61 門番
アイが手をかけて、扉を少し開いた瞬間。
アイは一瞬にして吹き飛ばされた。
「うわぁっ!?」
アイだけでなく、扉も突き破られるかのように吹き飛ばされる。
そしてそれに続いて飛びだしてきたのは……
黒い無数の太い触手だった。
地面に打ち付けられたアイの視界を覆うように、まるで空気しかない空間を埋め尽くそうとするかのように、触手は目にもとまらぬ速さで天井、壁、空間を這って飛び出してきた。
ねばねばした粘液が、触手の後を追いかけるようにあたりに飛び散る。
「やばいやばいやばい!!!」
シェリーは転がっているアイを引きずるように、できるだけ遠ざかった。
ある程度の距離まで離れると、それ以上は伸びてこれないのか、部屋の周りの空間を埋め尽くしたところで触手は蠢いていた。
「何あれ!何あれ?!キモい!キモ過ぎる!!!」
シェリーは自身の鳥肌の立った腕を抱くかのように震えながら、叫ぶ。
「うへぇ……」
アイもしばし言葉を失い、何とも表現し難い魔物の一端を、呆然と見ていた。
「だ、騙された……」
あの野郎!
あのタイミングで嘘を吐けるものか?
アイにはアキナスがそんな演技派には見えなかったのだが。
「まあ、そう決めるのは早計かも」
「そうなの?」
アイはあぐらをかいて座り込んだまま、シェリーに尋ねた。
「だって、確かにここに来るまでの間、男の人達は、こっちに近づくほど多くなっていたし。巣はどこかにあってもおかしくないのかも?」
「うーん確かに。可能性があるとしたら、さっき塞いじゃった氷の壁の向こうか……あの触手の奥か……」
「まあ、普通に考えたら、門番よね……」
とても門番といえるような知性を持ち合わせているようには見えなかったが、シェリーは触手をそう表現した。
たしかに、あれに奥の巣を守らせているなら、強固な守りこの上ないだろう。
「だとしたら、何とか奥に行かないと……」
二人はしばし考え込んだ。
方法を考える時間というよりは、アイにとっては覚悟を決める時間だった。
シェリーの魔法は、強烈で直線的な攻撃をするのは得意だったが、全方向から襲い来る敵は、おそらく苦手だろう。
あの化け物の相手をするとしたら、自分しかいなかった。
「散々だぁ……」
この地下に足を踏み入れてからというもの、アイは文字通り踏んだり蹴ったりだった。
アキナスに叩かれ、踏まれ、蹴られ……
今度は触手ときた。
潜入するなんて言い出さなければよかったが、自分で言い出したことだ。
少しは役に立たなくては。
「よし、覚悟決まった」
アイはほっぺたを両手でぱん、と叩くと、触手達の方を睨んだ。
「何か手があるの?」
シェリーは不安そうに尋ねる。
「まぁ見ててよ……中二アクセル全開でいかないとやってられない……」
そう言ったアイの顔は暗く沈んでおり、不気味な笑いを浮かべていた。
「ちゅう……なに?」
シェリーに説明せず、アイが少しずつ触手に近づくと、一本の触手がすぐにアイの足に素早く巻き付いてきた。
それで獲物を感知したかのように、他の触手が次々にアイの腕、胴に巻き付きながら、物凄い勢いで部屋の中に引きずり込んだ。
アイはジェットコースターにでも揺られるかのような重力を感じながら、引きずられて行った。
「うわぁぁぁぁ!!!!!」
怖がりながら見ていたシェリーも、アイの絶叫が一瞬にして遠ざかる、そのスピードにぞくっとした。
まるで子供がおもちゃを振り回すかのように、アイの身体は乱暴に扱われていた。
そして、部屋の中に到達すると、部屋の中に元々あった触手達も、アイの身体に殺到した。
体中を埋め尽くそうとするかのように、素早く、触手が纏わりつく。
ぬめぬめとした軟体生物のような、粘液に包まれた、太く収縮を繰り返す触手が、肌のほとんどを埋め尽くそうとして、蠢いていた。
アイは腕、脚、胴、背中にその感触を感じて、異物感に身体を震わせた。
気持ち悪い!というか、全部の動きが速すぎてめちゃくちゃ怖い!
