第十章 群れる者は弱者か
過酷な熱風と赤黒い溶岩が蠢く巨導火山帯「グロリアス」の火口最深部。先ほどまで煮えたぎっていたマグマの湖は、ベネットの瞳に「竜眼」が開いた刹那、氷点下数百度の極低温によって青白い氷床へと変貌を遂げていた。「な……なに……!? この魔力の密度は……!?」炎王竜マグママントルは、その巨大な巨躯を震わせ、驚愕と屈辱の入り混じった激昂の声を張り上げた。目の前に佇むのは、自らが「矮小で無様な人間もどき」と見下していた竜人の娘に過ぎない。しかし、彼女の背後に立ち現れた天を突くほどの巨竜の幻影と、全身から放射される圧倒的な神聖なる力場は、古代の竜王たちすら遙かに凌駕していた。マグママントルは自らの内から湧き出る恐怖を塗りつぶすように、巨大な前脚で凍てついた大地を踏み砕き、割れんばかりの咆哮を上げた。「ふん……生意気な!! 群れることは、弱者のすることだ!!」灼熱の炎が、マグママントルの赤黒い鱗の隙間から溢れ出し、周囲の氷を爆発的に蒸発させていく。「数を集めなければ生きられぬ者どもを、我らと同じと思うな!! 人間やゴブリンのごとき弱小種族がどれほど群れをなそうと、万物を灰燼に変える我ら絶対の個の前には羽虫も同然!! 弱者とは――群れることだと、分からせてやる!!」巨躯を覆う溶岩の炎が極限まで高まり、火口全体が眩い白熱の光に包まれた。マグママントルは己が誇る古代竜のプライドの全てを賭け、ベネットを見下ろして怒号を飛ばす。
しかし、ベネットは一切の身構えも見せず、黄金の光芒を宿した竜眼で、静かにマグママントルを見つめ返しているだけであった。「どうした? 怖くて声も出ぬか?」煽るようなマグママントルの問いかけに対し、ベネットはふっと目元を緩め、寂しげな微笑を浮かべた。「いえ。……懐かしいな、と」「何?」マグママントルが眉をひそめる。ベネットは胸元の内ポケットに手を当て、手の中にある歪んだ髪飾りと焦げた玩具の感触を確かめながら、静かに紡いだ。「昔の私も、そう思っていました」「なに……?」「一人の戦闘能力が高ければそれでいいのだと。孤高であり、誰にも頼らず、圧倒的な力さえ持っていれば何者にも脅かされないのだと……そう信じておりました。ですが、その結果として残されたのは、焦土と化した故郷と、失われた大切な家族だけでした」「戯れ言をーっ!!」マグママントルの怒りが頂点に達した。「喰らうがいい! 我が万物を穿つ真炎を!!」マグママントルが巨大な顎を開くと、その深淵から太陽の超高熱すら超える極大の火炎放射――「滅世のブレス」が解き放たれた。白熱する炎の濁流が、空間を歪め、岩盤を蒸発させながら一直線にベネットへと襲いかかる。それは一国の王都を一瞬で灰燼に変え、山脈一つを溶岩の海へと変える絶対の破壊力であった。
だが――。
ベネットは逃げもせず、防壁の魔法すら唱えなかった。黄金に輝く「竜眼」が、解き放たれた真炎の軌道、熱量の構造、魔力の節点を恐ろしいほどの精度で見切っていた。彼女は滑らかな動作で右手を開き、正面へと静かに差し出した。「『凍えて眠りなさい』」ベネットの口から漏れたのは、ごく短い言葉。次の瞬間、ベネットの手元から解き放たれたのは、先祖氷王竜ギガフロストの力を完璧に昇華させた極大の絶対零度波であった。
ズオオオオオオオオオオオオオオオオン―――――――ッ!!!!
白熱の炎と青白い氷波が正面から激突した。しかし、拮抗は一瞬すら存在しなかった。マグママントルが全魔力を注ぎ込んだ滅世のブレスは、ベネットの放った極低温の力場の前に一瞬で熱量を奪われ、白熱の炎から赤、青、そして透明な氷の結晶へと変質しながら、逆流するように凍りついていったのだ。「な、なにぃ……!? 我が真炎が……凍りつくだと……!?」驚愕に目を見開くマグママントルの視界を、青白い光の閃光が覆い尽くした。
炎を凍らせながら突き進んだ絶対零度の波動は、そのままマグママントルの巨躯を包み込んだ。
ドオオンッ!!
