兎、狼と闘う
「えぇと雪兎そろそろ物騒なそれをしまわない?」
あの集団を離れて森の奥へ歩いていると咲夜が話しかけてきた。
鞘は荷物に上手く絡まってしまっていて、刀を納めるためには荷物を出さなければいけない。だから俺はガキ共から離れるまで歩いていたのだが、そろそろ良いだろう。それに辺りも本格的に暗くなってきている。今日はここで荷をほどいて夜を明かした方が良いだろう。今後の方針も決めなければならないし。
「そうだね、今日はここで夜を明かそうか。」
荷を降ろして鞘を取り出し刀を納める。ついでにライターと寝袋も取り出しておく。
辺りにある小枝を集め、ライターで火を付けた。咲夜は俺の行動に呆気に捕らわれておりその場に立ち尽くしている。俺からすれば余計なことをしないでくれて助かる。
「雪兎って本当に私よりも年下?」
咲夜は呆れ半分、驚き半分といった顔で俺を見つめてきた。
「下らないこと言ってないでこっち来いよ。」
咲夜は俺の言葉に従って俺の隣に座った。
いつも思うんだが咲夜は何故か良い匂いがする。これが女の子の匂いというものなのだろうか?
「でも凄いよ。
手慣れてる感もあるし、さっきだって刀の使い方が素人目にも凄いってわかるくらいだったし。」
咲夜は何故か興奮気味でそう語ってきた。普通、刀持った子供なんて怖いだけな気がするんだけどな。
「あ〜、雪兎以外の人が持ってたら怖いかもだけど、雪兎なら平気かな。
上手くは言えないんだけど雪兎は刀をしっかり制御してるって思えるんだよね。」
俺が問うてみると、咲夜の要領の得ない言葉が返ってきた。確かに物心つく前から刀を振ってきたが、俺は未だに刀を従えてはいない。むしろ、何度も刀の扱い方を間違えてきた。
「雪兎!!
顔が腫れてるわよ!?」
そう言えば殴られたんだっけ。"オアシス"からの解放という大事件があったからか痛みに気がつかなかった。まぁ、痛みには慣れてるというのもあるのだが。
「平気だよ、これくらい。」
本当ならこれくらい一瞬で治るが、今は咲夜がいるので治すことができない。なぜなら治す為には他人には見せたくないものを見せなければならないからだ。
咲夜といくら仲が良くてもやはり他人の域からは出ない。
「でも痛そうよ?」
「そりゃ痛いからな。」
痛みに慣れていたって痛点が潰れている訳じゃないのだから痛いものは痛い。
「ごめんなさい。」
咲夜は申し訳なさそうに頭を下げた。
「別におまえが悪い訳じゃないんだから気にするな。」
俺がぶっきらぼうに言うと咲夜は少し笑った。しかしその顔には未だに申し訳なさが見て取れる。
「……だから、私には咲夜って名前があるのよ?
さ・く・や。」
いや知ってはいるんだが、どうも口にするのは恥ずかしい。というのも実は今までに人の名前を呼ぶということをしたことが俺はないのだ。ずっとコードネームやら記号やらで人を区別していたし、人の名前は聞かないようにしていたから、人の名前を呼ぶ機会がなかった。
「…………咲夜(←小声)」
「なに?聞こえないよ。」
明らかにニヤけた顔で俺に聞き返す咲夜。
「なんでもない!」
「あ〜もう、雪兎は可愛いんだから。」
そう言ってまた俺に抱きついてきた。
もしかしなくても咲夜を連れてきたのは間違いだったようだ。さっそく俺は後悔を始めていた。
「本当にごめんなさい。私の方が年上でお姉さんなんだから雪兎のことを守ってあげなきゃいけなかったのに。」
咲夜は慈しむかのように俺の腫れた頬を撫でてくれている。
「守る……か。
まぁ、期待はしないでおくよ。」
守られたことがない俺からすれば、守られるということに実感がない。
「ほら、そこの寝袋を使って寝な。
今日はいろいろあったし、明日も大変だろうしな。」
「でもこれ、一つしかないわよ?」
「俺は今日は寝ないから大丈夫だ。」
これから考えごともしなければだし、しなければならないこともある。
「でも、雪兎だって疲れてるでしょ?
