17: 彼女は町にさよならを告げた
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できるだけ遠い場所に出掛けよう、という話になった。どちらから言い出した、というわけでもなく、自然とそういうことになった。
本浄はもう、僕らの周りのあれこれ全てから目を背けたかったのだと思う。彼女の家を拠点にしている限り、僕たちは大して面白くもない町から逃れられない。そのことに心のどこかで嫌気が指していた。それは僕も同じだった。
「実は、お金なら持っているんです」と彼女は言った。それはこれまでに親族からもらった仕送りを貯めていたのか、それとも今後の分はもう必要ないと判断したのか、どちらなのかは聞かないでおいた。彼女の言いぶりからすると、何をするにも困らない程度の金額であるようだ。ちょっと遠くに行くぐらい、何の問題もないのだろう。もっとも、これまでの彼女にとって、お金なんていくらあってもどうしようもないものだったのだろうけど。
「いつか、『田舎に行くのはよっぽどの理由があるときか、それともよっぽど理由がないときか』という話をしましたね」と本浄が言った。
「今日は前者だね、僕たちにはよっぽどの理由がある」
「ええ、そうですね。この<世界>からすれば、ほんのちっぽけな理由なのでしょうけど」そう言って笑う。
僕達はとびっきりの田舎に行くことにした。
「田舎の基準ってなんでしょうね」と彼女が訊いたので、「人口密度じゃないの」と適当に答えておいた。
そういうわけで、明日の朝、僕らはどこか遠くの、人口密度の低い場所に行くことにした。
「さて、それでは今日は何処に行きましょうか」
だとすれば、彼女が今行うべきことは何だろうか。それはきっと、準備と、別れの挨拶だ。
まず、僕らはかつて訪れた駄菓子屋にもう一度行くことにした。理由は二つあった。
あのあたりには綺麗なものが沢山あったのに、いろいろと撮り損ねたものがある、そう本浄が言ったから。これが一つめの理由だ。
そしてもう一つは、旅の前におやつを買っておくのは当然だと思ったからだ。変な話だけど、本当にそれが必要であるように感じた。
無人駅で降りて、向日葵畑を進み、ぼろいベンチの置かれた建物にたどり着く。
ベンチには人影があった。あの日出会った駄菓子屋の少女だ。
「やあ、お久しぶり、でもないかな。今日はどうしてここに?」
店員がベンチに座ってアイスを食べているのは職務怠慢じゃないのだろうか。
「あの……わたし達、お菓子を買いに来たんです」
「それは当たり前でしょ。駄菓子屋なんだから」と僕は言う。
「いやぁ、駄菓子屋がお菓子だけを売るとは限らないよ」
そう言って、駄菓子屋の少女は店内からマジックハンドと模造等を持ち出した。流石にそれは要らないと断っておいた。
やがてアイスを舐め終えてから、駄菓子屋の少女が口を開いた。
「彼女……いや、君たち両方かな。どこか遠くに行ってしまうつもりなんだろう?」
僕と本浄は驚いて顔を見合わせた。もちろん僕も本浄も、少女に何も教えてはいない。
「どうしてわかったんですか」
「だって、君たちは遠くを見ている。遠くに行けば、何かが満たされるかもしれない。そんな眼をしているよ」
それは格好つけすぎか、と笑う少女。彼女から見て、僕たちはどのような表情をしているのだろうか。
「君たちを助けてあげたいけどね、私は何も手を差し伸べられないんだ。もし差し伸べることがあるとしたら、それは対価を払った時だけだよ」
「満たしてくれるのは空腹だけなんでしょ?」
「違うね、一時の幸福もついてくる。むしろそっちの方が大きいのかも」駄菓子屋の少女は嬉しそうにそう言う。
「確かに、そもそもお菓子は楽しみのため、という側面が強いですものね」本浄が頷いた。
「加えて、ここには友達と一緒に来るのがほとんどだしね。それを買うこと、誰かと食べること、それによって得られる幸せな時間に価値がかなり寄っている」
話が脱線したね、と少女が笑った。
「まあ、とにかく、わたしはいついかなる時も駄菓子しか渡せないんだ。でも、ここに来ればいつでもそれだけはしてあげる。世界が終わっても、売ってあげる」
それが普遍性ってやつでしょう? そう言った彼女に僕は70円を渡し、豚の描かれた小さなラーメンもどきを買った。ちょっと待っててね、と言って彼女が部屋の奥に戻る。僕と本浄が店内で適当に話していると、しばらく経ってから彼女が顔を出す。手にはヤカンを持っていた。
「電気ケトルは無いの?」と僕が訊くと、「あの頃の駄菓子屋にそんなものがあったかい?」と彼女は微笑んだ。行ったことはないけれど、あの頃の駄菓子屋にそんなものは無かった。間違いなく。
そんな僕等の問答を嬉しそうに眺めながら、本浄が少し遠く離れた場所でシャッターを切った。夏の太陽と緑の下、古びた駄菓子屋と、問屋の少女と、客の男の子。
また、本浄瑠璃の何かが消えた。
それからビニールいっぱいの駄菓子を買って、僕らは駅に戻り、僕たちの住んでいる町に戻った。
それから最後に、東公園を訪れた。
本浄と仲の良い猫は今日もベンチの前に鎮座していた。彼女がいつものように猫を呼び寄せる。
本浄はとても悲しそうな顔をしていた。当然だ。だってこれは別れの挨拶なのだ。
「わたしとあなたは、ずっと友達ですよ」
そう言って、彼女はいつものように猫にカメラを向けた。それから彼女は初めて、いつも口ずさんでいた鼻歌を猫に歌ってやった。
つーきなき みそらーにー きーらめくひかりー
あーあその ほしかーげー きーぼうのすがたー
本浄は猫にさよならを告げた。




