59 逆襲
シェリーがアイを連れていると、どこか遠くから、うめき声が聞こえるのに気づいた。
「参ったな……」
異常があるのであれば、そこに元凶もいるかもしれない。
しかし、アイがこんな状態ではシェリーはほとんど動けない。
二人でそのうめき声がする方へ近づくのは、危険に思えた。
シェリーは辺りを見渡し、扉の開いている部屋を見つけると、中を見渡した。
部屋の中は信者が寝泊まりしていたのか、簡素なベッドや、チェスト、衣類が生活感のある様子で置かれていた。
地下墓所の中は混乱を極めていたので、持ち主は恐らく戻って来ないだろう。
シェリーは、アイを抱えて部屋の中に入り、ベッドの上に、アイを寝かせた。
「しぇりー?」
「アイ。ここを動かないでね」
「うん……あはは」
アイはそう言ったきり、虚空を眺めて笑っていた。
シェリーは尋常じゃない様子に、改めて恐怖した。
「どうしよう……もしアイがこのままだったら……私……」
しかし、ここで嘆いていても仕方が無いと思い直し、立ち上がると、シェリーは部屋を出た。
そして、そのうめき声がする方へと向かった。
しばらく進むと、うめき声は大きくなってくる。
アーとか、オーとか、低くて奇妙なうめき声だった。
「わっ!?」
シェリーが歩いていると、壁沿いにあった木の扉が突然開き、部屋から突然誰かが飛び出してきた。
それは、男だった。
この地下墓所には、連れてこられていないはずの、男性だ。
しかし、様子がおかしい。
「アァァァ……」
深い呻き声を、出しながら、他の生物は初めて見るとでも言うかのように、男はシェリーに近づいてくる。
「止まって」
しかし、男は構わず近づいて来る。
「止まりなさい!!!」
男は、むしろ興奮したように足を速め、シェリーに掴みかかってきた。
「仕方ない……!」
シェリーは突風で男を吹き飛ばした。
しかし、ゆっくりと男は立ち上がり、再びシェリーの方へと近づいてくる。
シェリーが距離を取ろうと後ろを向くと、なんと気づかない間に、背後から三人の男が、同じように歩き、近づいて来ていた。
全員が丸腰で、普段着のようだった。
「何なのよこれは!!!」
シェリーは三人を魔法で吹き飛ばすと、起き上がってくる前に、その横を走り抜けた。
男たちは生きている。
おそらく、街に元々いた男たちだろう。
しかし、こちらも様子が変だ。
女性信者は知能を保ったうえで、ユーフォリア教団員にされているが、男性たちはそれとは異なる仕打ちを受けている。
まずい、アイの元にも、こいつらが現れ出しているかもしれない。
シェリーはそう思い、アイの下へと走った。
「はぁ……はぁ……なんてことだ。なんてことだくっそぉーッ!!!!」
アキナスは、壁を殴りながら、息を切らして、地下墓所の中を歩いていた。
「男どもも解き放たれたのか……もう終わりだ……ここは終わりだ。脱出しないと」
歩くアキナスの耳に、女性の声が聞こえた。
「しぇりー?どこ?」
「何だ?信者じゃないな……」
アキナスが声の元を辿り、部屋を覗くと、アイがベッドに寝転がって、一人で喋っていた。
「グレイス……」
アキナスは教えられた偽名で、アイのことを呼んだ。
「はぁ……お前の……お前のせいでこんな……」
部屋に入り、アキナスは扉を後ろ手に閉めた。
「なぁ……どうしてだ?グレイス。おかしいだろう?俺は……俺はただ、復讐を果たしただけだ。しかも、誰も殺してねぇー!あいつらと違って……俺は殺してない……なんでこんなことをするんだ」
アキナスはベッドの傍に寄り、ぼんやりとしているアイに訴える。
「ないてるの?だいじょうぶ?」
「……あ……」
アイは、ほとんど夢の中にいるように、まるで思考が働いてはいなかったが、本能的に、子供が大人を心配するかのように、そう言い、アキナスの頭を撫でた。
「あぁッ……」
アキナスはベッドのシーツを強く握りしめ、頭をベッドにうずめた。
少し経つと落ち着き、アキナスは顔を上げた。
「そうだよなぁ……まだ終わってないよなぁ……」
「うん?」
アイは首を傾げた。
「いいか?グレイス。お前は俺の味方だ。そうだろ?」
「あはは……」
「ダメだ、効きすぎてんな。ほら、これを飲め」
アキナスは、スティルに渡したものとは別の薬品を、アイに飲ませた。
