50 だいすき
「あなたって、ほんとのほんとにバカじゃないんですか……糀谷さん」
薫さん、いや薫? それとも糀谷さん? どれで呼べばいいか一瞬分からなくなったけど、糀谷さん。と呼べばやけに悲しそうに笑うので、薫さんと呼ぶ事にしようか。
「なんで黙ってたの」
きっと、はじめは同じだった。
いやな上司と、クソ生意気な後輩。私も薫さんもきっと同じ記憶しかなかった。
でも、いつからか薫さんは優しくなってきて、
いつからか薫さんは私の知らない所で泣くようになった。
「あんた頭おかしいよ」
「もし私があんたの立場なら、絶対我慢なんかできない」
ブン殴って思い出せって言って、そんで押し倒してキスしてる。
そう付足せば、薫さんは「朱美らしい」と軽く笑った。
ベランダには私と薫さんの二人。あ、あと室外機の上に座ってるロリックマ一匹。
国道を走る車がぱっぱーと鳴らすクラクションの音を聞く。
「我慢できるわけない、絶対絶対我慢なんかできない。私だったら前世での記憶を思い出すまでのんびり待つなんてできない」
「おかしい、あんた本当におかしい。……ほんとどんな気持ちで居たの。そう思うだけで、私、もう胸が張り裂けそう」
そう言うと、薫さんは少し視線を落とした。
泣く権利があるのは彼の方なのに、泣いているのは何故か私の方だった。
「俺は、どうしたらいいのか分からなかった」
淡々と薫さんがそう答える。
そして私を見れば苦笑して「泣きすぎ」と言う。
「思い出して欲しいような、欲しくないような、ずっと迷ってた……」
ありえない、ほんとにありえない。
私だったら本当にブン殴って、絶対今すぐ思い出せって脅迫してる。
だって、私いっぱい酷い態度取ってきたもん。
糀谷薫なんか好きじゃない、っていっぱい態度で示してきたもん。
もし、私が薫さんの立場だったらそんなの耐えられない。
「……ほんとあたまおかしいよ……」
そう言って私が泣けば、薫さんはまた「泣きすぎ」と笑いながら私の涙をぎゅうと親指の腹で拭う。それがまた私の涙を誘発させるって何で分かんないかな。
「お前が思い出したとしても、思い出さなかったとしても。ただ強く想ってることが、お前への愛だと思った」
意味わかんない。全然意味わかんない。
ぎゅっと薫さんに抱き付けば、同じタバコの匂いがした。
そう言えば、昔は違うタバコを吸ってたのに。
薫さんの首筋に顔を寄せると、昔みたいに彼が私の背中をとんとんと優しく叩いた。
「薫、朱美」
そんな風に私たちの名前を呼んだのはロリックマだった。
何となく第三者が居たことを恥ずかしく思って薫さんからぱっと離れる。
そして室外機の上にちょんと座ったままのロリックマを見た。
「ここは乙女ゲームの世界だって事覚えてる?」
「あ、あったなぁそんな設定……」
「何でここの世界に、二人が転生する事になったか分かる?」
分かんねーよ。そうサックリ言いかけた時、ロリックマが私と薫さんをこの世界に転生させた神様の下僕だとかいう、謎のカミングアウトをしていた事を思い出した。
「俺が願ったから。『坂下朱美と今度こそは幸せになりたい』って願ったから」
え、ええー。ちょっと薫さん真顔で何言ってんの。なんて私がじっとりした目で彼を見ていたら、ロリックマはけらけらと笑って「それも一理ある」と意味ありげな言葉を言った。
「朱美も薫も、早くして亡くなった」
「え、薫さん死んだの?」
「お前なんで俺がここに居ると」
「……だって」
「俺がどうやって死んだとか、そういうのはどうでも良い。ロリックマ続き」
いや、私は自分が死んだのは今ハッキリと思い出せるけど。
……薫さん、あの後死んじゃったんだ。いや、彼の言う通りいまここに居るんだから当たり前なんだけどさ。なぜかわからないけど、また少しだけ泣けた。
「二人ともそういう運命だった。お互いに出会っても出会わなくても、あの時間に死ぬ事が生まれた時から決まってた。ただ、そんな早くして死ぬ運命が決まってた二人が出会っちゃったから、もうなんていうか……超悲劇的な事に……」
ロリックマがため息交じりにそう呟く。
薫さんは、横目で私を見た後に、ぎゅうっと私の手を握ってきた。
「朱美が就職活動する時、エントリーする会社をあみだくじで選ばなかったら二人は出会わなかった。薫が会社名に惹かれたとかいう適当な理由であの会社を選ばなかったら二人は出会わなかった」
世の中は、そんな偶然で溢れてるから。といかにも天使様らしい事をロリックマ改め天使様は言う。
「人間の数の調整の関係で、何人かは早めに死んでしまう人間が出てくる。神様は超いい人だから、その人達に救いをと思ってはじめたのが『次のお願い事なんでも叶えますキャンペーン』なんだよ」
「なにそれ!」
私がかなり驚いたのに、薫さんは知っていました。なんて顔。
