Prologue 1
死んでしまったスマホを見下ろす。じっと見つめ、やがて地面に捨てる。
それは完膚なきまでに死んでいる。あの『証拠』ごと。
二度と表示されないデータを思い、私はにやりと笑ってみせる。
「私の勝ち」
傍に立つ悪魔は動くこともできず、ただ私を見ていた。
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彼がいない隙に、さりげなく彼の席に近づく。そしてたまたま触れるかのようにペンケースに手を入れ、何事もなかったかのようにそのペンをポケットに入れる。
そんな私を見ている人など、帰りのSHRが終わった教室にいない。だからバレない。
「花波っ」
「うわっ、な、なに?」
急に夢華──数少ない私の友達である──に話しかけられ、ビクリとする。彼女は私の動揺を気にする様子もなく、くすくす笑う。
「なんでそんなに驚いてんのー」
「考え事してて、さ……」
「ふーん。帰る準備できた?」
「できたよ」
自席まで辿り着き、スクールバッグを肩にかける。夢華の隣を歩きながら教室を出て廊下を進むと、彼女の友達が「バイバイ」「またね」と声をかけてくる。私も言葉を返すが、所詮は彼女のついでだ。私一人だったら別れの挨拶をしてくれる子なんて限られている。
勝手にブルーな気持ちになる私に、正門を出た辺りで夢華が声を潜めて尋ねてきた。
「ねぇ、二ノ瀬くんとはどうなの?」
「え、なに急に……!」
「だって気になるんだもん!」
二ノ瀬くんとは、私が好きな男の子の名前である。彼は同じクラスで、本人は無自覚のようだがかなりモテる。私が釣り合うとは思っていないけれど、会話の流れで勇気を出し夢華にだけ打ち明けると、彼女はものすごく応援し始めてくれた。それはごく最近のことで、こうして二ノ瀬くんとの関係について聞かれるのは──
「ていうか三回目じゃん、それ聞くの」
「ん?そうだっけ?」
「打ち明けて一週間ちょっとしか経ってないのに……」
きょとんとする夢華を見て呆れる。他人に興味津々な性格から考えて恋バナは好きなんだろうと思っていたけど、ここまでとは。
「花波の恋愛事情ってあんまり聞いたことなかったからさー」
「……確かに今までこういうのなかったけど」
「でしょ!?あたしなんて小学二年生のときから好きな人いたんだもん」
「私から見ればそっちのほうが不思議」
なんでよーと頬を膨らませる夢華。
今の私は中学三年生。好きな人ができたのは今年が初めてだ。それゆえ、恋愛の仕方がわからない。私がする『好きな人』という存在との向き合い方は、たぶん間違っている。
「そう言う夢華は?」
「あたし?最近フラれたからしばらくお休みかな」
「あ、そ、そっか……」
気まずくなる私だが、夢華はもうまったく気にしていないらしい。もし私が二ノ瀬くんにフラれたら、簡単には立ち直れないだろう。
分かれ道で手を振って夢華と別れ、一人で家を目指し始める。
「……………」
静かになった隣。夢華がいてくれるだけであんなに明るくなる、隣。
誰からも人気でいつも周りに友達がいる彼女が、どうして私と一番仲良くしてくれるのかわからない。
(私なんて、こんなに『気持ち悪い』のに)
昔よく言われたその言葉は、傷つきはするが自分にピッタリだとも思う。だって──。
「──あ゙あ゙ああぁぁっ!!!」
「……え」
絶命するかのような叫び声。……どうして?
周りを確認すると、裏路地が真っ先に目に入った。こちらから聞こえたような。
好奇心に突き動かされて足を進める。近づいてはいけない、絶対に後悔する、と知りながら。
裏路地に人影を見つけて、私の息は一瞬止まった。ちょうど建物の影になっていて見づらいが、確かに二人分ある。
一人は力が抜けたようにうつ伏せに倒れ込んでいる。性別はわからないが、スーツ姿の大人だろう。
もう一人はそれを見下ろすように立っている。私とそう年齢の変わらない少年に見えるが──黒い角と羽根がある?
「……は?」
それらを認識したとき、私は無意識に声を漏らしていた。
本能が告げる。逃げなきゃ。
しかしその警告も虚しく、踵を返す前に私は拘束されてしまった。右手首に薄い紫色のリングが嵌まっていて、空中で固定されている。直感で、目の前の彼の仕業だとわかった。人間にはとても作り出せないような、キラキラしたダイヤモンドみたいな綺麗な輪だったから。
彼は煽るような軽妙さで言った。
「まさか悪人のほうから来てくれるなんてねー。捜す手間が省けた」
「悪人……?」
彼の全身が影から出てくる。左目を隠した短めの銀髪、くすんだ蒼色の瞳、コウモリのような羽根。──人間じゃ、ない?混乱する私を意に介さず、彼は余裕のある表情のまま続ける。
「心当たりはあるはずだよ。今日もやったんでしょ、その悪事」
「…………」
「そういう『悪人』を制裁するのが俺の仕事ってこと」
「制裁って」
「例えばー……、痛いこととか?」
楽しげな返答の直後、リングがぐっと強く手首に食い込み始めた。
「!」
「本当はもっと準備してから追い詰めたかったんだけど、突然だったしまぁいいよね」
「……なんの話」
私は思わず顔をしかめる。彼は変わらない調子で続ける。
「安心しなよー、今から教えてあげるから。痛みに悶えてもらいながら、だけど」
歩み寄ってくる彼の言葉通り、皮膚が裂けてリングがルビー色へ染まっていっても、手首の骨が折れてもそれは止まらない。
「……なんかリアクション薄くない?」
表情以外に変化がない私を見て、彼は興ざめしたように問うた。
「あ、……えっと」
たとえむやみに他人に言いたくないことでも、これは流石に正直に明かす流れだろう。私が『気持ち悪い』と言われていた原因である──病気のことを。
「先天性無痛無汗症……痛みを感じない病気なんだ」
平坦な声で、私は答えた。




