28.認知の歪みを持たないように生きたいものだが
この「認知の歪み」というのは簡単に書けば「現状を正確に受け止められずに、物事を偏った思考で判断してしまう状態」であり、精神疾患にも繋がっていく。こんなエッセイにまで目を通すような方ならご存じかとは思うが一応。
実のところネットを見ていれば──この「なろう」でもそうだが、こうした状態と思われる人間は多い。そして往々にして自覚がない。まあ自覚ができるならそんな風にはならんのだけども。
なろうであると感想欄が一番わかり易い。どんな言葉を、どんな風に書いているかだ。
例えば三点リーダーを2つ連続で使っていない、段落の頭を下げていない、などのただの慣習をおこなっていない文章。そうした投稿に対して「ここはこうしてないとダメ!」のように強く文句を書くような輩。自分の意識の判断でしかないことを、他者にまで絶対の正解のように断言してしまうのは既にその領域に足を踏み入れている人の可能性は高い。
本来であれば真理でもなければ言い切るような、断言できるような物事というのは人の世にはない。常に流動する。昨日までAという意見だった人が翌日にはBという意見になっていてもなんらおかしなことはない。
ただの思考のモデルをさも最終的な答えのように騙る人間はどこかがもうアレである。こんなことを書いている僕もまた同類なのだが。飛躍がある。
こんなエッセイを書き続けていると、そうした人間──僕が対象とするような人間から文句の1つや2つも来るものである。しかも一応は10年もやってきた。でも来たことは1回しかない。
その類の人間というのは自分の考え方や価値観に疑問を持たずに生きている。普通の人は「これ、自分が間違えてるんじゃないか?」というように、外部からの情報という刺激で自分のことを客観視しようとする能力持ち、その都度に成長する面を持つ。歪みを持つ人間はそうした成長が出来ない。いつでも、いつまでも「自分が正しく」て「自分だけは間違えない」世界で生きている。
僕もそちら側ではあるものの、少しばかり事情が違う。
僕のような人間は自分を正しいとも考えていない。一般的に正しくありたく、普通と扱われたいがために多くを調べてしまう。
そして自動思考のパターンとしては「人間はクソ」「人類は滅ぶべき」といったようなものだ。そこがスタート地点で「いやこれは思考の偏りだから他の解釈を考えてみよう」となる。




