37 ご注文はヘビですか?
油断した。森の中より人の気配が多くてノイズが増える町中では、より周囲への警戒に気を払うべきだった。
体内のマナの流れを乱して、短時間で失神を起こさせる魔香。存在はパンジー様から教えてもらって知っていた。……即座に魔力を励起させてマナを整流すれば、失神を回避できることも。
油断した。炎の魔力に怯えない猛獣に時折遭遇する森の中より町の中は安全だからと、安心しきっていた。遅れず即座に魔力を励起させて対応していれば、連れ去られることはなかった。
いくら後悔したって、もう遅かった。私はイヴァンに捕らえられ、鎖に繋がれた。抗魔力の枷のせいで、体外に魔力を放出出来ない。魔法が使えない。
鎧も奪われて裸だった。捕らえた者を武装させるバカがどこにいる。
「お前は沢山の魔力を持っているそうだな。どうだ?我が軍門に下るなら、平民では決して受けられないような待遇をしてやろう」
「死ねクソ豚」
温厚そうな振りをして懐柔を試みるイヴァンに私はNoを叩きつけた。ここまでシンプルな罵倒を平民の子供にされるとは思っていなかったのか、イヴァンの顔は一度呆気に取られた後みるみるうちに真っ赤に染まった。
「おっと、タコだったか?」
「──下手に出ればつけ上がりおって!」
ガンッ!ガンッ!ガンッ!
頰を何度も蹴られた。何度も、何度も。切れた頰から血が滴り落ち、牢の鉄床が濡れる。
「おや?」
蹴った時の靴の滑り具合からイヴァンは何かに気付く。血が妙に粘ついている。
「これは……油か?」
気付かれてしまった。バレットの血は、人の身を外れるほどの魔力により油に変質していた。
「血が、油。なるほど、化け物だな。気味悪い事この上ない」
「……」
「しかし、素晴らしくいい油のようだ。濁りも、ベタつきもない。おいそこの者、灯の蝋燭を持ってこい」
イヴァンは床にできた油の小池に蝋燭を投げる。魔力のこもった油は燃えながら爆ぜるように飛び散り、一部はイヴァンの下半身の服にもかかった。私は炎にやられることはない。
「ギャアッッ!!!消せっ、消せえぇぇ!!!」
「【真空】」
即座に共謀者によって消し止められる。……こいつは馬鹿なのか?
ただ親の金を引き継いだだけなのに成金趣味なイヴァンは何枚も重ね着をしており、残念ながら火傷はしなかったようだ。咄嗟に服を脱ぎ捨てたため、太って毛深い半身が顕になっている。
「ハァ、ハァ……まあいい。血が上質な油ということは、だ。他の体液も油なのではないか?」
「……」
「ならば……女の汁もそうなのではないか?」
「ッ!」
下卑た嗤いを浮かべた伯爵は、半裸のまま近寄ってきた。その邪な目付きは、今まで何度も見たそれとそっくりだった。一人旅の子供を狙う、下衆の輩。全員返り討ちにしてきたが、今はそうできそうもない。
生理的な反応でにじみかけた涙を見て、伯爵は更に嗤う。
「少女の身から生まれた油、高値で買う物好きもいるだろう。一滴も無駄にはせん。涙もな」
顎を掴まれ無理矢理持ち上げられる。血と涙をベロリと舐めとられる。気持ち悪い。悔しくて、奥歯を噛み締める。
(──泣くな!泣いたってどうにもならない!一滴も渡しはしない!)
