55 青空
「っ!!!」
景色が歪む。
手足に力が入らない。
ベッドの端から崩れ落ちていくアイの身体を、アキナスが支えながらゆっくりと地面に横たえた。
「ははあーん。騙せると思った?残念。どうしてバレたのかなぁ~?」
「う……ぐ……」
倒れているアイを、覗き込んで、アキナスは笑う。
そして一瞬で無表情になり、笑顔が消える。
「散瞳だよ。あの部屋をちゃんと通ってきたなら、瞳孔が開いたまーんまになるはずなの。君は挙動が全くもって普通の人間なの」
厭味ったらしくそう言ったアキナスは、仰向けになったアイの腹に軽く足を乗せる。
「ぐふっ!!」
軽くでも、柔らかい腹には大きな衝撃に感じられ、アイは反射的に身体を折る。
「なぁに、やってんのさ。どうしてこんな状態で連れてきちゃったの?僕のこと殺す気ぃ?」
アキナスは、アイを案内してきた女性の方を見る。
「ひっ……お、お許しください!アナキス様、どうか……」
アキナスはそれを見て、手をその女性の方へと向ける。
部下に、魔法を発動する気か。
アイはなんとか保った意識の中で、そう思った。
その瞬間、氷の氷柱がアイの傍の地面から生え、アキナスの方へと向かった。
「おっとぉ!」
「く、そ……」
最後の力を振り絞った一撃だったが、アキナスには避けられてしまう。
「いいねぇ!君!今君にあげたおクスリ、ほんとはそんなことできないほど、強烈にキテんだろ?」
「ハァ……しるか……」
アイは呼吸が荒くなり、世界が回り、身体の感覚が無くなり、汗だくになっていた。
「強がるなよ。でも俺は堕としがいのある女が好きだ……よしお前ら出てけ、出てけ、今日は終わりだ。グレイス嬢と二人にしとくれ~い」
「しかし、アキナス様。まだ数人の冒険者どもの処分が……」
「チッ……そうかぁ……そうかよ。忌々しい冒険者どもがよぉ!」
そう叫びながら、アキナスはアイの腹を強く蹴り飛ばした。
「あがッ……!」
アイはほとんど動かせない身体で、身をよじった。
するとアキナスは突然、飛びつくようにしゃがみ込んで、アイの顔に、自分の顔を近づける。
「あ、おい、ごめんよグレイス。可愛いグレイス。苛立ってつい蹴っちまった。痛かったよなぁ、でも薬が効いてりゃあ、かえってこんな刺激も気持ちいいか?」
アキナスは立ち上がると、自身を落ち着けるように深くため息をして、信者の女性に声をかける。
「今日の分はきっちり終わらせる。仕事しねぇと上が怖えぇ~からなぁ。グレイスに、ちゃんとクラゲちゃんを浴びせとけ。五匹ほどと、特別室入れっぱなしにしとけ。……はは。出来上がりが楽しみだなぁ」
アキナスにそう言われ、信者たちがアイを抱きかかえ、部屋から連れ出す。
「う……く……」
アイはほとんど身体を動かせず、抵抗できないまま連れていかれた。
「なぁ、空ってさ、こんなに青かったんだな」
シードルがつぶやく。
「そうだな。いつしか、忘れちまってたぜ」
スティルも、そう答えた。
「昔はよく、こうやって、殴りあっては、倒れこんで。二人で空を見て、わかりあったもんだな。あの時は若かった……」
その言葉の通り、シードルとスティルは、街の外の平野で、地面に仰向けになって、空を見上げていた。
「そうだな、シードル。しかし、三人で喧嘩をすれば、いつも勝つのはあいつだった……」
「あぁーんもう!何考えてるの!バカバカバカ!バカばっか!!!」
シェリーはシードルとスティルのすぐ近くで、一人だけ立ち上がり、行ったり来たりしながら頭を抱えていた。
嘘が下手なシードルとスティルは、アイを一人で行かせたことがすぐにバレて、シェリーに鉄拳制裁を受け、ノックアウトされた直後だった。
「シェリーちゃん、アイちゃんは行っちゃったの?お母さんを助けに行ってくれたの、ダメだったの?」
ロイズが心配そうにシェリーに尋ねた。
「ロイズ、大丈夫だよ。アイちゃんはちょっと世間知らずで馬鹿な女の子なだけなの。今度戻ってきたら、ロイズがお友達になってあげて、いろいろ市井のことを教えてあげてね」
「うん!わたし、アイちゃんとお友達になる!」
ロイズに向けた笑顔を、洗い流すかのように一瞬にして消し去ると、シェリーはシードルたちに向き直った。
「いつまで寝てんだ、アホども!さっさと行動するよ!」
「はい……」
二人は素直に起き上がり、正座で並んでシェリーの前に座った。
「ある程度経ったら、突入するって、アイに言ったのに、具体的には決めていない。そうね?」
