72 契約
ちょいエロ女同士?なシーンありますので、苦手な人はご注意ください。
「アイ、あなたをもらう。恋人になってもらいます。そうしたら、これで彼の命を救ってあげましょう」
「何……を……」
「そんなに悪い話じゃないと思うんです。ウチも、結構女の子受けがいいんですよ?不便はさせませんから」
アイは、スティルを見て、ベリィの妖しい笑顔を見て、そして再びスティルを見る。
スティルはもう、持ちそうにない。
人を呼んだり、他の手段を取っている時間はないだろう。
魔法を使って、奪ってもいい。
でも、それで瓶が落ちて、割れたら終わりだ。
それなら、仕方ない。
この場だけでも了承しておけばいい。
何よりも、スティルの命が一番大事だ。
判断を間違えれば、取り返しがつかない。
「わ、わかった。恋人になればいいんだな」
「おぉ!物分かりがよくて助かります!お互い望む物が手に入って、まさにウィンウィンな取引だ!じゃあ、キスしてもらえます?」
「へっ?」
アイの頭から、また冷静な思考が吹き飛ぶ。
先ほどから、ベリィが発する言葉は全て、アイをひたすら混乱させるために発されているかのようにすら思えた。
「契約の印ですよ。だって、口約束じゃ何とでも言える。そうでしょ?ほら、恋人にするような、熱ぅいキス。それで、判断します。彼を助けるかどうか」
ベリィは首を少し傾け、アイのほうをじっと見ながら、待つ。
アイは恐怖に怯えるような顔をしていたが、それでもベリィの表情は少しも変わらない、目だけが笑っていないような、微笑みのままだ。
アイはスティルを見る。
スティルは、寒そうに身体を抱え込んで、丸まっている。
すでに、意識がなくなって、しばらく経つようだ。
もう、いつ死んでもおかしくない。
アイはつばを飲み込み、眉をひそめながらも、ベリィに少しずつ近づいた。
ベリィは嬉しそうに、口を閉じたまま少し口角が上がった。
アイはぎこちない動きで、少し高い位置にある、ベリィの唇に、自分の口を近づけた。
こんな非常時だというのに、心臓は高鳴り、頬が紅潮していくのを感じていた。
むにゃり、とやわらかい物同士が優しく触れ、圧迫される感触が、アイの唇に伝わってきた。
アイはその違和感に、思わず目を閉じた。
ベリィの微かな吐息が、頬に当たる。
「んむっ?!」
ベリィはアイの首の後ろに手を回すと、より強く顔を近づけ、アイの唇の隙間に、舌を差し込んだ。
アイは驚き、声を上げたが、首を支えられて、頭を動かせず、抵抗できなかった。
ベリィは少し前に甘い物でも食べたのか、アイの口腔内の味とは違う、少し甘い味覚が、口の中に広がった。
ベリィはもう片方の手で、アイの背中、腰に指を這わせながら、ついばむようにアイの唇をすすった。
唾と粘膜の立てる水音が、響いた。
先ほどまで、首を支えていた手を動かし、ベリィはアイの耳を指で撫でた。
アイは眉間に皺を寄せながら、唇が、口腔が、耳が、腰が、伝えてくる違和感に、集中していた。
「ぁ……」
ベリィが唇を離すと、アイは浅い呼吸を整えながら、ベリィを見た。
ベリィは何も言わず、目を細めて笑うと、アイの身体を離した。
アイは、突然支えがなくなると、よろめいて近くにあった机にもたれかかった。
支えられていたので気づかなかったが、足腰から完全に力が抜けてしまっていた。
「ふふ……取引成立」
ベリィは後ろを向きながらそう言うと、スティルの腹に、液体を少しかけ、伸ばすように塗った。
そして、残りをスティルの口を開かせ、飲ませた。
傷口はみるみる塞がり、血がとまった。
苦しんで全身に力を入れていたスティルだったが、その身体から力が抜け、静かな寝息を立てた。
アイはそれを、ぼんやりしながら見ていた。
「すごい薬でしょう?冗談じゃなく、人間の一人や二人を売り飛ばしても払えないほど、高いお薬なんですよ」
「あ、ありがとう」
今まさに、脅しとともにキスをさせれたというのに、スティルの命が助かったことにほっとして、アイはお礼を言った。
「でもこれで、君はウチのものになった。それを忘れず過ごしてね、アイ」
「……ん?」
アイは違和感を覚えた。
切羽詰まった状況だったから、先ほどはその違和感を感じつつも、追いかけることができなかった。
今は少し冷静になっており、頭を働かせることができた。
なぜ、アイ、と本名で呼ばれているんだ?
