鬼退治!その3 戦略的撤退
石鹸を作ったその夜、出来上がった石鹸を定家にお披露目して実際に使ってもらった。手を洗っただけですぐに効果を実感したらしく、現在定家は自室で湯あみ中だ。
俺はここ数日ロクに眠れていなかったので一足先に休ませてもらおうと従者用の部屋で横になっていた。うとうとしかけたその時、ドタバタとかけてくる足音が聞こえた。
「龍彦!この石鹸は素晴らしいではないか!身体中の臭いが消えたぞっ!!」
── うん。誰1人例外なく凄まじい臭気を放ってるからね・・・。石鹸は偉大だなあ。
定家に関してはお香で臭いをかき消そうとしていたようで1人だけ独特な臭いを撒き散らしていた。ようやくあの臭いから解放されるのかと思うとすごく嬉しい。
「それはよかったですねぇ・・。眠いのでまた明日にしてもらえますか・・・」
定家は眠そうな俺を見て気を利かせて早々に去って行った。
それでも石鹸の効用を再度しつこく確認していたのできっと明月記(*1)に詳細を書くのだろう。この人のマメさは本当に尊敬する。
── もしかしたら石鹸の和歌なんかも後世に残るのだろうか。
そんなことを考えながら深い眠りについた。
◇◆◇◆◇
久々に爽やかな朝を迎え、石鹸で衣服を洗濯しながら今後のことを考える。
量産体制とは言えないまでも10郷に配れる分の石鹸製造の目処がたったところで次のステップだ。
高熱で苦しんでいるマラリア患者がいるのにそれを放って予防にばかり時間をかけてはいられない。
マラリアは一度目の発熱よりも二度目、三度目の発熱とサイクルを繰り返すほどに症状が深刻になる。それは子どもにはとりわけ致命的で、マラリアによる死者は子どもに多い。
── なんとしても子ども達を助けなくては。
マラリアの特効薬として有名なのはキナの樹皮に含まれるキニーネという成分だ。大航海時代に入って南米原産のキナの木が欧州や北米に広まった結果、偶発的にマラリアの治療に有効なことが判明したとされている。
もちろんこの時代の日本にあるはずがない。
だが ── 治療の当ては、ある。
「定家殿、おはようございます。昨夜はご無礼を働き申し訳ございませんでした。」
「気にするでない。最近は暑くて身体中ベトベトだったが昨夜の湯あみでさっぱりしたので、今日は清々しくて気分が良い。」
「それはよかったです。石鹸は今日も従者達に作ってもらうので、随時伝馬役(*2)に感染地域まで運ばせてください。私は今日から数日間、来た道を引き返し定家殿と出会った場所に行って来ようと思います。」
数日というのは方便だ。早馬なら往復4,5日で済むが俺の腕では10日以上かかってしまうかもしれない。
「・・なぜだ?」
「実は定家殿と出会う直前、鬼の穢れを浄化できる薬草を見つけていたのです。それを取りに行って参ります。」
「出会った場所とは・・かなりの距離だぞ。馬の扱いに慣れた者ならともかくお主では・・・」
「そこで相談なのですが、弥太郎を一緒に連れて行ってもよろしいでしょうか? 弥太郎は馬の扱いに長けているので道中に指南してもらうこともできますし、追従であれば私でもある程度は速く走れると思います。」
「・・うむ。それが最善なのだな?ならばよかろう。弥太郎には話しておく。」
── 物わかりがよくて助かる。定家はもっと激情型の気難しい人だと思っていたけどそんなことはなさそうだ。
「ありがとうございます。」
「して、私は今日から国衙へ赴いて前上野介と引き継ぎの解由状(*3)作成を行う予定だ。お主も帰って来たら国衙へ来るがよい。」
「承知しました。」
◇◆◇◆◇
碓氷峠の関所を出発した翌日は朝から雨がしとしとと降っていた。
俺は長野の山中を弥太郎の背中を追いかけてひたすら馬を走らせている。
夏とはいえ防水着がない中の乗馬は体温が奪われて体力の消耗が激しい。
エネルギー補給が必要だ。
「弥太郎ー!!ちょっと休憩しよー!!」
雨に負けないように大声で呼び掛けると、前を走る馬が徐々に減速して俺の横に並ぶ。
「疲れたか?この辺りは土砂崩れが怖いし馬が休める場所がないからもう少し開けたところまで行きたいんだが。・・我慢できるか?」
── うっわ、やっぱこいつ有能だわ。災害リスクのことも馬のこともしっかり考えてるんだなあ。ぶっきらぼうな物言いと目つきの悪さだけなんとかすれば絶対モテるだろうな。羨ましい。
そんなことを言われては我慢するしかない。
「ああ、問題ない。休める場所まで行ったら休憩しよう。」
そんな話をしながらふと弥太郎越しに山道下を流れる沢が目に入った。そこに白い犬が見えた。
── ん? もしかして、流されてる・・?