「はい……」
「だったら今すぐ突入準備。私が潜入したら、十五分後に突入。合図があってもなくても!いいね!」
「しかし、男性はすぐに殺されて危険だって話じゃなかったか?」
スティルが尋ねる。
「それは潜入するならって話でしょ!突入しろって言ってんの。男が皆いないなら、誰がアンタたちを止めるの?信者の女性たち?」
「もしそうなら、女性と戦うわけには……」
シードルがはっとして言った。
「じゃあ見ず知らずの女性が、アイより大事ってわけ?」
「そういうわけでは……」
「だったらごちゃごちゃ言わずに戦え!天下の冒険者様が、か弱い女性を怪我させないように制圧するくらい、できないの?」
「はい……」
「いいね、十五分後だよ!はい、持ち場につく!」
シェリーはパンパンと手を叩き、二人を急かした。
グリサリアの街の中。役所の正面の建物の屋上から、スティルは望遠鏡を覗き、シェリーが役所に入っていくところを見届けた。
正面、地上と同じ高さからは見えないが、スティルの位置からは、女性たちが入ってすぐの階段を降りていくところが見えた。
「男はまっすぐ、女は地下に連れていかれているな……今シェリーが下に降りて行った。ここから十五分だ」
「了解」
シードルは懐中時計を出し、時間を確認した。
シェリーは、女性の信者に案内され、地下墓所を進んだ。
女性の嬌声が聞こえるいくつかの扉を横目で見ながら、通り過ぎ、しばらく進むと、五列に分かれて、扉の前に並ばされた。
シェリーは前に並ぶ女性たちが一人ずつ部屋に入り、出てこないのを注意深く観察していた。
出てこないということは、入口が別にあり、そちらから出てくるか、あるいは部屋の中にずっといるかだ。
扉が開いても、薄暗くてよく中は見えないが、人の気配はないので、後者は無しと考えていいだろう。
そして、扉が開いた直後には、ほんのりと甘い香りが漂ってくることに、シェリーは気づいた。
シェリーは考えた。
あえて一人ずつ、個室に入れて、何かをした後、こちら側ではなく、別の扉から外に出す。
つまり、入った扉側から女性たちを出すと、今並んでいる人間が、疑問に思うような状態で出てくる、ということではないか?
あの部屋に入るだけで、十分危険な試みだ。
アイはここでミスをしたのか?
だとすれば、同じ轍は踏めない。
ここで事を起こそう。
シェリーは、検査で奪われないように太もものベルトに留めて隠していた杖を密かに出し、列を外れた。
「ちょっと、あなた待ちなさい!」
見張りの信者の一人がそう叫び、追いかけてくる。
シェリーは杖を向け、風の魔法振るうと、強風で女性を吹き飛ばした。
「きゃぁぁっ!」
「ごめんね、急いでるから」
周りの女性たちが逃げまどっているのをかき分け、シェリーは杖を扉に向け、今度は疾風を刃のように飛ばし、扉をバラバラに引き裂いた。
中を見ると、女性はなんの反応もせずに、立ち尽くしていた。
外の扉のあった場所から光が差し込み、中にいたクラゲのような魔物の姿が露になった。
それは、半月型の上部の下に、いくつもの触手を生やして、宙を漂っており、時折頭と触手の生え際から、プシュッ、とピンク色の気体を吐き出していた。
「うっわ、気持ち悪っ!入らなくてよかったぁ~……」
シェリーはそう言うと、魔物にも魔法を当て、ズタズタに切り裂いた。
魔物は、やわらかいものが地面に当たる、ドシャッという音を立てて落ち、動かなくなった。
シェリーは迷わず五つすべての扉を魔法で壊し、全ての魔物を引き裂いた。
そして、部屋の奥側の扉を壊して向こう側に抜けると、逃げまどう信者達を横目に、地下墓所の奥へとどんどん進んで行った。
いくつかの分かれ道を、勘だけで曲がり、とにかくがむしゃらにそこらじゅうを探した。
「まったく……どこにいるの?アイ……」
例のクラゲ魔物がいた部屋を抜けてからというもの、信者の服を着ていない者は見つからなかった。
であれば、アイも同じようにそれを身に着けているかもしれない。
通路が角に差し掛かった時、シェリーには信者の独り言が聞こえ、その角に身を隠して耳を傾けた。
「今日は踏んだり蹴ったりだわ……二人目の侵入者だなんて……」
その信者が角まで歩いてきた瞬間、シェリーは飛び出し、片手で口をふさぎ、首元に杖を突き付けた。
「楽しそうな話してるね?教えてもらえる?もう一人の侵入者について」