地鳴りのような衝撃とともに、巨大な炎王竜の肉体が凍結し、その巨躯が力なく凍てついた火口の底へと倒れ伏した。赤黒かった堅牢な鱗は氷の結晶で覆われ、煮えたぎっていた熱量は完全に封印されていた。たった一撃。古代から恐れられた絶対者・炎王竜マグママントルは、ベネットの圧倒的な力の前に完敗したのである。火口内に静寂が戻った。ベネットは倒れ伏し、荒い息を吐くマグママントルへ向かって、静かに歩み寄った。「ぐ……ぬ……殺せ……。勝者となったお前の手で、我が命を絶つがいい……」屈辱に震えるマグママントルが、弱々しく声を絞り出した。古代竜の掟。力こそが全てであり、敗者は勝者に命を奪われるのが常であった。しかし、ベネットは巨竜の目の前に立ち止まると、その巨躯に優しく手を触れた。彼女の掌から温かな回復の魔力が注ぎ込まれ、凍りついたマグママントルの肉体が緩やかに解かされていく。
「な……なぜだ……? なぜ我を殺さん……!?」
困惑するマグママントルを見つめ、ベネットは静かに言った。「強さは、相手を殺すためだけにあるものではありません」「なに……?」ベネットの深い蒼の瞳には、一切の憎悪も奢りもなく、ただ世界の深遠なる理を見据える静かな光が宿っていた。彼女はマグママントルの黄金の瞳を正面から見つめ、その思想そのものに問いを投げかけた。「なぜ竜族は、こんなにも少なくなったのでしょう」「……なに?」「あなたは言いました。群れることは弱者のすることだ、と。……でも、だから竜族は、一万二千人しか残らなかったのではないでしょうか」ベネットの声が、静かに火口内に響き渡る。「個の強さに誇りを持ち、他者と群れることを蔑み、孤高であることを美徳とした。その結果、私たちは数を増やさず、社会を築かず、互いに助け合う構造を作らないまま、時代の隅へと追いやられていきました」「く……」マグママントルは言葉に詰まった。「人間やゴブリンたちは、一人の力は確かに弱いです。ですが彼らは群れ、知識を共有し、制度を作り、無数の仲間と協力し合うことで、三十億という莫大な繁栄を手にしました。一方、孤高を気取った私たちはどうでしょう。強い個だけを残し、一万二千人にまで数を減らし、その一万二千人すらも、三十億の組織の力の前には一夜にして焦土に変えられてしまった……」純粋なドラゴンたちが数千年にわたり信じてきた「孤高こそ強さ」という思想。それこそが、長い年月の中で竜族を社会から孤立させ、個々の圧倒的な破壊力を残したまま、種族として生き残るための基盤そのものを失わせた根本的な原因であったのだ。マグママントルは呆然とベネットを見上げた。自分たちが誇りとしてきた「孤高」が、実は種族を滅びへと導く緩やかな毒であったという真実。「私は、竜族を変えます」ベネットは力強く宣言した。「私一人で最強になるのではなく、竜族が、もう二度と滅びない種族になるために。……古代の強さと、現代の構造。その両方を兼ね備えた、新たなる時代を創り出します」少女の瞳には、迷いはなかった。彼女の言葉に、炎王竜マグママントルはもはや反論の言葉を持たなかった。ただ、自らの過去の過ちと、目の前に佇む新たなる竜の王の器に、静かに圧倒されていた。「……見事だ、ギガフロストの末裔よ。お前の歩む道……見させてもらうとしよう」マグママントルは低く呟き、静かに目を閉じた。ベネットは彼に一礼すると、新たな決意を胸に、火口の出口へと向かって歩み始めた。
その頃――。
大陸の最北端、永久凍土に閉ざされた極北の地にそびえる、氷の結晶で作られた巨大な宮殿。その最奥で、数千年の永きにわたり眠り続けていた途方もなく巨大な龍の巨躯が、微かに動きを見せた。青白く光る氷の結晶に覆われた巨大な頭部。その両眸が、ゆっくりと、ゆっくりと見開かれる。氷王竜ギガフロスト。ベネットの先祖であり、かつて世界を統べた古代竜の王が、はるか南方の地で放たれたベネットの「竜眼」の波動を感知し、永い眠りから目を覚ましたのだ。ギガフロストの深く神聖なる瞳が、遥か彼方の空を見つめる。「……ベネット」その掠れた古代の声が、吹雪く極北の空へと静かに溶けていった。こうして、ひとりの少女が自らの「強さ」の意味を問い直し、世界と種族の構造に立ち向かい始めた物語「最強と強さ」は、静かに一区切りを迎えた。
だが、これは終わりの始まりに過ぎない。
一人の「最強」から、種族全体の「再生」へ。ベネットはこれから、マグママントルのような各地に隠れ住む純粋なドラゴンたちと対話を果たし、彼らの古代の力と誇りを解き放ちながら、滅びかけた竜人族をまったく新しい「強者」として再構築していくこととなる。三十億の巨大国家リューネゴブリン王国との真の対峙、そして世界の理そのものを塗り替える新たなる変革の刻に向けて――。「竜族最強の少女」ベネット・ド・ドラグニアの旅は、第二部「竜の新生と再興」へと、高らかに続いていくのであった。
【エピソード一 完】