体に傷だってあるし。」
「ほら、俺には構わず寝ろ。」
俺が寝る気が無いことを悟りやっと咲夜は寝袋に入ってくれた。
「ちょっと興奮し過ぎて寝れそうにないかも。」
「ったく。」
仕方なく、咲夜の隣に行き頭を撫でてやる。これじゃぁどちらが年上なんだか分からないな。
「す〜。」
1分も経たない内に寝息が聞こえてきた。やはり度重なるハプニングで疲れてしまっているのだろう。
咲夜の寝顔を横目に俺は今後のことを考える。
まず、この世界に俺達以外の人間、または知的生命体がいるのか、いないのか。いないのなら俺と咲夜がアダムとイブになるのだろうが、いるのならばこちらの生活に順応したいものだ。
俺の勘から言わせてもらうとこの世界に人間はいる。何の根拠もないただの勘だが、俺の勘は割と当たる。
「はぁ、"オアシス"から抜けたら昼寝して遊んで暮らす予定だったのにな。」
なのに今は昼寝どころか徹夜中だ。
仕方ない、生きていなければ昼寝は出来ないし、咲夜には俺の身の回りの世話させるつもりなのだから。つまり何が言いたいのかと言うと。
「少年達と狼の群れ、いや大きさ的には熊か?」
少年達と狼の群れが俺達の元に向かって来ているのを俺の耳はとらえていた。数は少年達が4人、狼が12匹、狼は足音から言って熊程の大きさもある。少年達はおそらく焚き火の煙に、狼達は臭いに釣られてやってきたのだろう。
少年達が来るのは予想の範囲内だ。男というのは性欲が極めて強い生き物。あの集団にも咲夜以外の女はいたが、咲夜程の美人はいなかったので男共は咲夜にご執心というのは分かっていた。俺のような子供に渡したくは無いという気持ちが現れるのも当然だ。
少年達は刀で脅された後、正面からでは適わないと悟り、俺の寝込みを襲うことにしたのだろう。
さて、来ると思っていた少年達はともかく、狼の方は厄介だ。普通の狼ならどうとでもなるが、大きさが熊並みとなると無傷という訳にはいかない。そもそもで俺には少年達に負わされた怪我もある。だがそれでも負ける気はしない。ただ、明日の朝、咲夜を驚かす事態になるのは確実だろう。
(おい、もうすぐあのガキがいるところにつく。
拘束ようのロープを用意しろ。)
(だけど、大丈夫なのか?
あいつ刀持ってんだぞ?)
(アホ、だから寝込みを襲うんだろが。)
俺の耳には少年達の話声が届いていた。
既に俺は少年達の背後に回り込んでいる訳なのだが、実は始末に困っていた。一番確実なのは殺してしまうことなのだが、"オアシス"から自由の身となった今、あの頃と同じ行為を繰り返すのは阻まれる。かと言って話し合いで解決するとも思えない。それにグズグズしていては狼の群れも来てしまう。今、狼共はこちらの様子を窺っているらしく襲ってくる気配はないが、それもいつまで続くかは分からない。ならば、面倒だけれど、少年達を気絶させた後に狼共を始末するしかないだろう。
そうと決まった後の行動は早かった。少年達の後頭部に峰打ちを決め、一瞬にして意識を刈り取る。
少年達の体を邪魔にならない場所に移動させ、狼共を待つ。
本当は少年達からは離れたいのだが、狼の群れの一匹でも気紛れに少年達の方に向かってくれると少年達が簡単に食べられてしまうので少年達の体を守りながら戦うしかない。
「………痛い。」
少年達に負わされた傷が地味に痛む。おそらく"アレ"を使う羽目になるだろう。俺が"オアシス"に拾われる理由になった忌まわしき体質。まぁ、それがなければ今頃は死んでいるので、感謝もしてはいる。
ワォーーーーーン!!
とうとう狼の群れが来た。しかし、どうもおかしい。何がとは言えないが、"違う"。大きさの違いだけではなく、体のつくり自体が違うように感じる。
俺の前に現れた狼は9匹。残りの3匹は後方に控えている。
今は真夜中であり、夜の闇を照らすのは月(この世界にも月はあるらしい)明かりだけだ。しかし、その僅かな月光だけあれば俺も狼も問題ない。
ワォーーーーン
後方から聞こえた遠吠えを合図に狼達が俺に襲いかかる。それも愚直で単純な動きではなく、群れで連携した無駄のない動きだ。
だが、俺には狼の動きが見えた。俺の動体視力は聴力同様、人並みではない。狼の動きを俺は完璧にとらえていた。
最初に俺を襲ってきた狼に居合い斬りを繰り出す。
カーン
だが、返ってきたのはまるで鋼鉄を切った時のような金属音だった。少なくとも生物から出るような音ではない。
本来なら狼を一撃で葬れるだろう俺の技は狼の毛皮とその下の肉を僅かに切り裂くだけにとどまった。
鋼鉄の毛皮を持つ狼、確かに凶悪だが、不思議と斬れないとは思わない。そもそもで俺は鉄なら斬れる。先程の居合いは"狼"に向けた剣技。ならば次は"鋼"に向けて刀を向ければいい。
俺の反撃を警戒したのか狼は距離をとっていた。鋼鉄の毛皮を斬られたことに驚いているのだろう。
俺は再び居合いの構えをとった。"今の"俺の最大の武器はこの動体視力と瞬発力だ。それを最大にいかすなら居合いの構えが一番適している。
一瞬の間の後、左右同時に狼が俺を襲う。
俺は右から来た狼を斬り捨て、左から来た狼の顎を鞘で殴り飛ばす。右から来た狼は鋼の体を完全に切り裂かれ、絶命。左から来た狼には大きなダメージは無かったが、鞘による衝撃で脳が揺さぶられた為、地に伏して動けない。
その後も俺は傷一つ負うこともなく狼を切り捨てた。しかし、少年達から受けた怪我が地味に酷くなってきており、後ろに控えて体力を温存しているだろう3匹のことも考えると、厳しい状況だと言える。
ワォーーン
俺が5匹目の狼を斬り捨てたところで再び遠吠えが響く。それと同時に控えていた3匹が俺の前に現れた。その内の1匹は他の狼が銀色の毛並みなのに対し、青がかった銀の毛並みを持っていた。どうやらそいつがこの群れのボスらしく、発している威圧感が他の狼の比ではない。また、青い狼が連れている2匹の狼も他の狼よりも一回り大きな体をしている。
(今更ながらに思うけど、13歳の子供が独りきりで戦って勝てる相手じゃないよなぁ)
「はぁ。」
体は痛いし、状況は最悪だしもう泣きそうだね。
ワォーン!!!!
