私のミルクティー
「けい!けい!見つけたの!」
「んあ?」
学校から帰ってきて疲れてソファで寝ていたけいに話しかける。
私の右手にはあの鍵!
「この前使ったレッスン室に忘れてきてたみたいなの!」
「……よかったな…」
低血圧のけいは、寝起きで機嫌悪そうだけど…いいわよねえ。
あんなに、うちに盗みがはいる!とか言ってたんだもの。
そんな事ないわって教えなきゃ。
ほらね、誰も悪用なんてしなかったでしょ!
「ねえ、けいってば」
「……何」
「やっぱり悪用されなかったでしょ!」
「あーはいはい…」
2人の温度差にいらっとする。
なんなのよう。もう少し喜んでくれてもいいのに。
寝ていたけいを起こしたのが悪かったのかしら。
とりあえず、見つかったからいいや。
けいがうるさいから、おばあちゃんにもらったこのネームホルダー(って名前なのかしら?よくわからないけど)は外しておこう。
これにて一件落着!
*
……というのが、一昨日の出来事。
「姉貴。なんでもいいから、優さんのところに見つかったって報告に行ってこいよ」
けいが横からそう言う。
私今、伴奏譜を製本中なんだから、話しかけないでよ!
「……なんで。けいが言ってくれたんでしょ」
「優さんもあの喫茶店、かなり探してくれたんだよ!」
この伴奏譜は、絢香が今度コンサートに出るときに歌う曲。
絢香が習っている先生の門下生が出るコンサートらしくて、いつも絢香の伴奏をしている私にまた伴奏を頼んでくれたの。
声楽だから何曲かあって、製本が大変なのよ〜。
丁寧に、楽譜と楽譜をセロハンテープでくっつけていく。
「……だからなによ」
「だから姉貴からお礼言えよ!って言ってんだよ!」
よし、一曲目終わりっ。
音高時代から培ったこの製本技術!
私は一旦顔を上げると、けいを軽く睨みつけた。
あ、あくまでも軽く!よ。怖い姉だと思わないで〜。
「だから、けいが言ってくれたんでしょ!だったらいいじゃない。どうして、私が言いにいく必要があるのよう」
「じゃあこっちも聞くけど、どうしてそんなに嫌がるんだよ。行けば美味い紅茶淹れてもらえるんだろ?」
美味しい紅茶だって、お金払って飲むわけだし。
それに…大村君に会うと、あのひとの事も思い出しちゃうし。
ちょっとは、辛いんだよ。
もう逢えないひとのこと想うの。
「だって面倒じゃない!どうして私が行かなきゃいけないの?」
「出た、お嬢様発言」
「そういうつもりで言ったんじゃないの!からかわないで!」
大村君が悪いわけじゃない。
でも、大村君といると、どうしても中学生のときに心が戻ってしまう。
大村君といつも一緒にいたあのひとを、思い出してしまうの。
大袈裟だと言われてしまえばそれで終わりだけど、私にだって心くらいあるのよ。
「はいはい、とりあえず、喫茶店行ってみろよ?」
「なんで私が……」
私は反ば諦めて、口答えするのをやめた。
あの紅茶、嫌いじゃないし…むしろ好きだし、紅茶飲みに行くつもりで行こうかしら。
それにしたって、どうしてけいはこんなに、私をあの喫茶店に行かせたがるわけ?
「じゃあ明後日レッスン終わったら行ってくるわ。それでいいでしょ?」
「さんきゅ!」
……なんでけいがお礼なんて言うのよ。
益々わけ分からないじゃないの。
ドタドタと音を立てて階段を上るけいを、私は訝しげな目で見ていた。
* * *
「いらっしゃいませ」
「あ……」
レッスンが終わった日の帰り、喫茶店を訪れると、カウンターの奥にいたのは大村君のお父さんだった。
「すみません…優さんいらっしゃいますか?」
「ああ、もうすぐ帰ると思いますよ。カフェオレでも淹れましょうか」
「あ…すみません」
カフェオレ、飲めないんです!
そう叫びたい気持ちを抑えて、私はなるべく笑顔を作った。
歩く度に、木の優しい音がする。
静かに席に座ると、私はいつかのときのように楽譜を両手に抱えた。
「息子がいつもお世話になってます」
「あ、いえ。そんな、こちらこそ」
大人相手に、楽譜を抱えているものちょっと……と思い直して、鞄をゆっくりと床におろした。
大村君のお父さんはゆっくりとした動作で珈琲を淹れている。
上手なんだろうなぁ。
珈琲を味わえないのがちょっと悔しい。
「大学に通ってるんですか?」
「え…あ、はい」
突然、大村君のお父さんは顔を上げてそう聞いた。
こう言ったらとっても失礼だし、なんだか悪いなぁって思うんだけど、いくら知り合いのお父さんでも、〝知らないひと〟でしょう?
出来れば会話なんてしたくないのよ。
自己中心的…って思うなら勝手に思ってちょうだい!
「音楽大学に通ってるんですか?息子が言ってたんですけど……」
「あ、はい」
「何科なんですか?」
「器楽科で…ぴあ、ピアノ専攻です」
「おお!器楽科っていうんですね。高校はどこに行ったんですか?」
「ええと…美川女子の音楽科……」
「音楽科?やっぱり音大生は高校も音楽科なんですか?」
「い、いえ、あの」
「父さん!」
大村君のお父さんの質問にしどろもどろ答えていると、カウンターの奥のドアから大村君が出てきた。
救世主!
