鬼退治!その4 両雄の加護
「いてててて・・」
滑落中、すんでの所で縄を掴み衝撃を弱めることができた。が、谷底手前の斜面で半宙吊り状態になっている。服の中に入れていた子犬が無事だったことが不幸中の幸いだ。
── 弥太郎、お前もしかして・・・
そのまま斜面に寝そべりながらしばし考え込んでいると、雨に流されあのいや〜な臭いが漂って来た。
── これはっ!?
時を同じくして山道から大きな声が響く。
「おーい!龍彦ー!!大丈夫かっ?!」
「大丈夫!あちこち痛いけど、怪我はなさそうだよ!
それより弥太郎、籠を投げてくれ!!」
有無を言わせずに籠を投げさせると、その籠に片っ端から周囲に生い茂っていた草を毟って投げ入れていく。そして自分の身体に巻いていた縄を籠に結び付けて叫ぶ。
「縄を引き揚げてくれー!」
ずるずると籠が上がっていき、弥太郎が籠を抱えこんだ時、驚きの声が上がった。
「なんだこの臭い草はっ!?」
そう。お目当てのクソニンジンがこんなところにも生えていたのだ。これは大幅な時間短縮だ。
── というかこれ、実はそこら中に生えてるとかないよな・・? そうだったら泣くぞ。
縄を垂らしてもらい、今度は慎重に登って無事山道へ戻ることができた。
弥太郎は申し訳なさそうなのと強烈な臭いを放つ草を引き上げさせられたことと様々な感情の入り混じった複雑そうな顔で立っていた。
弥太郎が言葉を発しようとしたその時、手のひらを突き出してそれを制止する。
「色々言いたいことがあるのはわかるけど、今はこの子の手当が先だ。体温が低下していて危険なんだ。」
雨風を凌げる場所へ移動して堅く絞った布で体毛の水気を拭き取る。そして肌で温めながら様子を見守る。
── 今できるのはこのくらいだ。頑張ってくれ。
その様子を向かいで眺めていた弥太郎が口を開く。
「さっきは悪かった。手が滑ったんだ・・」
俺は弥太郎の目をまじまじと見ながら返答する。
「・・・あんた目がよく見えないんだろう?いつからだい?」
あの時の様子はどう見ても手が滑ったではなく俺の手が見えていなかった。おそらく、ただでさえ視力が低い上に雨で霞んで視界が悪くなっていたのだろう。あの睨み付けてくるような鋭い目つきもそれが理由だ。
俺の言い方から言い逃れができないことを悟った弥太郎はぽつりぽつりと真実を語り始める。
「・・・3年前だ。定家殿が疱瘡になってから2週間後くらいに俺もなった。
生死を彷徨った末になんとか病気は治ったが・・・右目が全く見えなくなっていたんだ。左目もぼやけてあんまりよく見えない。」
── なるほど。言われてみれば昔は疱瘡、つまり天然痘に感染して失明する人が多かったんだ。伊達政宗が独眼竜になったのも天然痘の後遺症だと言われている。
片目を失明していたら距離感が掴めない。ましてや左目もよく見えず、雨で視界も悪い。条件として最悪だっということか。
定家が幼少期に病弱だったという話は聞いたことがあるようなないような・・・。まあ、天然痘の潜伏期間は1~2週間と言われている。たぶん定家の看病をしていて感染したのだろう。
「・・そうか。このことを定家殿は?」
「知らないはずだ。頼む、このことはみんなには黙っていてくれ・・」
いつもの鋭い目つきが見るかげもなく声も弱々しい。
「わかった、言わないよ。ただし、これからは困った時は俺を頼ってくれ。無茶をしてさっきのようなことが起きたらそれこそ取り返しのつかないことにもなりかねないからね。」
「・・恩に着る。」
そうこうしている内にいつの間にか雨が上がり、太陽が顔を出してきた。俺は子犬に日の光を当てるため、日当たりの良い場所へ移動する。
── そういえば、雨で冷えたから休憩してご飯にしようって話だったんだよな。思い出したらお腹が空いてきた。
「弥太郎、燻製肉と強飯(*1)取ってくれ。」
「俺もちょうど腹が減ったと思っていたところだ。飯にしよう。」
ベーコンをしゃぶりながらふと思う。
── このベーコン、一昨日初めて食べたばかりなのに以降毎食食べていて既に馴染みつつあるなあ。これはたらふく食べたくなる気持ちもわかる。
令和の中葉に直面した世界食糧危機の後、生産コストの大きさから食肉文化への世界的批判が高まり牧畜は衰退の一途を辿った。俺が生まれた頃には牛肉や豚肉は日本の中間層ではとても手が出ないほどに超高級品となっていた。
祖父母達から昔話を聞かされる度、昔の人達を羨ましく思いつつも、一方で憐んでもいた。だけど今、彼らの気持ちがわかりかけている気がする ──。
そんな物思いに耽っていると、子犬の鼻がヒクヒクしていることに気が付いた。
── もしかしてベーコン食べられるかな?
