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76 ネロの友達

「ったく……」


 飲んだくれの男は、ドスンと音を立てながら、アイから少し離れた椅子に座った。


「いいか?アイツはまだマシな方だ。この酒場ではな。それで?要件は?」


 突然自分から現れて、要件を聞いてくる酒臭い男に、アイは不審そうに見た。


「ほら、用があるんだろ?」


 面倒そうに、早く話せといった感じで、男は急かす。


「ソロン……?」


 酒場のどこかで、花屋としている会話を聞いていたということだろうか。

 男は答えなかったが、逆に疑るような目で、アイを見ていた。


「これを……」


 アイは男に手紙を渡した。

 ソロンらしき男はひったくるようにそれを受け取ると、目を細めて読んだ。


「ネロ……あの野郎……」


 読み進めるにつれて、男の表情は驚いたようなものに変わっていく。

 その反応からも、ネロを知っているような様子だった。

 アイはこの男がソロンなのだろうと思った。


「はは……オイ!傑作だな!読んだか?これ!いっちょ前に恋だとよ、鼻たれが!!」


 ソロンは、ネロがアイに愛を伝えるところまで読んだのか、大声を出して笑った。


「ちょ、返して下さい!そこまで読めなんて言ってないだろ!」


「あーはははは!!ひぃ~腹いてぇ……!!」


 ソロンはしばらく本気で腹を抱えて笑って、息を整えるまでに時間がかかった。

 アイは、命を懸けてまでアイを救ってくれたネロが書き上げた想いを受け止める覚悟まではないものの、そうして笑われるのは不快に感じて、眉間にしわを寄せてじっと待っていた。


「はぁ~……笑ったぜ。……アイツとは未だ連絡が取れてない。来な」


 さっきまで笑っていたのが嘘のように、ソロンは表情を元の仏頂面に戻すと、席を立って、アイを連れ出した。

 お代はまだだったが、ソロンがそんなのはいいと言い、店員に手を振るだけで、アイ達は見送られてサードを出てくることができてしまった。


「全く……もう少し、いい服でも着てこればよかったんじゃないか?」


 身だしなみのことを突然言われ、お前には言われたくないと思ったアイだったが、ソロンはそのままずかずかと、上層のほうへと進んで行った。

 どこまで行くのかと聞いても答えはなく、アイたちは王城にかなり近いところまで来た。


 上層のなかでもさらに上層、王城の近くには宮殿と庭がいくつかあり、それぞれの敷地は歩き疲れるほど広大だった。

 

「城のふもとに宮殿?」


 アイは不思議に思い、口を開く。


「静かにしてな。衛兵に見つかったら面倒だ」


「歩いてるだけなのに」


「お前みたいな小汚いのは、こんなところまで上がってこないんだよ」


「アンタもでしょ?」


「宮殿には王都にいる王族が住む。王と女王だけが城に住まう。この国ではな」


「何でそんなところに……」


 さすがに場違いに感じてきたアイは疑問を口にするが、ソロンは口に人差し指を当て、鬱陶しそうにアイを黙らせた。


「ここだ。よっと……」


 ソロンは高い塀の前で、そう言うと、突然跳躍して、次の瞬間には身長の二倍はある塀の上に立っていた。


「えぇ~……」


「早く来いよ」


 そう言うと、ソロンは塀の向こう側に消えていった。


「ちょちょ……どうやって行けっていうの……あ、そうか」


 アイは、自分の足元に、氷の足場を出すと、それを上に向けて生やした。

 浮遊した氷に乗るのは、浮遊の操作が困難になる為難しいが、地面から生やす分にはいつも氷柱を生やす通りにやればいいだけだ。


「おっ……ととと」


 いささか勢いよく出しすぎ、アイは軽く宙に浮くと、寸でのところで塀の上に着地した。

 見ると、綺麗に剪定された庭木や、草花の生い茂る、広い庭園が目の前に広がっていた。


「おい……早く降りろ」


 下でソロンがアイのほうを見上げている。


「下りろったって……」


 今度は階段でも作るか?

 と思っていると、後ろ側、外の道を、遠くから衛兵が二人組で歩いてくるのが見えた。


「わっやべ……」


「おい!いいから飛び降りろ!」


「ひぃ……しょうがない……」


 アイは見つかってはまずいので、何の準備もせずに飛び降りた。

 そのまま着地したら、骨折なり捻挫なりしそうだったが、気づけば下で待ち構えていたソロンに、足を揃えて抱きかかえられていた。


「ったく……」


 ソロンは呆れた顔をしていたが、ゆっくりとアイを下すと、先へ進んだ。


「お、おい……何だあれは!」


 外で衛兵が、高く伸びた氷を見つけた声が聞こえ、アイもそそくさとその場を後にした。





 アイは庭園にある珍しい植物を見ながら、ソロンの後をついて行った。


「おぉ……食虫植物?」


 アイは緑色の食虫植物のような草を見つけて、指を触れると、突然ぱくりと噛みつかれた。


「うわ!痛くない……」


 しかし歯があるわけではなく痛くはなかった。


「遊んでんなよ?お前……」


 ソロンについていくと、庭園の中央に、ガゼボという八角の白い屋根がついた休憩スペースがあり、その下には机と椅子が置いてあった。


 そこで、誰かが一人で、紅茶を飲んでいた。


 その若い人物は、白く長いゆったりとした衣服に身を包んでおり、その髪の毛も衣服に負けず劣らず透き通るような白色をしていた。

 髪は長く、さらさらとしていて液体かのように垂直に真下に流れていた。


 アイはその人を見て、神秘的な女性だと思った。

 庭の池の水は微かな光を反射して、その人物を照らし出しており、そしてその人の白い髪が、装束が、せいいっぱいそれを集めて、光っているかのようだった。

 

