沈黙の真実
「じゃあ私、そろそろ帰ろうかな」
帰りたいんです、って意味を込めて、何気なく呟く。
春の午後は長いけど、今日は早く帰りたいの。
高校生の頃から買ってる漫画の単行本、先週発売日だったのやっと買ってきたのよ。
ばりばりの少女漫画。お話の中でくらい、ドキドキする恋愛をしてみたい。
「ああ、そうだな」
「ミルクティーは、いくら?」
「……いや、いいよ」
「……え?」
払わなくていいって事?
そんなの嫌よおー。
お金をうやむやにするなんて、気持ち悪いじゃない。
私が何かお返ししないといけないみたいになるもの……。
「嫌、ちゃんと払ってくわ」
「味見してもらったようなもんだし。ほんと、店のメニューじゃないから構わねーよ」
「私が構うの!」
確かに、何も言わずにミルクティーを出したのは大村君だけど、気を遣われるのって、返って気を遣っちゃうのよ。
「じゃあ、また遊びに来てよ」
「……どうして」
何度も何度も考えたけど、私もうこの喫茶店に来たくないの。
大村君を見ると、反射で、どうしてもあのひとを思い出す。
それを辛いと言うのは私が弱い所為かもしれないけれど、わざわざ中学生の頃の記憶を掘り出したくないのよ。
それに、大村君は私がお店に来ようと来まいと、何ともないでしょう?
「どうしてって……」
あ。
本気で理由を聞こうと思ったんじゃないのに、大村君はそう言って口ごもった。
なんだか悪いなぁ。
でも、まさか理由を言うわけにもいかないし。
こんな事、他人に言ったところで、ただの笑い話になるのは分かっている。もしくは、呆れ話とか。
しかも、大村君とあのひとは友達だ。
それが過去の関係か、現在進行形のそれかも分からない。
そんなひとの前で、『中学生の頃を思い出すから』なんて言って理由を聞かれても困るもの。
「ご…めん、またいつか来るから…」
「……分からない?」
その場を取り繕おうと言った私の言葉が聞こえなかったのように、大村君がいやに重い声で言った。
「……え?」
思わず聞き返した。
分からないって……そんな特別に、理由があるの?
「分からない?」
今度ははっきり、そう言った。
私は黙って見つめる。
「好きだからだよ」
早口で、大村君が何か言った。
「中学のときから、好きだった」
そう繰り返した。
私の頭の思考が止まる。
好きって、何が?…誰、が?
「学校が変わっても、圭にひよりの話聞けたからかな、未だに好きなんだよ。まったく、片想いもいいとこだぜ」
大村君がふっと笑った。
「でも…やっと言えたな」
優しくて、優しくて、崩れてしまいそうな笑顔。
そんな顔で、私を見ないで……。
なぜかいたたまれなくなって、私は視線を落とした。
「だからだよ。おまえが好きだから、ここにも来てほしいし、話したいし、会いたい」
そう言われて、私はやっと現実を直視した。
大村君が、私を好き?片想いしていた……?
からかってるんじゃないのよね……?
嘘ついてるわけでもないわよね……。
そんなの、大村君の顔を見たら、ほんとうだって事がすぐ分かる。
「ゆっくりでいいから、俺の事を男として見てくれないか?」
こ、こんな事言われたのなんて初めてなのよ。
まさか、この私が告白をされるなんて。
大村君は、本気で言っているの?
分かっていても、気がつけば疑ってる。
大村君にそんな気持ちがあるなんて。想像もしなかった。
しかも、中学生の頃から好きだった……?
全く、微塵も気がつかなかった。
私は、その隣のあのひとを見ていたから……。
そのときにも、大村君は私を見ていてくれたのだろうか。
少ない記憶を再生してみても、どうだったかなんて分からない。
「ひより……?」
黙ったままの私を見て、大村君は遂に私に返事を求めた。
口が乾いて頭が混乱して、言葉は出てこない。
何て……何て言えばいいの……?
何も言わないなんて、大村君はきっと不安になるだろう。
罪悪感はあるけれど、気の利かない私の唇は閉じたまま。
「……ごめん」
とうとう、大村君が謝罪の言葉を口にしてしまった。
悪いのは私なのに、申し訳なさすぎる。
そうと言っても、素敵な返事が出来るとは限らない。
「……ご…めんなさい…」
そう言ってからはっと気がついた。
このごめんなさいは、『すぐにお返事が出来なくてごめんなさい』なのに、下手をしたら、『あなたを恋愛対象として見れません』という意味になってしまう。
どうしよう。
どうしよう!
違うの。違うのよ。
その瞬間、頭にちらついたのは漫画の台詞だった。
付き合ってほしいと言われた主人公は、決まり文句でこう言った。
「…少し時間…ください……」
ドタン、と音をたてて、スツールから降りた。
鞄を肩に掛け直すのも面倒で、両手に握ったまま、勢いで頭を下げる。
「ま、また来ます」
それだけ言うと、私は早足で喫茶店を出た。
大村君が何か言うのが怖かったけれど、大村君は何も言わなかった。
…傷ついたかな。
そんな大袈裟じゃなくても、マイナスの感情を抱いただろうという事は私にでも分かる。
何年越しの告白をしたのに、その相手は逃げるように立ち去ってしまって、よくよく考えたら、すごく失礼だ。
その日の帰り道は、恋愛漫画のようなドキドキよりも、自己嫌悪と客観的な分析力の方が勝っていた。