「あ゛ッ……!」
アイは身体を抱えると、苦しみ始めた。
「どうだ、少しは目が覚めたか?」
「う……わたしは……」
それでもまだぼんやりとした様子で、アイは頭を抱えた。
「お前は俺のいうことは何でも聞く。だろ?なぜなら幸せだからだ。ほら、この手を握ってみろ」
アキナスは、アイに一度試した行為を、再び行った。
アイは頭痛に顔をしかめながらも、アキナスの手を握った。
「ほら、今、身体で、脳で、幸せを感じているだろ?俺に従ったからだ。覚えたか?返事は?」
「うん……」
「よし、返事できたな。そうしたら今、幸せだろ?」
「うん……しあわせ……」
「はは、いい子だ。ジェネティックが一人いれば、俺も少しは安全だ……ついてこい」
「はい」
アイは、まだ確固とした足取りではなかったが、それでも自分の足で立つと、アキナスの後をついて、部屋を出て行った。
アキナスはどんどんと迷いなく、地下墓所を進む。
アイはその少し後ろを、身体を辛そうにしてついてくる。
「おい、グレイス!遅いぞ、何をやっているんだ!」
立ち止まり、アキナスはアイの頬をひっぱたく。
「うっ!」
「急げ、あの金髪のロン毛に殺されちまう……」
そう言い、すぐに再び歩き始める。
「なぁグレイス、ふざけていると思わないか?俺は親も仲間も友達も、みぃーんなこの街のやつらに殺された。弾・圧でだ!!!」
アキナスは壁を叩く。
「ユーフォリア教を信じていただけで、殺された。そんなことがあってたまるか?」
振り向いたアキナスに、アイは首を横に振る。
「ついに復讐に漕ぎ着けたんだ。研究の成果だ!なのになぜ、こんなことをした。答えろグレイス!」
再び立ち止まったアキナスはアイの頬を両側から潰すように、片手で引っ掴む。
乱暴に顔をつかまれたアイは、不安そうな表情を浮かべたが……
「あれ?お前……」
そこでアキナスは、あることに気づいた。
その瞬間、アイの表情が、怒りを灯した笑顔に変わる。
ほぼ同時に、氷の刃が、アイの指先からアキナスの首元に突きつけられていた。
「やっと気づいた?瞳孔、確認しなかったの?」
アキナスの手が離れると、アイは顔を近づけ、にやりと笑った。
「お前……お前ぇ……!」
「ダメじゃん、人と話す時は、ちゃんと目を見て話さなきゃ」
アイはじっと、強気に、アキナスの目を覗き込む。
「あの薬は苦かったけど、結構効いたよ。でもちょっと効きすぎだったんじゃない?」
アキナスが部屋を見つけて、少しアイを覚醒させるために薬を使ったとき、アイは何とか自我を取り戻していた。
そしてここまで何をされても、薬が効いている風を装ってチャンスを待っていたのだった。
「お前には散々やられたな、アキナス。蹴られて、踏まれて、叩かれて……」
アイがそのことを思い出すと、氷がぐっとアキナスの首に強く押し付けられた。
「痛い痛い!!」
思わずアキナスは悲鳴を上げる。
「まぁいいさ。話の途中だったな。冥途の土産に聞いてやる。復讐の為に研究して、何を生み出したんだ?」
「いや……」
「あはは、勘違いしないでね。これは質問じゃないよ。君の大好きな、”命令”だから」
アキナスは苦しそうな顔で何か言おうとしたが、何も言葉が出てこず、諦め、俯き、壁に背を預けてずるずると力なく座り込むと、話し始めた。
「俺は……俺は魔物の巣を研究した……砕いて、調合して、特殊な処理をして人間に飲ませると、魔物のように人を襲うようになる……同じように、巣の近くをさまようようになってな……」
「悪趣味ぃー……それで?」
あの黒い宝石を食わせるなんて、どう考えたって人体に悪影響しかない。
「でもそれは……魔物の劣化版にしかならない。知能は低下し、意思の疎通もできなくなるからだ。俺は今度は巣ではなく、魔物に着目した。魔物は6000種以上いると言われている。魔物を愛しているだけあって、教団のライブラリは豊富だ……」
教団は魔物に詳しいのか。
愛とかいっているが、実は研究対象にもしていることに、アイは少し驚いた。
「墨海月……あの魔物は、人間を骨抜きにするガスを放出する。冒険者にも最優先で狩るよう指示される魔物だ。ガスの特徴は多幸感。墨海月自体は攻撃を行えないので、幸せに打ち震える人間は他の魔物が狩る」
