鎗ヶ崎の交差点㉕
しかしその週末、中目黒の街で偶然知花に会った。僕はその偶然の出会いを喜ぶ前に彼女の異変に気付いた。その顔は蒼く、明らかに体調が優れないのがわかった。
「あ、山崎君」
「どうした?」
「え?何が?」
「いや、顔色悪いから」
「あ、うん。ちょっと貧血。大丈夫。今日、こんにゃく作ろうかな」
か弱い彼女の姿を見た途端に山口に諭された時に生まれた冷静さはすぐに消えた。やはり知花は幸せではない。今の知花には自分が必要なんだと使命感に支配された。
「今夜行こうかな。でも体調悪いなら無理しないように」
「うん。大丈夫。ありがとう」
「じゃあ、あとで」
歩いていく知花の足取りはおぼつかなかった。僕は彼女を抱きしめたい衝動をどうにか押しとどめて、そのか細い背中が見えなくなるまで見送った。
その夜、店に入るとカウンター席に工藤が座っていた。僕も並んでカウンターに座った。
「嬉しいよ。この店で飲んでくれて」
「山ちゃんは関係あらへん。ここの料理と酒が気に入ったんや」
「ありがとう」
知花はいつものように明るい表情に戻り接客をしていた。何があったか聞きたかったが女性に貧血と言われたらそれ以上は聞くことはできない。
客の対応が済んで一段楽すると、知花がカウンターに入って言った。
「工藤さん。京都のイベントって日曜日もやってるんですよね?」
「ああ。やってるで」
そして、僕を見つめてはにかみながら言った。
「一緒に行こうよ」
「え?でもお店もあるだろうし・・・」
喜びとともに、突然一線を踏み越えようとする知花に何があったかが気になった。
「日曜日なら朝出て、月曜日の昼に帰ってくれば大丈夫。山崎くんが月曜日休みが取れればだけど」
しかし、彼女に懇願するように見つめられると何も聞く気にはなれなかった。それに転職前で自由な身の僕に断る理由はなかった。
「いやまあ大丈夫だけど」
「じゃあ俺が京都案内する」
「お願いします。あ、新幹線のチケット取らなきゃ」
「いや、それは俺がとるよ」
そう言うと、知花が嬉しそうに笑って言った。
「じゃあお願い」
「よっしゃ。東京から来てくれるとなれば気合い入れるで」
夢物語が現実になった喜びはあった。しかし、こんなことをしていいのだろうかとも思っていた。彼女は結婚して子供もいる。僕の中に躊躇がなかったわけではない。
しかし理性は彼女の笑顔に簡単に押し出された。僕はその日にすぐに新幹線のチケットと宿の予約をし、あまりの早さに知花に笑われてしまった。
そしてその日から僕らのラインのやりとりは京都の話題ばかりになった。出発の日まで、僕らはただの恋人同士のようにはしゃいでいた。まるで再会した時の、何も問題を抱えていないただの男と女に戻れたかのように。




