第一章 播磨より
史料にほとんど残っていない前半生を、あえて淡々とした調子で書き始めています。派手な立身出世譚にはせず、算用という地味な特技を軸に据えることで、後の宇喜多家での役割に説得力を持たせたいと考えました。
わしの生まれは播磨国多可郡阿賀邑じゃ。父・正祝は、さして大きくもない邑を領する土豪であった。播磨といえば、山と川に恵まれた土地でな。幼い頃のわしは、その川で魚を獲り、山で木の実を拾って育った。
もっとも、平穏な暮らしがいつまでも続くわけではない。播磨は、東西の大きな勢力がせめぎ合う土地であった。父は生き残りの道を探るのに苦心しておったよ。小さき家というのは、大きな家の顔色をうかがいながら、それでも己の誇りを失わぬようにせねばならぬ。それがどれほど難しいことか、わしは幼心にも感じ取っておった。
わしが家を出て、前田利家様にお仕えすることになった経緯は、正直なところ、詳しくは覚えておらぬ。人の縁というのは、川の流れのようなものでな。気づけば、いつの間にか大きな流れに乗せられておるものじゃ。播磨の小さな邑を出て、遠く加賀の前田家の門をくぐったとき、わしはまだ若く、何もかもが物珍しかった。
前田様の御家中は、わしのような余所者にも案外温かかった。もっとも、それは前田様が懐の深いお方であったからであろう。利家様は、戦場では鬼のように恐れられたお方じゃが、家中の者への目配りは細やかであった。わしのような小身の者にも、時折声をかけてくださった。
「中村、お主は算用に明るいそうじゃな」
そう言われたときの誇らしさは、今でも覚えておる。わしは幼い頃から、数を数えることと、水の流れを読むことが得意であった。田畑の実りを計算し、川の氾濫を防ぐために堤を築く。地味な仕事じゃが、これがわしの性に合っておった。戦場で槍働きをするよりも、こうした裏方の仕事にこそ、わしの生きる道があるように思えたのじゃ。
前田家での日々は、決して長くはなかった。しかし、その短い歳月の中で、わしは一つの大きな出会いを得ることになる。
利家様の姫君――豪姫様との出会いじゃ。
中村、お主は算用に明るいそうじゃな」という利家の台詞は、家正の生涯を決定づける一言として機能させています。あえて短い章に留めたのは、豪姫との出会いへの助走として働かせたかったからです。