アイは恐怖に硬直しそうになりながらも、決めていたことを始める。
身体の周りに、全身を覆う球を作るかのように、なん十本もの、太い氷の杭を、綺麗に全方位に向け、作り出した。
そして……
「氷……散!!!」
アイは言葉とともに、一瞬にして、全方位に氷の釘を飛ばした。
猛スピードでアイを中心にして、部屋の四方へ飛び散った氷の杭は、分厚い触手を軽々と貫通し、引きちぎり、黒い血液のようなものをぶちまけながら、一部の触手はボタボタと地面に落ちて跳ねる。
氷の杭は触手達を貫通して、更に部屋の四方の壁に突き刺さった。
柔らかいものがちぎれ、落ちる音と、硬い氷が壁に打ち付けられる音が響く。
「アイ……!」
シェリーも、少し安心したように、その様子を見守った。
しかし、如何せん攻撃する面積が、触手の質量に対して足りていなかった。
一瞬怯んだ触手達だったが、また新しい触手達がすぐに波を返すように、アイに向かって飛びついてくる。
しかし、アイは冷静に、続けた。
殺到してくる触手達を無視し、集中するかのように目を閉じていた。
そして、カッと目を開くと、叫ぶ。
「爆!!」
アイがそう叫ぶと、先ほど壁に打ち込まれた氷の杭から、何股にも別れた、剣山のような氷の結晶、氷柱が、今度は部屋の壁側から内に向けて、一瞬にして伸びた。
壁から生えていた、触手の位置を全て奪い去るかのような質量で、鋭い氷柱が部屋中を埋め尽くす。
その氷柱は、アイの居場所を除いて、部屋のほぼすべてを覆いつくすほどだった。
この空間にあったアイ以外のものは全て、鋭い氷の刃から、逃れることはできないほどだった。
圧倒的な氷の束に刺され、斬られ、潰された触手達は、黒い血しぶきをまき散らしながら、ぼとぼとと地面や氷柱の上にこぼれ落ちた。
アイの上にも黒い液体が降り注ぎ、無理やり着させられていた、純白のユーフォリア教の装束を真っ黒に染めていった。
黒いドレスのようになったそれをまといながら、氷の針の山のなか、アイはただ一人、立っていた。
「アイ……」
シェリーはその光景を見て、どこか神秘的だとさえ思った。
圧倒的な力を振るった、黒い血だらけの女王。
まるで絵本の一ページのようだった。
「はぁ……はぁ……」
アイは少し呼吸を整えてから、シェリーの方を見て、言った。
「気持ち悪ッ!!!!ベトベトになったんだけど!!」
シェリーは先ほど神秘的だと思った気持ちを心の中で撤回し、やれやれとアイの方へと歩いて行った。
黒い液体が広がって行くのを、顔をしかめて踏み、地面に落ちた触手がビチビチと跳ねるのを避けながら、シェリーはアイのところへ辿り着いた。
どうやっても、上から滴る液体までは避けることができなかった。
「どう?技名つけたんだけど。『氷散爆』いいでしょ」
「はいはい。次からはやる前に作戦を説明してね」
シェリーは呆れながら、腰のポーチから布を出すとアイの顔から黒い液体をぬぐった。
「アンタと話してると、つくづく、魔力だけはある子供の相手をしているみたいだわ。いいとこのお嬢様ってみんなこうなのかしら?」
シェリーは実際そう思っていた。
シェリーにとってアイは子供のような無邪気さと、それ故の、悪いと思っていないことは平気でやってしまう悪魔のような残酷さを、併せ持っているように見えた。
「いや……私だけだと思う……悪いとは思ってるよ……でも少年の心を忘れたくないんだ」
「意味不明」
シェリーは呆れながら、アイに背を向けて歩いた。
その部屋にはもう一つ奥に扉があった。
シェリーは。今度こそ、その奥に巣があると信じて、扉を開いた。
ついにたどり着いたそこには、アイたちが知っている巣の、何十倍も大きな、黒い宝石の結晶が、部屋の中央に鎮座していた。
「うわぁ……でっかい」
アイが生み出す氷柱のような大きさの巣は、あれだけの男たちを操るといわれて納得してしまうほどの迫力があった。
「これを壊せばいいんだよね……それで、どうやって壊す?いつもの巣と同じくらいなら、簡単な衝撃で壊れるけど……」
「もう一つ技を考えたんだけど、協力してくれる?」
「いいけど、私は子供みたいに必殺技を叫ばないからね」
「えぇ~?ノリが悪いなぁ……」
アイは、がっかりしながら、氷でらせん状の、巨大な掘削用のドリルのようなものを作り出すと、宙に浮かべた。
「ほら、これをぐるぐるーっと、ね?」
「なるほどね」
シェリーはすぐに理解すると、杖をくるくるっと、宙をかき混ぜるように振り続けた。
するとアイのドリル上の氷は、アイが一人で操り回すよりもよっぽど高速で回転し始めた。
シェリーが杖を回せば回すほど、回転は速くなり、アイたちのほうに冷気の乗った風を振り撒き、強大なエネルギーが生まれているのが感じられた。
「なんか言うなら合図して!」
「えっ?ダメだと思って技名考えてなかったのに!嘘つき!」
アイたちは、強風でお互いの声も聞き取れなくなってきた。
「じゃあ……”氷ドリル”!」
「うそでしょアンタ……もういいわ、せーのっ!!!」
そう言うと、シェリーは高速回転する氷を、アイと一緒に、一気に魔法で押し出した。
氷がぶつかると、氷のドリルは自らも砕け散りながら、それでも螺旋のエネルギーを全てぶつけて、巣を粉々に吹き飛ばした。
「うわわわわ!」
飛び散る氷と魔石を防ぐように、シェリーは自分とアイの正面に強風を吹かせた。
しばらくすると全ての欠片は地面に落ち切り、風も止み、先ほどまでが嘘のように、部屋の中は静かになった。
「すっごかったねぇ……」
嬉しそうにアイはそう言った。
「まぁ、いいんじゃない。結果壊せたんだったら。さて……これで本当に事態はよくなるのかな」
シェリーは上の方を気にしていたが、確かに微かに響いていた呻き声も、いまや聞こえていなかった。
アイたちは少し休むと、再び触手の部屋を通り過ぎて、階段を上った。
驚くべきことに、アイ達が巣を壊した影響か、男たちは地面に倒れ込んで動かなかった。
焦って確認したが、みんな意識を失っているだけで、生きてはいるようだった。