気付いた時には特大狼が目の前にいた。明らかに他の狼よりも速い。俺も反射的に後ろに下がるが、それを上回る速度で特大狼の爪が俺を襲った。とっさに刀を突き出し防御するが、衝撃までは防げず、そのまま木に叩きつけられる。その衝撃で肋骨が何本か折れた。凄まじい激痛が走るがそれを無視して無理やり横に跳ぶ。すると、先程まで俺がいた場所が特大狼の爪で切り裂かれた。
更に後方から別の殺気が放たれたが俺は体勢を崩している為に対応ができない。俺の体を衝撃が襲った。何があったのかは理解できない。ただ、俺を爪で攻撃していた特大狼とは別のもう一匹の特大狼から俺までの空間がまるで砲撃でも撃ったかのような無残な姿になっていた。木は折れ、地面は抉れている。
とても生物が起こせる現象ではない。それに最初に俺を襲った方の特大狼、あのスピードもおかしい。
どうやらこの世界の生き物は俺の知る理とは異なる理の支配下におかれているようだ。と、そんな結論に至ったはいいが、今の身体がボロボロの状況では何の助けにもならない。はっきり言って限界だった。俺は少しこの世界を嘗めていたのかもしれない。いくら"オアシス"から解放されたからと言って、戦わなくても良いということにはならないのだ。生きる為には戦って勝ち続けなければいけない。それはあちらもこちらも変わらないらしい。
「じゃぁ、見せてあげるよ。」
俺の髪が白く染まり、瞳が赤くなる。感覚が更に鋭くなり、体の傷が癒えていく。これが俺の体質であり"オアシス"に目をつけられた原因。この状態の俺は体の再生力、視力、聴力が格段に上がる。"オアシス"の奴らはこの状態を"兎"と呼んだ。目が赤くて髪が白いからというのが理由らしい。
殺気を感じ、その場を退避する。次の瞬間、俺のいた場所に再び衝撃が走った。今度はハッキリと見えた。特大狼が口を開き衝撃波らしきものを放っていたのだ。
後方からもう一匹の特大狼が動く気配を捕らえる。それとほぼ同時に俺の背に特大狼の爪が迫る。だが、今の俺にはそれさえ遅く感じた。まるで後ろに目がついているかのようにその爪をギリギリで見切り、更に振り向き様に特大狼に刀を走らせる。"兎"になったとしても筋力が上がることはないが、俺の動きは今までの数倍速い。筋肉というものは本来の力を全て使ってしまうと、筋が千切れ、使い物にならなくなってしまう。だが、今の、"兎"の俺は体の非常識な再生力に任せて体の筋肉を全開で酷使することができた。また、俺は度重なる"兎"の発動により、筋肉の柔軟性が上がっており、例え全力で力を使っても、俺の筋肉は千切れることなく瞬く間に再生してくれる。そんな俺の斬撃をカウンター気味にくらった特大狼は自分の身に起きたことを理解できていないだろう。最初、俺が特大狼がいきなり目の前に現れたように感じたのと同様に特大狼には俺がいきなり目の前から消えたように感じたに違いない。いや、それさえ感じなかったかもしれない。なぜなら特大狼は真っ二つになっているのだから。
「お前、弱いなぁ。もっと俺を楽しませろよ。」
俺の悪い癖だ。"兎"となった時の俺は冷静な部分と共に戦闘的性格が面にあらわれてしまう。二重人格という訳ではなく、冷静な俺も凶暴な俺も、俺という人間の側面というだけである。
特大狼が一匹死んだことにより青い狼は異様に殺気だった。今頃になって己の死という可能性に気付いたのだろう。
再び俺に向かって衝撃波が放たれた。俺は先程と同様にそれを避けたが、俺が避けるのと同時に生き残っていた狼7匹が俺を襲った。見事な連携ではあるが"兎"状態の俺はその全てを見切り、7匹を瞬時に斬り裂いてみせた。
「弱いねぇ、"兎"に負ける狼なんて滑稽だよ。」
