15: どれだけ悲しくても夜空の星はばかみたいに綺麗だ
「そんなことを考えながらも結局はどっちつかずのまま、季節が何度も廻り、今年度もクラスが変わりました。新しい教室の中には、孤独がもう一人いました」
入り口から一番遠い窓際の端の席に座る本浄。そのとき彼女は、初めて自分に少しだけ似ているような人間を見つけた。それが僕だったというわけだ。
「もちろんあなたはわたしとは違って、何かしらの能力は持ち合わせています。けれども、世界のために、というような思いは全くないように感じられました。わたしと方向は違いますが、あなたも世界と交わる必要がない人間であるように見えました」
僕も他者と関わることをやめてしまっていた。母親をはじめとして、全ての他者との交わりを避けていた。
「要するに、あなたのこと、わたしと似た者同士だと思ったんです。だから迷惑をかけてもいいと思ったんです」
つまり、僕も彼女と同じように、可哀想なひとりぼっちである。そう本浄は思った、ということだ。それで彼女は、僕にどこか親しみを感じた。
「本当に失礼ですよね、わたし。同じひとりぼっちになら迷惑をかけてもいい、だなんて」
「別にいいよ、それが事実なんだから」
優しいですね、と本浄は薄幸そうな微笑みを浮かべる。こんな時まで僕に気を使わないでくれ、と言いたくなる。君はどれだけ自分をないがしろにすれば気が済むのだろうか。
ここで彼女は一呼吸置いた。それはつまり、ここから彼女の話が大きく動くことを暗に示していた。
「そうしてわたしに一つの転機が訪れました。日向野くんと初めて出かけたとき、あの日初めて『綺麗な』写真を撮ることに成功したとき、あれがわたしの分岐点でした」
あの日、今日と同じように彼女とここに来た日。綺麗な流星群を写真に収め、本浄は初めて<法則>を発動させてしまったのだろう。それは今の僕にも予想できていた。
「あの日の写真は、わたしが初めて生み出した価値だったんです。世界さえ価値を認めてくれた、わたしにはもったいないくらいに綺麗な流星群の写真でした」
かつて本浄は言っていた。写真の価値は、自分自身の技量だけでなく、被写体の美しさがメインなのだと。だからいつも自信のない彼女も、良い写真を撮ったことだけに関しては自信を持てていたのだ。
「理屈はわかりませんが、その時わたしはひとつの事実に気が付きました。『もっともっと綺麗なものを残すことができたら、代償としてわたし自身が消えてしまう』ということを直感しました。天啓のようにしてそれに気付くと、わたしはすぐに納得しました。だってわたしはとても汚い存在なんですから。そのことが何よりの証明になるような気がしました」
彼女が綺麗なものを残せば、本浄瑠璃自身が消えてしまう。この世界の<法則>に則るならば、彼女はとても汚いということだ。そして彼女はそんな事実をあっさりと受け入れた。<世界>が彼女にそうであると言い続けてきたからだ。
「そして同時に、わたしは思い出してしまいました。そんな楽しそうにする資格なんてないって。それならやっぱり、綺麗な写真をとって、その代償に自分が消えていくぐらいが丁度いいんだと思いました。そんな仕組みにしてしまうだなんて、世界はよくできていますよね。わたしが消えたいと思ったから、そんな仕組みにしてくれたのかも。だとしたら、世界はむしろ、とても優しいのかもしれません」
彼女は世界を皮肉った。
「けれども日向野くんといる時間は、ひとりぼっちになってからのわたしの人生の中で一番楽しい時間でした。いや、ひとりぼっちになる前から、生まれたときから考えても一番の瞬間なのだと思います。<世界>からはみ出された孤独がもう一人いて、わたしの手を取ってくれました。日向野くんは、暗闇の中で過ごすわたしに与えられた、小さな一本のマッチでした。それは果てのない闇を照らすには小さすぎる灯でしたが、それでもわたしにとってはかけがえのない暖かさでした」
そんな日々を手放したくない、と思ったのは紛れもない事実です。そう彼女は続けた。消えるべき自分と、他者と一緒に居られる事実。この二つの板挟みに合っていたということ。
「だからわたしはこうすることにしました。日向野くんと一緒に、わたしが消えるための写真を撮りに行こう、と。そうすればあと少しだけ、わたしが消える間だけ、日向野くんと一緒にいられるから」
彼女はそんな選択を、自分にとって都合のいい折衷案であると言った。
「わたしはそういう狡猾な人間なんです。人に迷惑をかけたくないだなんて偽善です。あなたを同じひとりぼっちだと決めつけて、それならば自分の幸せのために利用しても構わない、なんてことを考えるんです。きっとわたしが消えてしまうのは、そんな醜さを持っているからです」
だから、こんな汚いわたしは消えてしまうくらいが丁度いいんです。そう彼女は何度も何度も口にした。僕は何も言葉を返せなかった。
「生きていけばいつか、なんてことを信じるには、わたしは色々なものを失いすぎてきました。苦しい時間は、とても長く感じるんです。十七歳のわたしは、これほど長く苦しんだ時間がたった十七年でしかないことに気付き、更に深く絶望しました。そしてこの苦しみはあと六十三年ぐらい続くんです。永遠みたいな時間です。それなら、それなら私は、」
汚い永遠よりも、綺麗な一瞬を求めたいんです。
彼女が言うよりも前に、その言葉は僕の頭の奥に浮かんでいた。
「世界の誰からも必要とされないような長い時間より、世界が美しいと認めてくれる一瞬の方が、よほど価値があるとは思いませんか?