「死んで、次に転生する時のお願い事を聞いてあげるキャンペーンだよ。『次は長生きしたい』とか『次は超大金持ちになりたい』とか『アラブ石油王の嫁になりたい』とかいろいろ。『異世界に行ってチート能力欲しい』っていう男の子も多いけど」
ああ、そういえば「私は貝になりたい」なんて言った人もいたよ。なんてロリックマは目を細める。
いやいや、ありえないでしょ。なんて隣の薫さんを見ればやけに真剣な顔をしている。
「薫の願いは、さっき薫が言った通り。……朱美。君たち二人がこのベランダでシガーキスした日の事を覚えてる?」
ロリックマがそう言った瞬間、また涙が溢れてきた。
そうだ、言ってたなあの時。「朱美はさ、もし一つだけ願いが叶うとすればどうする」なんて。
私、何でこんなに大切な事をずっと忘れていたんだろう。
「思い出したよ、やっと思い出したよ」
そう言えば、また涙が溢れた。
鼻はすすりすぎてそろそろ痛いし、絶対明日腫れる自分の目を見て後悔するに間違いないのに、涙が止まらなかった。
「私、バカだから『願いを三つにしてもらう』ってお願いした」
「あの場であんな度胸のある事を言ったのは後にも先にも朱美だけだよ……」
呆れたようにロリックマがため息をつく。
薫さんはぼそっと「朱美らしい」と言った。
今の今まで、その三つのお願いを忘れていた。
私、ほんとのほんとにバカだよ。
「ひとつめは、次は女の子っぽい世界で生きたい」
「ふたつめは、生まれ変わっても朱美って名前が良い」
「みっつめは、また糀谷薫と出会いたい」
指を折ってそう言えば、みっつめのお願いの後に薫さんが少し鼻をすすった。お前、ほんとバカ。なんて言葉付きで。
タバコをやめられない自分の事が嫌いだった。だから次は思いっきり女の子女の子した世界でプリンセスみたいな生き方がしたかった。
朱美って名前は、自分に合ってて好きだから、次もその名前が良いなって思いつき。
本当は一番最初にお願いしたかったのに、やっぱりどこか恥ずかしくて一番最後に言った一番大切なお願い。
「おいらと神様は感心したよ。お互いがお互いを死してなお、想いあってたから。だから今度は幸せにしてあげようね。って二人を転生させてあげたんだ」
プリンセスとはちょっと程遠いし、忌まわしき記憶には違いないので少し思い出したくないけれど、私ことあーたんと、かーくんのカップルはもうそれこそ超ドラマチックな恋愛(乙女ゲーのシナリオ並)をしてバカップルへと至った。
私の願いも薫さんの願いもご丁寧にも叶えてくれてたって訳ですか。
「バカップルのはずだったのに突然前世の記憶を思い出すから、おいら達は大パニック。離婚するとか言い出すし。だからとりあえずあの二人をメンヘラキャラに改変する事で、別れないように必死にサポートする事にしたんだ」
「……だからあんたも突然くまのぬいぐるみに憑りついてサポートしてくれてたってわけね」
ロリックマは胸を張ってドヤ顔で私たちを見る。
早紀ちゃんと颯太くんのメンヘラっぷりは、私と薫さんの為だった。
私と薫さんの願いを叶えるためだった。
「朱美」
そう呼ぶ彼の顔を見れば、つうと頬に涙が伝っていた。
はじめて真正面でみる薫さんの涙に、私の涙腺は崩壊。
あなたは優しく私の涙を拭ってくれるけど、こんな時にまで私に気をつかってくれなくていいんだよ。
「俺は、お前を愛してる」
震える声で、紡がれるその言葉。
今まで何回も聞いてきたはずなのに、こんなにも胸に響くのはどうしてなんだろう。
「かおるさん。だいすき、だいすきだよ」
私、変な所意地っ張りだから「愛してる」なんてくさいセリフ言えない。
だから、幼稚だって。バカみたいだって。そう思うかもしてないけど、それが朱美らしいって笑って。
薫さんは、私に手を伸ばしてぎゅっと私を抱き寄せてくれた。
その暖かみに、泣けてくる。
「今度は俺より、一秒でも長く生きてほしい。一日なんて贅沢言わない。一秒だけでも構わないから」
「お願いだから、もう俺を独りにしないでほしい」
これを二回目のプロポーズの言葉にしとくよ。薫さんが耳元でそう囁いた。
一回目、かーくんにされたロマンチックプロポーズより、
二回目、薫さんからのプロポーズが嬉しい。
きっと私も薫さんもクソ畑出身者だから、これから上手くいかない事もあると思う。
その時にはおもいっきり喧嘩しよう。でも隣人が死なないようにこっそりと。
いつまでも子供っぽくて意地っ張りな私を許して。でも時々叱ってね。
私とあなたは同じ苗字で、夫婦なんだから。
薫さんと目が合う。
少し赤い目に笑えば、顔が近づいてきてゆっくり唇が重なった。
神父さんは居ないし、私とあなた以外誰も居ないけどこれが誓いのキスに思える。
私とあなたは今日、
乙女ゲームの世界で、仮面夫婦やめました。