溢れそうになる涙を堪え、伯爵を睨み返す。掴まれて寄せられた顔に、思いっきり唾を吹きかける。
「お望みの体液だ。舐めとってみたらどうだ?」
「このクソガキッ!!!」
力任せに押し倒される。嘲笑で返す。思考が単純で欠伸が出そうだ。
「大人が何を出来るのか分かっていないようだな!!!」
「やってみろ!!!その短小をへし折って燃やしてやる!!!」
「なっ……」
押さえ付けられた腕から、伯爵が思わず手を離して後ずさった。この程度の啖呵の投げあいで臆するとは。
「その辺にしておくデス。売るにしても、処女の生き血のままの方が高値で売れるデスよ?」
「むう……それもそうだな……」
ずっとそこにいた、共謀者と思わしき薄桃髪の少年が口を挟む。その幼き声に似合わぬ、どす黒い気配。コイツが、伯爵を唆したようだ。何者なのだ、コイツは。
「貴様、運が良かったな。処女はそのままにしておいてやる」
新たな服を着直した伯爵がそう告げる。あれだけ散々な事をしておいて、今更何を言うのか。業腹のままに睨み付ける。
「貴様に言う事を聞かせる手段などいくらでもあるからな」
そう吐き捨てるように呟くと、伯爵と少年は部屋から出て行った。
護衛達も出ていって誰もいなくなったのを確認したのち、密かに意図的に止めていた傷の修復を始める。体外に作用させられないのみであり、私の練度なら抗魔力の枷を嵌められても尚、体内への魔力行使は有効であった。
完全な修復をしてその事実が露見する事を避けるため、止血にとどめ軽い傷は残す。
私は再生能力を活かすため、ある毒草を常用している。痛覚を一時的に麻痺させるものであり、手術や緊急時等のやむをえない場合のみ、麻酔や鎮痛に使われる。なぜそんなに限定された機会でしか使用されないのか?──それは、高頻度の使用により、痛覚が慢性的に破壊されてしまうからだった。
痛覚というものは同時に生命の危険信号でもあるのだ。怪我に気付けず手当てが遅れれば、失血や病魔の元となる。戦場で戦う兵士達はその事を経験的に知っており、暴れだすほどの激痛でもなければそれを使わず苦痛を堪えるのが不文律となっているのだ。
しかし、私の場合は話が違う。軽度の傷なら意識して止めない限りは自動的に迅速に治り、重傷でも意識を向ければ素早く修復できる私の場合、痛みは行動を制限する枷にしかならない。そのため、手当てが必要な傷には気付ける程度にまで痛覚を慢性的に麻痺させ、痛みで動けなくなるのを防いでいるのだった。
蹴られた頬も、物が当たった程度の感覚だった。
切ったらしき口の中の血を飲み込み、歯を噛み締める。もっと煽れ、逆上させろ、そうすれば隙ができる。怖くない、一人でも、戦える。
でも一体、いつまで、たった一人で、孤独に戦えばいいのだろうか。
★★★★★★★★★★★
連れてこられたパンジー様は、憎いはずの伯爵に土下座していた。
なぜ、なんで、どうして?困惑が、頭を支配する。私を人質にして、脅された?
──私が、捕まったから。
「火傷で売れなくなったお前を、保護してやろうと言ったのにだな!少し小賢しいからといって、調子に乗りおって!」
伯爵はパンジー様の頬を蹴利、頭を踏み付ける。
「──ている」
「……あ?」
「お嬢様に、何をしていると、言っている!!!」
私がいくら辱められようとも、構わない。だが、パンジー様に泥を付けるのは──絶対に許せない。
「見ての通りデスが?」
少年が魔術的な力でパンジー様を更に抑え付ける。呼応するように、伯爵はもう一度パンジー様の頭を踏みつけた。兵士達も調子に乗ってそれに加わる。
「──その人に、触るなァ!!!」
──空気が、ビリビリと震えた。
パンジー、バレット、少年を残し、伯爵や護衛達その場にいた者全員が気絶して倒れた。
「……?」
「おや」
抑える力が止まり、パンジー様は困惑して顔を上げている。少年は動揺していないが、驚きはしたようだ。よく分からないが、今のは私がやったのだろうか。
「うーん、想定外デス。デスが、この程度……」
「伯爵様!敵襲です!防衛をすり抜けられ、城内に侵入された模よ……伯爵様!?」
報告に駆け込んできた兵士が、気絶した伯爵を見て驚愕する。
「……困りましたデス。起きるデス」
少年はトコトコと歩くと、乱暴に伯爵をはたいて気絶から回復させた。
「ぐ、何が……」
「どうやら策負けしたようデス。既に城内に入り込まれたみたいデスよ」
「なっ!?空からは到底攻撃できないはず!」
「まあ、地上からデショうね。地上を疎かにし過ぎたデスね」
「クソッ……」
「さっさと鎧を着るデス、流れ弾の面倒までは見きれませんデスよ。そこの兵士も、待機して防衛に加わるデス」
少年の指示に、兵士は疑問を持たず従う。共謀している事が通達されているのだろうか。
気絶していた兵士達も起こされ、少年を除く誰もが、あるいは敵襲を警戒し、あるいは撃破報告を待って、辺りを不安そうに見回す。パンジー様は兵士に囲まれたまま、困惑してキョロキョロしていた。
寸時のち。施錠された木製の扉に切り裂いたような穴が幾つも開き、赤黒い矢印が外側から突き刺さった。矢印は刺さったまま何本も新たに飛び出し続け、遂に扉が破られる。
倒れた扉の残骸を踏みしめ、その者たちが現れる。うち一人には、顔面に憤怒を示すような紋様が描かれていた。
ローズさん、サリー様、ウォルさんの三人が、ボロボロになりながらもそこに堂々と立っていた。
「待たせたな!」