 アイとソロンが近づくと、座るように手で示され、アイはその人物の前に座った。

 目の前にはアイの分の紅茶も用意されている。

 ソロンは近くの柱に、腕を組んで立ったまま背をもたれた。


「いらっしゃい。驚いた。ソロンがお客を連れてくるなんて」


 声変わりした男性の声を聞いて、初めてその人が男だったと気づく。

 驚くアイに、男性は優しく微笑んだ。


「約束通り、いい報告だ。お坊ちゃん。ネロの奴の……恋人だとよ……ハハ!」


 ソロンはそう言って、アイを紹介した。

 アイはソロンに抗議するような目線を送った。

 白髪の男性は相変わらず、何を考えているのかわからない目で、アイのほうを見て、言った。

 アイはその目を、強いて言えば、何かに興味を持っている時の子供のような目だと思った。


「ネロの知り合いなのかい?」


「はい。ネロに助けられて、ここまで来ました」


「遠かったろう。大変だったね。お茶をどうぞ」


「はい、ありがとうございます」


 アイは素直にそのお茶を飲むと、温かさと花の香りが口の中に広がり、幾分か緊張が解れた。


「聞かせてくれるかな、何があったのか」


「はい……ええっと……」


 アイはそうは言ったものの、いささか戸惑った。

 何から話したものか、というのもそうだが、相手が何者かもわかっていなかった。

 気位の高い人物なのは間違いなかったが。


「ああ、申し遅れたね。僕は、キッシュ・ロレーヌ・フロマージュ。この国の第三王子だよ」


「へっ……?」


 第三、王子?

 アイは耳を疑った。

 この国の何番目かに偉い人が、今、目の前にいた。

 


 アイは、第三王子と名乗った青年、キッシュに、馬車を襲われてから自分に起こったことを全て話した。


 時間はかかったが、事細かく話した。

 ネロの紹介だ。ソロンはいけ好かない奴だが、アイにはネロの紹介というだけで相手を信じるに値した。


「なるほど。本当に、波乱の運命を辿ってここまで来たんだね……」


 キッシュは、その中に何かを透かして見てでもいるかのように、カップに入った紅茶を揺らした。

 アイが話し続ける中、落ち着いた雰囲気で、キッシュはずっと話を引き出し続けてくれていた。


「ソロン、カラムの方は?」


「ダメだな。相変わらずだ。しかし副団長と妙な噂があって、探らせている」


 ソロンはつまらなそうにそう答えた。


「うん。アイ、この通り、僕たちもあの手この手でカラム周りの異変を調べてはいるんだ。手始めにネロから手紙があってね。きっと、君を逃がす直前に我々に手紙を送ったんだろう」


「ネロ……」


「ネロも、まだ行方不明だ。最後に騎士団員と戦って深手を負ったのは確かなようだが、それ以降見つかっていない」


「無事だといいんだけど……」


 アイは旅の途中にも何度もそうしたように、ネロの無事を祈った。


「今は、君の安全が確保できたのが何よりも幸運だよ。君は強いね。アイ」


 キッシュはそう言って微笑んだ。


「君はこの宮殿で保護しよう。その間は、誰にも手出しはできないさ」


 アイは少し焦った。今後どうするかは考えていなかったが、まさか王族の家で過ごすとは予想もしていなかったからだ。


「おいおい、そんなじゃじゃ馬みたいな女、どう置いとくんだよ?」


 ソロンが真顔でそう言った。

 しかし、それにはアイも同意だった。

 今やアイが身に着けているのは、冒険者としての装備だし、決して綺麗とは言えなかった。


「うーん……スクリーム家の令嬢と素直に言うわけにはいかないね」


 キッシュは考え込んだ。


「とはいえ不自由な暮らしもさせたくはないし……そうだ。キョウトウ帝国の皇帝に、口裏を合わせてもらおうかな」


「あの異国の?うちとはほとんど関わりがねぇから、そうバレないだろうが……」


「うん。父上も兄さんも、情報すら掴んでいないだろう。だから、実際には第二皇女までしかいないけど、あそこの第三皇女を保護していることにしよう」


「皇女……?」


 アイは嫌な予感を感じてそう聞いたが、構わずキッシュとソロンは会話を続けた。


「戦線との戦いを、お前の兄貴達に秘密で支援してまで仲良くしているんだ。それぐらいのことならしてくれるだろう」


「決まりだね。アイ。今日から君は異国の姫君だ」


「はい?」


 アイは聞き返したが、キッシュは涼しい顔をして紅茶を飲み干した。


「悪いけど、いろいろ勉強してもらうよ。これは君のためでもあるんだから」


 アイは、とんでもない提案と、勉強、という世にも恐ろしい言葉を聞き、一気に不安が増していったのだった。


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