「なんだ、優か」
「なんだじゃねえって。ひより困ってるだろー?」
「あ、ああ、申し訳ない」
「…い、いえ」
大村君のお父さんはどうしてこんなに私にいろいろ聞くのかしら?
そういう性格なの…?
「悪いな、ひより。父さん今、音大生出てくる話書いててさ、音大情報集めてんだよ」
「……話?」
話が見えない。
話?
「あ、私小説家の端くれで」
「え、えええ、すごい!」
えー!
思わず胸の前で手を組んだ。
お父さん、お話書くんだ!
いいなぁ、素敵!
「端くれ?そこそこの小説家なんじゃねーか?」
「そうだといいんだけどねぇ」
なんだか2人の雰囲気がいい。
親子って感じ。……まあ親子だけど。
……あ。
もしかして、けいが私をこの喫茶店に越させようとしたのはこの所為かしら?
音大生が出てくる小説を書いている大村君のお父さんの参考になるように、私を送り込んだ、みたいな?
それなら協力させて頂きますー!
「じゃあ、あとは優に任せるから、よろしくな」
「あ、ああ?」
え?あれ……?
話聞くんじゃないの?……違うの?
「それともお前……」
「い、いいから奥で小説でも考えといて!」
「おう」
大村君のお父さんは、そそくさとエプロンを外すと、肩を回しながらカウンターのドアの奥に消えて行った。
……えええ?
いいの……?
もしかして、私の推理外れてたのかしら?
たしかにけいは、鍵を探してくれたお礼を言えって言ってたけど、やっぱりそれだけなのね?
……面倒なんて文句は言えないけど、面倒よ。
そうなら、お礼を言って早く帰るわ。
「大村君」
いつになくはっきりと声が出た。
いつも掠れてるのにね。
「なんだ?」
「この間は迷惑かけてごめんなさい。鍵はちゃんと見つかったから」
「ああ、わざわざ報告に来てくれたのか?」
「ええ……けいが煩いから」
「けいが?」
「あ、私がそう言った事、けいには言わないでね!」
だって、このひと達、勝手に私の話題を共有してるんですもの。
ほんと、プライバシーの侵害よ。
「わかったわかった」
大村君まで…私が何か言うたびに、いちいち笑うんだから。
「まあとりあえず見つかってよかったよ。次行くとこなければここに来ていいからな」
「ん、ありがと」
もう二度とあんな目には合わないわよ!
心の中でそう呟く。
だいたい、深夜なんてこの喫茶店は閉まってるじゃない……。
「俺は圭からちゃんと聞いたんだけどな…圭に言いに行けって言われたのか……?」
「そうなの」
私はここでぐっと拳を握った。
「おかしいと思わない?全くもう、けいったら何考えてるんだかさっぱり分からないわ」
「そうだな」
大村君は眉を下げて笑った。
そうしてから、大村君のお父さんが作りかけだったカフェオレを横にどけて、紅茶を淹れてくれた。
珈琲の香りが充満していたこの部屋に、途端に紅茶の優しい香りが広がる。
今までなら、ここで紅茶をカップに注いでくれるのだけど……。
いつも、ポットにお湯をいれてから、少し蒸らしているのは知っているけど、今日は何故かそれが長い気がする。
私が楽しみにしているから、長く感じるのかしら。
聞いた事がないクラシック音楽を聴いていると、どれくらい経ったのか、大村君が、さっとポットからカップに紅茶を注いだ。
そして、すぐに手を止めて、……あれ?何か違うものを入れている……?
カウンターがあるから正確には見えないけれど……多分そうよねえ。
黙って待っていると、上品なソーサーに乗ったカップを私の前にゆっくりと置いてくれた。
カップの中の覗き込んで、私はまたすぐに顔を上げた。
「ミルクティー?」
「そ。いつもミルク入れてるから、好きなのかと思って」
「うん、好き!」
思わず明るすぎる声が出てしまった。
でもまあいいか。
私、紅茶全般は好きだけど、ストレートティーとミルクティーならどちらがいい?、と聞かれたら、ミルクティーだと即答出来るくらい、ミルクティーが好き。
だから、嬉しい。
「ダージリンじゃなくて、アッサムを使ってみたんだけど。お口に合うかな、お嬢様?」
「もう!」
お嬢様、だなんて、絶対にけいの影響ね!
あの子、よくそう言って私をからかうもの。
それより、茶葉を変えてくれたの?わざわざ?
「アッサムの方が甘みとかコクがあるから、ミルクティーに適してるんだって。牛乳も、低温殺菌だぜ」
「低温殺菌?」
「ああ、普通のより美味しくなるらしいけど」
そうなんだ……。
早く飲んでみたいけど、生憎猫舌なのよ……。
「……大村君は、ミルクティー好き?」
「あー、ん、あんまり。俺は珈琲のが好きかな」
「なんだ……。大人なのね」
「じゃあひよりは子どもなのか?」
「そういうわけじゃないわよう」
「だって珈琲飲めねえんだろ?お子ちゃま」
「別に子どもでもいいわよー!」
目つきを鋭くさせてみてから、私は右手にカップを持った。
白い湯気がほわほわと立ち上るミルクティーにそっと口を付ける。
「どう?美味しい?」
そう聞く大村君をちらりと目だけで見上げてから、ミルクティーをもう一口。
美味しい!
「うん、とっても」
「それはよかった」
そう言って大村君は優しく笑った。
明けましておめでとうございます。
ぼちぼち更新して参りますのでこれからもよろしくお願いします。