理想の生き方を望むことができなくなったわたしが、理想の消え方を望むのは、おかしなことでしょうか」
僕は何も否定できなかった。それは、ある部分では本質的に自分が本浄と同じだったからだ。自分が<孤独>であり、それが<世界>にとっては邪魔で不都合なものであるということを痛いぐらいに理解できていたからだ。僕等は世界に不必要だと言われ、汚いと罵られる。それに対して何ひとつ反論する言葉を持ち合わせていない。
僕はしばらくの時間をかけて彼女の語った言葉を飲み込んだ。
「本浄が話してくれたおかげで、僕の中で疑問だった色々なことがわかったよ」
どうして他人と話さない彼女が、他人と話さない僕に声をかけたのか。どうして流星群の写真を撮ったときに釈然としない顔をしていたのか。どうして自分が消えるとわかってもなお、写真を撮り続けることを選んだのか。それらすべての理由を知った。
「わたし自身が消えていくため、そんなことのために日向野くんを付き合わせたことは本当に申し訳なく思っています。これ以上、わたしとは関わらなくて構いません」
本浄は最後にそう言った。僕は「そんなことないよ」と返した。本心だったはずなのに、何の力も持たない返事だった。それきり言葉が途切れて、僕らは視線を上に向けていた。
僕らは長い間、ただひたすらに夜空を見つめた。二人で寝転がって見上げる空はあんまりにも綺麗だった。でもやっぱり、全部の星が泣いているように見えた。どこかで王子様が笑っているような小さい星は、どこにもなかった。
「あの星に帰りたいです」小さくて見えない星を指差し、消えてしまいそうな声で呟いた。「わたしの生まれた星は、きっとこの星じゃないから」
隣の顔を見る。彼女は泣いていなかった。ここまで追いやられても、全ての星が泣いていても、彼女自身は泣くことを許されないのだ。それはほんとうに、悲しいことだと思った。
僕と本浄は山を下り、バスに乗って僕らの住む町に戻った。そのまま彼女の家の前まで付き添った。
そこで彼女は僕の服の裾を掴んだ。さっき、あれだけ僕に『関わらなくていい』と言っていた彼女は、それでも僕が離れることを拒んだ。彼女は再び一人になることに怯えていた。大したあまのじゃくだ。けれどもそれは、彼女が僕を心のどこかで求めているという、確かな証拠だ。それが僕にとっては救いだった。
以前、本浄と書店に行った時のことを思い出した。ベストセラーになった小説のあらすじが頭に浮かんだ。余命を宣告されて、死に怯え、それでも良い生を送ろうとする少女の話だった。僕らの物語は、それとは明確に違う。真逆なのだ。僕の目の前にいるのは、生に怯え、少しでもよい終わりを迎えようとする少女なのだ。
自ら消えようとする彼女に、僕はどう手を差し伸べればよいのだろうか。
そのまま僕は彼女の部屋に入った。彼女はもう、一人では立っていられない、そんな気がしたからだ。
予想していたものの、彼女の部屋はかなり殺風景なものだった。ベッドがひとつ、本棚がひとつ、学習机がひとつ、そしてカメラがひとつ。本当にそれだけの部屋だった。本は沢山あったけれど、その多くが色褪せていたりくたびれていたりした。きっとこれは彼女の両親のものだったのだろう。
彼女は既に疲れ切っていたようで、ベッドに座るや否や倒れこんで眠ってしまった。ただでさえずっと濡れていたのだ。風邪を引かないように、と僕は彼女の身体を動かし、布団を掛けてやった。あまりよくない顔色、細い腕、苦しそうな表情。どれも彼女の薄幸さや弱さや脆さを際立たせた。本浄瑠璃はとても弱い人間で、けれども時々とても強い人間だ。こんな身体で誰よりも深い孤独に耐え続けてきた。そんな彼女を前に、自分がすべきことについて考えた。
かつて似た者同士だと言った。僕と本浄は同じ傷を持っている。けれども僕の傷は生きていけるぐらいのもので、本浄の傷はいつ死んでもおかしくないぐらいに深い。彼女の方が大きな痛みを抱えているのだから、せめて僕は同じだけの痛みを抱える努力をしよう。それで彼女の痛みは一つも消えないけれど、それが僕のすべきことだ。孤独を分かち合うというのは、きっとそういう事だろう。そんなことを考えていると僕も眠たくなった。そのままここで寝てしまうことにした。僕は悪夢で構わないから、本浄瑠璃が幸せな夢を見る事を願った。
それなりに自分と向き合って書いているつもりなので、書いてるときはすごくしんどいです。