アイは初対面の時、確かに偽名を名乗り、その時はベリィもその名で呼んでいたはずだ。
「ベリィ。なぜ、アイって呼ぶの?」
「ふふ。恋人に、嘘は禁物ですよ。これからはね。スクリーム家の令嬢、アイ」
「どうして知っているの」
アイは、寒気を感じた。
名前だけでなく、何処の誰か、はっきりと理解している。
であれば、おそらく、アイが立たされている状況も知っている。
紅蓮騎士団から脱走した、処刑を待っていただけの、貴族の令嬢だと。
ただ、アイを恋人にしたがっている怪しい人間だったベリィは、この瞬間に、得体のしれない恐ろしい人物へと、変わったように思えた。
「商人は……情報が命なんです。そして情報の命は早さと正確さ。ウチはそれを持つことで、欲しいものを全て手に入れる」
「私のことを知って……どうするつもり?」
「やだなぁ、アイ。少しは取引相手を信用してください。取引は、少なくとも一部だけは信頼できる相手とのみ、するべきだ。ウチを信頼したから、キス、したんでしょう?ソレが済んだら薬を持ったまま消えるようなことは、少なくともしない、と」
「それは……そんなことまで考えてないよ……必死だったんだから」
「あはは……アイは正直だ。あーダメダメ、ウブすぎてゾクゾクしちゃうわ。でもそこに、たまらなくそそられる」
ベリィは、ゆっくりとアイに近づく。
アイは、警戒しながら、後ろに下がるが、机に腰がぶつかり、止まる。
「そんなかわいい君に免じて、最後にお情けで教えてあげる」
ベリィは、アイの肩を押し、机に上半身を倒させ、その上に覆いかぶさるようにして、顔を近づける。
「ウチがこの世で最も嫌いなのは、ウチとの約束破るヤツ。だから、決して忘れちゃダメだよ?ウチと恋人になったこと」
そう言いながら、ベリィはアイの耳元に口を近づけ、囁く。
「そして、もう一つ、絶対に許せないのは、あの男。ミスト」
「……ミスト?」
こんなところで聞くとは思っていなかった名を聞き、アイは驚く。
結社の人間、ミスト。
その名を知っている人間は、ごく限られている。
「そう。あの男だけは許せない。容認できない。君は……アイツの邪魔者だから、ウチが守ってあげる。だからウチを疑うな。詮索するな。今日あったことを、不幸と思わず、ハッピーエンドだと、思いなさい」
ベリィはそう言い終わると、体を離した。
アイは、混乱しながら、身体をまだ起こせず、首を横に振っている。
「それじゃ、ネタばらし。またね、ウチのアイ……」
そう言うと、ベリィは、その場から、動くことなく、空間から全く一瞬にして、消え去った。
「ベリィ?」
アイは身体を起こし、きょろきょろと見回すが、どこにもいない。
消えた。
消えた?誰にも見えないようになったのか?瞬時に移動したのか?
もし、姿だけを消すことができているというのなら?
アイは、スティルのほうを見て、すぐにしゃがみ込む。
確かに生きている。治っている。
でも、まさかすべて、ベリィの自作自演だったのか?
「ベリィ……もしかして、いるの?」
返事はない。気配はない。
アイの疑問は、疑いは、解決することはなかった。
アイは頭の中で、ベリィと話したことを思い起こす。
「ウチを疑うな。詮索するな。今日あったことを、不幸と思わず、ハッピーエンドだと、思いなさい」
最後に言われたその言葉が、アイには含みを持たせた言葉のように思えていた。




