3話:誰も私の言葉を信じない。なら、こちらから捨ててあげます
ガタゴトと心地よく揺れていた馬車が、大きな金属音を立てて停止した。
「エリアナ、着いたぞ。ここが私の屋敷だ」
アルフレッド様の低い声に促されて外を見ると、そこには圧倒されるほど巨大な白亜の城がそびえ立っていた。
私の実家であるエバンス公爵家もそれなりに大きかったけれど、ここは規模が違う。美しく手入れされた庭園、そびえ立つ尖塔。さすがは軍事大国の最高峰、ラインハルト公爵家だ。
「さあ」と手を差し伸べてくれたアルフレッド様にエスコートされ、私は馬車を降りる。
破れたドレスのまま邸宅の重厚な玄関をくぐると、そこには数十人の使用人たちが整列して私たちを待っていた。
その中心に立つ、白髪交じりの厳しい表情をした初老の男性――この屋敷の総支配人である執事のハンスさんが、一歩前へ出る。
「おかえりなさいませ、アルフレッド様。……そちらの、お連れ様は?」
ハンスさんの目が、鋭く私を値踏みするように動いた。
彼の目には、明らかな『警戒』の色がある。それだけではない。後ろに控えるメイドたちからも、「どこの国の令嬢かしら?」「あのボロボロの格好、まさかスパイでは……」という小さな囁き声が聞こえてきた。
無理もないわ、と私は思う。 夜会の途中で婚約破棄され、ドレスを引きちぎって夜の森で行き倒れていた女だ。怪しまれない方がどうかしている。
「彼女はエリアナ。国境の森で倒れていたところを私が保護した。ハンス、彼女に一番良い客室を用意し、新しい衣服と温かい食事を手配してくれ」
「……アルフレッド様、恐れながら申し上げます」
ハンスさんは頭を下げつつも、毅然とした態度で言葉を続けた。
「身元の分からぬ者を、このように簡単にお屋敷へ上げるのは危険かと存じます。もしや、我が公爵家を陥れようとする、他国からの刺客という可能性も――」
「ハンス」
アルフレッド様の声のトーンが、一段と低くなった。
その瞬間、周囲の空気が凍りついたかのようにピリリと張り詰める。これが『冷酷公爵』の本物の威圧感なのだと、肌で感じてゾクリとした。
「彼女はそんな存在ではない。俺がこの目で見て、俺の意志で連れてきた。私の判断が信じられないと言うのか?」
「くっ……い、いえ、滅相もございません。すぐに部屋の手配をいたします」
アルフレッド様の気迫に押され、ハンスさんは一歩引き下がった。けれど、私を見る使用人たちの目は、依然として冷ややかで、トゲを含んだままだ。
(前の国でも、ここでも、最初はみんな私を疑うのね……)
少しだけ胸がチクリと痛んだけど、私はすぐに頭を振った。
前の国では言い訳すら許されなかったけれど、ここでは違う。アルフレッド様が、私のために怒って、守ってくれた。それだけで、私は十分に戦える。
「あの、アルフレッド様、そしてハンス様」
私はすっと背筋を伸ばし、公爵令嬢としての完璧な淑女の礼をして見せた。ドレスはボロボロで泥がついていたけれど、その所作だけは、どんな高貴な場に出しても恥ずかしくないものだ。
「突然押しかけてしまい、不信感を抱かせてしまうのは当然のことでございます。私の身元や、なぜあのような場所にいたのかは、体力を回復させ次第、すべて隠さずお話しいたします。ですから……どうか、数日だけ休むお許しをいただけないでしょうか」
まっすぐにハンスさんの目を見て伝えると、老執事は微かに目を見開いた。 ただの行き倒れではないと、その洗練された立ち振る舞いから察したのだろう。
「……承知いたしました、エリアナ様。まずは旅の疲れをお癒やしください」
ハンスさんの声から、ほんの少しだけトゲが抜けた気がした。
「ありがとう、エリアナ。君に無理をさせるつもりはなかったのだが……」
「いいえ、アルフレッド様。お気になさらないでください。私、これでも結構頑丈なんです」
私がクスッと笑うと、アルフレッド様はどこかホッとしたように目元を緩めた。
その後、案内されたお部屋は、客室と言うには豪華すぎるほど広くて綺麗なお部屋だった。
用意された温かいお風呂に浸かり、泥を綺麗に洗い流す。湯船に浸かるなんていつ以来かしら。前の国では、王宮の古いシャワーで済ませることが多かったから、温かさが骨の髄まで染み渡るようだった。
お風呂から上がると、仕立ての良い柔らかな寝巻きと、湯気が立つ温かい白菜のスープ、そしてふかふかのパンが用意されていた。
「美味しい……」
一口スープを口に含んだ瞬間、じわっと涙が出そうになった。
前の国では、冷めきった食事を片手間に流し込むだけの日々だった。誰かが私のために用意してくれた、出来立ての温かい食事。それがこんなに胸をいっぱいにさせるなんて、知らなかった。
お腹がいっぱいになると、猛烈な眠気がやってきた。
雲のように柔らかい大きなベッドに潜り込む。
(私の言葉を信じない人たちのところなんて、捨ててきて正解だったわ)
エドワード殿下たちのいる、あの冷たい王宮を思い出す。
私が抜けたあとのあの国がどうなろうと、もう私には関係のないことだ。
私はアルフレッド様の優しい瞳を思い浮かべながら、心地よい深い眠りへと落ちていった。
――しかし、この時の私はまだ知らなかった。
この公爵邸の裏庭にある「決して近づいてはならない開かずの檻」に、明日、私が足を踏み入れることになるなんて。