「ごめん、やっぱりちょっと止まる!」
そういうとすぐに馬を止めて下を覗き込む。
「・・間違いない、流されてる!弥太郎、白い犬が流されてる!!」
俺の元へと引き返して来た弥太郎に犬を指差して叫ぶ。
「どこだ?俺には見えない。」
「あそこだよ、ほら!あそこ!」
そんな不毛なやりとりが続き埒が明かなかったので救助のための行動に移ることにした。
「あ、木片に引っかかったみたい!今がチャンスだ!!
弥太郎、長縄あったよね?それを俺に巻きつけてくれ。助けてくる!」
すると、普段ただでさえ険しい弥太郎の表情が一層険しくなる。
「犬1匹のために時間を無駄にするのか!? 今そんなことをしている場合か!?」
価値観というものは時代によって様々だ。この時代に危険を冒してまで犬1匹を助ける人間なんて信じられないのかもしれない。
ここで無茶をして怪我でもしてしまえば、もっと多くの人の命が危険に晒されることになりかねない。
── でも!俺は22世紀の人間だ!!犬も猫も家族同然に扱われる時代を生きてきて、目の前で助けられる命を見捨てられる訳がない。
「・・・ごめん、それはわかってるけど、でも俺行くよ!」
そういって弥太郎の背負っている籠から長縄を取り出して一端を身体に、もう一端を近くの木に巻きつける。
沢までの高さはビルの3階分ほどはあるだろうか。縄の長さは足りるだろうか。急な斜面を恐る恐る下り、ちょうど平坦な谷底に着いたところで縄が伸びきった。
── 沢までは届かないか・・。仕方ない、縄を解こう。
縄を解いて沢を渡る。雨で増水しているのか膝の上まで水位があり、流れも速い。足元を掬われそうになりながらも慎重に進み、白犬を抱き上げることに成功した。
「もう大丈夫だよ。よく頑張ったね。」
山犬の子どもだろうか。腕の中にすっぽり収まってしまうほど小さい。
そして冷たい沢の水に晒されていたせいなのか、ひどく衰弱している。
なんとか沢を渡って縄の場所まで戻ってくると、再び縄を身体に巻きつけて犬を服の中に入れ、急な斜面を登っていく。
山道では弥太郎がこちらを物凄い形相で睨み付けている。
── めっちゃ睨まれてるんですが・・・いつか分かり合える日が来ると良いのだけれど。
手を伸ばせばギリギリ届きそうな距離になり、弥太郎が手を差し伸べてくる。
── なんだ、やっぱりなんだかんだでいいやつじゃん。
それに応えるように精一杯手を伸ばす。
ガッチリと手を取り合ったと確信したその手は、次の瞬間・・空を切った。
そして俺は、その反動によって足場を崩して谷底へ滑落した。
*1 明月記: 藤原定家が書いていた日記。当時の貴族生活を知る上で貴重な資料の一つ。
*2 伝馬役: 駅伝する人のこと。馬を使って逓送(人から人へ受け継いで送ること)する人。
*3 解由状: 奈良・平安時代の官人が交代の事務手続きで作成する書類。その国の事務や財政に関する引継ぎのための書類で、財政が欠如するなど引継ぎができない時、つまり後任者が合意できない時には不与解由状が作成されることになる。




