2-22
結局は、これだ。
戦場では何度も命を預け合ってきた。けれど私生活まで一緒にいたいとは思わない。
私は、絶対に私を裏切らない人がずっと欲しかったのだ。
イクスが私をある程度信頼してくれているのは知っている。私も彼を信頼している。
……だけど、それは戦いの中での話だ。
共通の敵がいて、協力しなければ自分たちが死ぬかもしれない状況下での信頼関係と、私生活での信頼関係は別物だと思っている。
決して、イクスが私を害そうとしているなんて思っていない。
――でも、怖いのだ。
この世界で、心から他人を信じることが。
「私、昔恋人がいたんだよ」
私の言葉に目を丸くするルカへ、私は笑って続けた。
まあ、無理もない。私って明るいキャラだし?
いきなりこんな暗い話をされたら驚くよね。
そう思いながら、私はいつも結んでいる髪を解いた。
「!」
ほどけた髪が風に揺れる。
普段はお団子で隠れている右耳が、露わになった。
「……これ、ルカも知ってるでしょ」
毎日、私の髪はルカが手入れしてくれている。
雑に扱う私の代わりに、夜は丁寧に乾かし、朝は可愛く結ってくれて。
――そのたびに、この欠けた耳を何度も見ているはずだ。
「これは……昔、恋人にやられたんだよ」
「!!」
私の右耳は半分ない。耳たぶが切り取られたように欠けているのだ。
初めてルカがこれを見た時、少しだけ固まっていた。
けれど、この仕事をしていれば怪我自体は珍しくない。
だから彼は何も聞かなかった。単純に気を遣ってくれたのかもしれない。
魔物との戦闘ではなく、まさか恋人の仕業だとは思っていなかったのだろう。
ルカさらには目を見開いていた。
「好きだった。信頼していた。だけど……、それは私だけだったみたいで、彼は寝ている私を襲ったの」
この世界で初めてできた恋人だった。
……あちらは、そう思っていなかったようだけれど。
「お金が欲しかったみたい。私って堅実だから? 今ほどじゃないけど、ちゃんと貯めてたんだよね。それを、初めて恋人ができて浮かれちゃってさ」
ある日、結婚しようと言われた。
家はどこに買おうか、なんて将来の話をした。
『ミサキに危ないことをさせたくないから、防御システムが充実している大きな街にしよう』
でも彼は、小さな商会に勤める一職員だった。そんな家を買う余裕なんてない。
それでも、そう言ってくれたことが嬉しかった。私はただその気持ちがくすぐったくて。
だから私は、自分も出すよと言った。そして貯金額を全部、伝えてしまった。
……自分の耳に嵌めたピアスが、資産を溜めている魔術具だということまで明かして。
「今思えば、馬鹿だよねぇ。……それで、その日の夜。急に痛みを感じて飛び起きたら、彼が私にナイフを突きつけてたってわけ」
魔術具は本人じゃない絶対開かない刻印付き。決して私の耳から離れない。だからそれを肉ごと切り取って、使い方を刃物で脅して聞いてきた。
「ずっとお金目当てだったんだって」
こんな性格だけど、私だって突然この世界に連れてこられて寂しかった。
そんな中で優しく声をかけられて、大事にされたら惚れてしまう。
結婚まで手は出さない、なんて今時くさいことを言われて、本気なんだと思ってしまった。
だからプロポーズだって、本当だと思って。
「命まで取られたくなかったら全額出せってね」
今まで一緒に過ごしたから少しは情がある。だからこれ以上傷つけたくない。そんなことも言っていたなあ。
あの時は寝起きだったし、本気で好きだったから、とてもじゃないが冷静じゃなくて。
だからひどく傷ついた。
けれど今思えば、襲っておいて何綺麗事を言っているんだという話だよなあ。
「でも」
一緒に笑って、悲しい時は慰めてくれた。それは本当に嬉しかったし、幸せだった。
「……信じていたんだよ」
馬鹿だな、と自分でも思う。
結局、相手は私のことなんて少しも想っていなかった。
それはもう分かっている。
でもあの日々の中で、彼を好きだと思った私の気持ちは本物だった。
幸せだと感じたのも本当だ。
この世界での常識の違いやギルド内の人間関係に疲れて帰った日、彼は自分で摘んだという花束をくれた。
魔物を大量に倒して少し精神的に参っていた日、彼は黙って珈琲を淹れてくれた。
些細なことかもしれない。けれどこの世界で、唯一私に心を割いてくれる人だと思っていた。
「さすがに、今は吹っ切れてるけどね!」
彼が去ったあと、私は随分泣いた。
それから一年が経ち、今ではルカやリッカがいる。
幸せな日々で上書きされて、未練なんてとうにない。
でも、失ったものもある。
「……代わりに、他人を信じられなくなった」
本当に心からあの人を信頼していた。好きだった。
でも、あんなに優しかった人が、平気で眠っている私に切りかかったのだ。
あの燃えるような痛みは、今でも忘れられない。
安心して熟睡していた中での肉体的な痛みは、想像以上に深く刻まれトラウマとして残った。
……何度もフラッシュバックを起こし、暫く眠れなかったほどに。
「みんながみんな、そういう人じゃないって分かってる。けれどあんなにも信じ、愛した人が、最悪な形で裏切った」
私が付き合っていた人が、おかしかっただけかもしれない。他の人は違うのかもしれない。もっと他人を信じてもいいのかも。
……でも、現実として起こった。
ここは常識の違う異世界だ。
良い人と悪い人の違いを、どうやって見分ければいいのだろう。
彼だって笑顔で優しい言葉を囁き、長い間ずっと恋人のふりをしていた。
そんなもの、心理学を学んだわけでもない私がどう見抜けられるというのか。
そもそも、この世界に元の世界と同じ倫理観であるのさえ分からない。
魔物という脅威に常に晒された世界。
人の尊厳が、元の世界ほど尊重されているのかさえ疑わしい。
「だから私は、誰も信じない」
もう、二度と裏切られた時の苦しみは味わいたくない。
今度は命まで取られるかもしれない。
……それに。
『帰ったら、約束ね』
『今度こそ一緒に見に行こうな』
「…………」
思い返せば、昔からそうだった。
期待するから悲しくなるし、失望する。
……なら、最初から信じなければいい。
夢なんて見なければ、裏切られても「やっぱりね」で終わるだけ。
だから私の傍にいる人は、絶対に私を傷付けることの出来ない奴隷だけでいい。
「そんなわけで、私は主従契約してない人とは行かないよ」
私はこの世界で、自由気ままに生きると決めている。
不確定な未来より、今が楽しいと思えればそれで十分。それ以上は求めていない。
ルカの首輪に刻まれた刻印も、リッカと契約した従魔の証も、私にとっては大事なお守りだ。
それがあるから、同じ屋根の下で安心して眠れる。
二度と誰かに、傷つけられる恐怖なんて感じたくなんかない。
「ミサキ……」
だから、ルカ。
君を解放するか聞いた時、枷を外すならさよならだと言ったんだ。
ルカが嫌いなわけでは決してない。
幸せになればいいと思っているのは本当だ。
だけど主従の鎖を外すなら、私と一緒にいてほしくない。
遠い場所で、幸せになってほしい。
「これで回答になったかな?」
私はいつも通り、にっこりと笑った。
2章お終い。




