第45話 忘れないで
白い光が、ユリウスの胸を貫いた。
黒い魔法陣が消える。
王冠炉との接続が切れ、王都を覆っていた闇が崩れていく。
そのときになって、ネネには分かった。
市街地へ向けられていた黒い光には、初めから破壊の術式が組み込まれていなかった。彼女へ放たれた槍も、王剣で必ず断ち切れる強さに抑えられていた。
ユリウスは、最初から誰も殺すつもりなどなかった。
朝の空が戻った。
ユリウスの身体が、ゆっくりと傾く。
ネネが剣を捨てた。
「ユリウス!」
倒れる前に、その身体を抱きとめる。
胸の中央には、王剣によって開けられた傷があった。
血は多くなかった。
生命そのものを断つ術式だった。
「どうして避けなかったの」
ネネの声が震える。
「避けられなかった」
「嘘」
「そうだね。嘘は僕の専売特許だ」
ユリウスは、わずかに笑った。
ネネの手が胸の傷へ触れる。
治癒魔法の光が溢れる。
王家の魔力が、ユリウスの身体へ流れ込む。
傷口は閉じなかった。
王剣に断たれた生命は、つなぎ直すことができない。
「治して」
ネネが言った。
「あなたならできるでしょう」
「死んだものは戻せない」
「まだ死んでいない」
「もうすぐだよ」
「嫌」
ネネは何度も魔法を使った。
光が強くなる。
それでも、ユリウスの身体から熱が失われていく。
「最初から、そのつもりだったの?」
「君が迷っていたから」
「だから、私に殺させたの?」
「君は国を選んだ」
「選ばせたのでしょう!」
ネネの涙が、ユリウスの頬へ落ちた。
「また、私に何も教えなかった」
「教えたら、止めるから」
「当たり前でしょう」
「だから言わなかった」
「最後まで、勝手に決めるのね」
「うん」
ユリウスは否定しなかった。
「ごめん」
ネネが息を止めた。
「今、何て」
「ごめん」
ユリウスは繰り返した。
「謝っても、変わらないけど」
「そういうときに謝るんだよ」
「リナも言っていた」
「では、生きて謝って」
「難しいね」
「難しくても」
ネネはユリウスの手を握った。
「私が命じます。死なないで」
ユリウスは、握られた手へ視線を落とした。
「その命令は、聞けない」
「私の命令なら、聞くと言った」
「嘘だったのかもしれない」
「ユリウス」
「泣かないで」
「あなたのせいでしょう」
「そうだね」
ユリウスは、ネネの顔を見た。
初めて教室で会ったとき。
森の空地。
焦げた菓子。
火の中へ入っていく小さな背中。
名前を知らない死者のために、花を置いた姿。
自分を犠牲にしてでも、誰かを助けようとする少女。
最後まで理解することはできなかった。
それでも、もう少し見ていたかった。
「僕は、君のことが好きだったのかな」
「今さら聞かないで」
「分からなかったから」
「好きだったよ」
ネネが泣きながら答えた。
「あなたは、私を好きだった」
「そうなんだ」
「私も」
続く言葉は、すぐには出なかった。
「私も、あなたが好きだった」
ユリウスは、少しだけ目を細めた。
笑ったのだと、ネネには分かった。
「よかった」
「よくない」
「君に好かれていたなら、嬉しい」
「それなら、生きて」
「生きたら、君はまた迷う」
「迷ってもいい」
「僕は、君以外を大切にできない」
「いつかできるかもしれない」
「できなかったら?」
ネネは答えられなかった。
ユリウスの呼吸が浅くなる。
王宮の庭へ、朝の光が差していた。
遠くで、人々の声が聞こえる。
王都は残った。
国も、ネネも生きている。
ネネは、ユリウスの手をさらに強く握った。
「僕は、初めて誰かが幸せならいいと思った」
ユリウスの声は、ほとんど聞こえなくなっていた。
「それは、君が教えた」
「こんな終わり方を教えたわけではない」
ユリウスは、最後の力で指を動かした。
ネネの涙を拭おうとした。
指先は、頬へ届かなかった。
「君が幸せなら、それでいい」
「嫌」
「守るべきものを選んだ日のことを、君は忘れられないだろうね」
ユリウスは少しだけ口角を上げた。
「でも、もし許されるなら」
ユリウスの瞳から、光が失われていく。
「君が守った世界で、僕のことを忘れないで」