犬に塩分の濃いものはよくないけど・・・今はこれしかないし、ちょっとだけならあげてもいいかな?
ささやかな葛藤の末にベーコンを千切って少しだけあげてみたところ勢いよく食べた。食欲さえあればきっともう大丈夫だ。
食事を済ませると日が暮れる前に早々に帰路につく。予定の半分の所用日数で済みそうなのは幸運だ。
馬を休ませられる開けた場所まで行って今夜も野宿だ。
野宿場所を見つけ、弥太郎が馬をねぎらっていると思い出したように口を尖らせながら話しかけてくる。
「龍彦がこいつを放って行ってしまったから走り去ろうとしてしまってな。こいつを連れ戻して落ち着かせるのに本当に苦労したんだぞ・・。
馬がいなきゃ俺達は帰るのに倍近い時間がかかるんだ。大切にしてくれよな。」
── そうだった・・。馬のことをすっかり忘れてつなぎ止めないまま行ってしまったんだった。
「・・・すまなかった。今度から気をつけます・・。」
「ところで今回の旅の目的はこの臭い草をとってくることだったのか?」
「そうだよ。このクソニンジンっていう強烈な臭いのする草は治療に使えるんだ。」
「そうなのか。それにしても変な名前だな。」
「ああ。臭くて形が人参の葉に似ているだろ?」
クソニンジンは実際にはヨモギ属の植物だ。日本には古来からあったという説や江戸時代に中国から入ってきたという説など様々だったがどうやら日本にも原生していたようだ。
クソニンジンの葉に含まれるアルテミシニンという成分がマラリアの治療に有効なのだという。キニーネに比べて発見は遅く、1967年にようやく中国でクソニンジンの有効性が発見され、その5年後に中国人研究者によって有効成分としてアルテミシニンが抽出された。2015年にはノーベル賞を受賞している。不名誉な名前とは裏腹にとても偉大な草だ。
── それにしてもこんな近くで発見できたのは本当に運がいい。・・・もしかしてこいつのおかげなのかな。
胸元ですやすやと眠る子犬を見つめながらそんなことを考えていると、弥太郎も子犬を眺めながら言及する。
「お前が白い犬が流されていると言った時、俺にはそれが見えなかったんだ。だけど今こうして近くで見てみれば本当に真っ白で、まるで大江山の白犬公のようだな。」
「え、何それ? 何か白犬の伝承でもあるの?」
「大江山の鬼退治伝説、知らないか? 聖徳太子の弟の麻呂子親王が大江山に住んでいた大鬼をやっつけに行った時に白い犬がその大鬼の場所を示したと言い伝えられているんだ。」
「へえー。そんな逸話があったのか。俺が知っているのは頼光殿の伝説くらいだな。」
そこでふと名案が浮かんだ。
「・・・この子犬の名前は頼光殿にあやかってライにしよう。もう一度鬼退治に力を貸してもらおうじゃないか。」
── これからよろしくな、ライ公。
*1 強飯: 甑(底に小さな穴の開いた穀物などを蒸す土器)で蒸した米飯。粘り気がなくかたい。




