鎗ヶ崎の交差点㉓
それから僕はまた頻繁に店に通うようになった。夫との話を聞かされて知花を放っておけなくなった。いや、自分にもチャンスがあるかもしれないと考えていたのだ。
しかし知花はあの時以来、夫の話をしなくなった。さすがに結婚したばかりの身で、違う男に夫の愚痴を零すのは良い判断ではないと感じたのだろう。
僕もあえてその話を聞こうとはしなかった。お店の中でそんな話をできるはずもないし聞いたからと言って、結婚をしたことのない僕は適当な解決策を持っていなかった。僕はただ知花を見守ることに徹した。そしていつか僕を頼ってくれるのを待っていた。
その日、僕は友人を共なって知花の店に訪れていた。カウンターのいつもの席に一緒に座ったのは友人でフラワーアーテイストをしている工藤と言う男だった。
工藤はDJをしていた若い時からの友人だった。あるクラブイベントで彼のフラワーアレンジメントに合わせて僕がDJをして以来、意気投合してもう十年以上の付き合いになっていた。
この頃、僕は知花の店に行く時はなるべく友人を連れて行くようにしていた。一人で行ってしまうと知花も気を使うし、僕もどうしてもただの店主に対しての態度を取ることができなかったからだ。
水商売の中で、それは他の客に対していい影響を与えない。店の客は男性が多く、彼女が目当ての客もいる。現に知花が妊娠をしていない時は店の売り上げは落ちてしまった。僕の感情だけで、彼女の商売の邪魔はしたくなかった。
それに妙な噂を立てられることも防ぎたかった。ある芸能人のスキャンダルにより、世間の不倫に対する風当たりが強い時期だった。僕らみたいな一般人には関係ない話だし、僕と知花には何もなかったが、女性が営む店で男性客が一人でずっといると、どこかから噂が立つ可能性もある。
関西人の工藤はよく喋り、よく飲んだ。この日も何合めかの日本酒を僕よりも早いペースで飲んでいた。
「いい店やなあ」
「そうだろ。よかったら使ってくれよ」
「女将さんも綺麗やし、通うわ」
「ああ。頼むよ」
すると、ひと段落した知花がカウンターの前に立った。
「工藤さんは仕事は何をされてるんですか?」
その日の知花は髪をアップにしていた。カウンターの照明に照らされると大きな瞳が強調されてさらに美しかった。
「一応フラワーデザイナーってことになるのかな」
「工藤はショーとかイベントとかで花を飾ったりしてるんだよ」
「へえ。じゃあ桜の季節は頼もうかな。お店の中に桜飾りたいの」
「ええよ。春になったらな」
春。半年以上先。僕らはどうなっているのだろうか。このまま、何も変わらないままなのだろうが。
それは当然だ。彼女には家庭がある。でも、ほんの少しでも桜が咲く頃には何かが変わっていて欲しいと思った。知花が隣にいて桜の花の下で過ごせたらどれだけ幸せだろうと。
「そや、今度京都の寺で花をいけるイベントに出るんや。土日だからよかったらきてや」
「へえ。京都か。修学旅行以来行ってないな」
「せやったら二人で来ればええ」
「いや、彼女はお子さんがいるんだよ」
「あら?そうなん?俺はてっきり・・・」
すると知花が僕を羨ましげに見つめて言った。
「行きたなあ」
「君はお店もあるからね」
一緒に行こうと言って欲しかったのかもしれない。僕はその一瞬の間に生まれた躊躇を後悔した。
「じゃあ、お前は来いや」
「一人で京都か。それはちょっと寂しいな」
「今回のは結構大掛かりやから来て欲しいねん。特に昔から知ってる奴には」
「そうか。考えておくよ」
知花が違うテーブルの対応をしにカウンターを離れた。
僕は知花が仕事をする姿を見つめた。一緒に京都に行けたらどれだけ楽しいだろうか。そんなありえない妄想しながら御猪口を空けてため息をついた。