「最悪だね……」
「俺はそれを研究した。ガスを吸った後、命令を聞かせるのに必要な通過儀礼を編み出した。更にもう一種の魔物でそれを強化する方法も確率した。アタマ幸せな操り人形の出来上がりだ。そして、そのそれぞれを、実験としてこの街の男女に使った」
「女性がクラゲで、男性が巣のスープってわけね」
「そうだ。特に女性の方は完璧に近かった。お前も所詮は女だ。最後のご褒美を味わえばきっと」
アキナスがそう言いかけたところで、アイはアキナスの足を踏みにじった。
「ぐあぁぁぁッ!!」
「おっと失礼。余計なおしゃべりが聞こえたからつい。それで?どうやって治療するの?もう一生そのままなの?」
「殺せ……」
「はい?」
「いいから殺せ。どうせ、教団に殺される運命だ」
「まぁまぁ、諦めるなよ」
「は、はぁ?お前がこんなこと!」
アキナスの計画を潰した張本人にそう言われ、アキナスは動揺した。
「それはそれとして。もうちょっとこの世界で足掻いてみなよ。見逃してあげるから。その代わり、治療方法を教えて」
「なんなんだ、おまえは……」
気の抜けた上擦った声で、アキナスは言った。
自分を殺したいほど恨んでいると思っていたアイに、予想外の提案をされ、アキナスはさっぱりアイの気持ちが理解できなかった。
「そんなに変かな?私は君と違って、何かの復讐をしたいわけじゃないし。今いる人たちが元に戻ればそるなら、それが一番じゃん?」
「ふ……」
「ふ?」
「ふふ……ふははははは!!」
アキナスは突然、不気味に笑い始めた。
「俺は……俺はこんな頭のおかしいお嬢様に、全部台無しにされたのか。ダメだ、笑えて来た。くっく……あははははあは!」
「でしょー?あははははは!!」
突然狂ったように笑いだしたアキナスに、アイも合わせるようにして笑った。
少しこの世界から感覚がズレた二人の笑い声が、不気味に地下墓所に響いていた。
「男たちには、魔物で言うところの巣……つまり活動範囲の中心がある。居住区層の奥の、この階層の、さらに下。二股に分かれた道の、右側へ進め。それを壊せば……時間はかかるだろうが、少しずつ人間に戻るだろう」
「まさか!本当に元に戻るの?」
アキナスの説明に、アイは驚いた。
「信じないならそれでもいい」
「信じてみるしかないけど。クラゲのほうは?」
「女たちは……解毒剤がある。居住区の手前を右に曲がって、奥の研究所の中だ。精製の仕方も全て書いてある。自分達で作って量を増やして与えるんだな」
「思ったより素直」
アイは、ぺらぺらと全て話したアキナスに、少し驚いた。
その話し方から、あまり嘘をついているようには見えなかった。
「もういい。疲れた……どうでもいい。復讐は、街の連中を全員操ったところで、いったん終わったんだ。始めは男どもに女全員を殺させようかと思った。それが最高のアイデアだと思ったんだ。でも女に愛着が湧いちまった……そのせいでこのざまだ」
「うわぁ俗っぽい理由。でも、誰も殺さずに、いつでも戻せる状態で操っていただけって、思ったより甘いんだね」
「何とでも言え、俺は疲れた」
「アキナス君の人生だから、好きにすればいいけどさ。チャンスがあるなら、逃げて生きてみたらいいと思うけどね。でも、もう悪いことはしちゃだめだぞ」
そう言って、アイは、アキナスを放って、その場を去ろうとする。
約束通りに自分を見逃すアイを、アキナスはまったく理解できなかった。
「なぁ……」
アキナスは呼び止めるように声を出した。
本当に力が抜けきったように、弱弱しい目を向けて、アキナスは尋ねた。
「最後に教えてくれ。お前は一体何者なんだ?疫病神……」
「私?私は……」
アイはしばし考えてから、答えた。
「婚約者に嫌われて、恋のライバルに婚約者を取られて、婚約者に殺されそうになってる、悪役令嬢の……男、かな……?」
アイはいたって真面目に正直に、事実をありのまま答えた。
アキナスはそれ以上何も言わなかった。
というより、意味が分からなくて何も言えなかった。
アイは今度こそ歩き去り、アキナスの視界から消えていった。
「もう疲れたな……ほんと」
理解を超えた存在に、全てをぶち壊されたアキナスの乾いた言葉だけが、暗い地下墓所に響いた。