自分でも思うが"兎"の時の俺は口も悪い。直そうとはしているのだがどうしても思ったことが即、口から出てしまう。
残りの狼は特大が1匹と青い狼が1匹。特大狼は大して脅威とは感じないが、青い狼の方は要注意だ。青い狼は未だに自分自身が参戦しようとはせず、状況を見守っている何か奥の手を隠しているように思えてならない。と、冷静な部分の俺は分析するが、結局そん時は寧ろ俺を楽しませてくれる筈だという期待が膨らむだけで、注意も対策もしない。冷静な部分ではいつかこの余裕が身を滅ぼすかも、と思わずにはいられなかった。
ワォーーーン
特大狼が高速で俺に迫る。だが、その動きを既に見切っている俺には問題なく特大狼の攻撃を避けられた。今回もやはりというか青い狼は参戦してこない。それが気にはなるが、今はとりあえず特大狼に刀を走らせる。一瞬、その一瞬だけ腕の力を爆発させ、そのエネルギーを刀に乗せる。しかもただ力任せに斬るのではなくエネルギーを全て支配下においた上での刀での斬撃。俺の刀は特大狼の堅い毛皮を何の抵抗も感じずに斬り裂いた。
ワォーーーン
俺は身の危険を感じて青い狼から距離をおく。遠吠えが聞こえたからではない。青い狼の気配がいきなり膨れ上がったからだ。
「いいねぇ、楽しめそうだよ。」
見た目はさっきと変わりない、だが明らかに違う。
そこで俺が殺した狼達の死体が消えているのに気がつく。まるであの青い狼に吸収されたかのようだ。
いきなり来た。目で追えない訳ではないが、今の俺にも速いと感じさせる動きだ。爪が、牙が、四方八方から俺に迫る。全てを見切ることはできない。細かい傷は無視する。そんなもの今の俺なら一瞬で治るのだから。致命傷に至るような攻撃だけを刀ではじき、多少の怪我は覚悟で青い狼の隙とも言えないような隙に刀を無理やり滑りこませる。しかし、青い狼の毛皮は特大狼のそれと比べても明らかに堅いく、刀が肉まで届かない。
どちらも、決定打が打てず事態は硬直した。
「あっちでも、俺をここまで手こずらせた相手はそうはいなかったよ。」
俺は微かに笑っていた。"オアシス"の依頼でも、ここまで手こずったのは香港のマフィア組織を正面から壊滅させた時だけだ。
あぁ、本当に悪い癖だと思う。俺は今、強敵との殺し合いを楽しんでいた。
しばらくの間、俺達は牙を爪を刀を交差しあった。そして、青い狼が距離を取り、"何か"を溜め始めた。何かは分からないが、青い狼と雌雄を決する時が近付いているのは頭よりも先に体が理解した。俺は青い狼の溜めを妨害するようなことはせず、静かに居合いの構えを取る。生きる為に手段を選ばないのならば今の隙だらけの青い狼を討つべきだろう。だが、俺はそれをしない。楽しませてくれた御礼にこちらも全力で挑む。冷静な俺は馬鹿だなと思うのだが、不思議と不快ではない。寧ろそれを望んでいた。
静と動、それぞれの感情が、思考が、目の前の青い狼を斬ることだけに集中し、解き放たれる一瞬を待つ。
そしてその時が来た。青い狼と一瞬眼が合った次の瞬間、青い狼からエネルギーの塊とも言える衝撃波が放たれる。それは今までの衝撃波と比べるのが馬鹿らしくなるようなエネルギーの奔流。しかも、青い狼のそれは周りに分散して勢いを殺すことなく、一直線に俺に迫ってくる。
俺は今までに感じたこともないような圧力を前に体の感覚が更に研ぎ澄まされていくように感じ、斬れるとそう思えた。
俺は刀に単純な力だけではなく、自らの生命力を宿らせ、一気に解き放つ。
その後の事は明確には分からない。意識が飛びそうな衝撃の中、最後に青い狼の牙と俺の刀が交わったことだけは覚えている。
ただ、この場で生き残ったのは俺だということだけは確かだった。
異世界での初めての戦いはこうして幕を閉じた。