのを見たことがありますが、あたった者が「雨かな?」と首をかしげる程度の水弾で疲れていました。
「そんな、どうかお願いします。リディア様はあの方たちの家族だったでしょう?」
「そんな義理のない、お互い嫌い合う間柄ですわ」
「そんな、家族なのに……」
「家族と仰いますが、私の婚約者を寝取った者を、それを褒めたたえる者たちを家族として慕わなければいけないのですか?」
私と陛下が婚約者だったことはこの場の誰もが知っています。
そしてその私から婚約者を寝取ったことを自慢していたのはレオノーラ自身、皇妃の言葉だからと「さすが」と肯定して褒めたたえた者はこの場に大勢います。
「知らなかったとは言わせませんわ。この三年間、寝取られた令嬢として社交界では笑われましたもの。良識的な方は笑いはしませんでしたが、腫れものの扱いは受けましたわ」