天使になりました
目が覚めた。
最初に見えたのは、真っ白な天井だった。
いや。
天井じゃない。
雲だ。
「……雲?」
起き上がる。
周りも白い。
床まで白い。
遠くには金色の光が差し込んでいて、どこからともなく妙に綺麗な音楽まで聞こえてくる。
そこで、ようやく思い出した。
俺は死んだ。
たしか病院だった。
家族がいて、医者がいて、それから――。
「お目覚めですね」
声がした。
振り向く。
そこに立っていたのは、若い女だった。
見た目は二十代くらい。
柔らかそうな髪に、整った顔立ち。
白い服の上からでも分かるくらい、細身ですらっとしている。
背中には大きな白い羽。
頭の上には、淡く光る輪っかまで浮いている。
普通に見れば、かなりの美人だ。
というか。
俺が生前に想像していた「天使」を、そのまま人の形にしたような見た目だった。
「……天使?」
「はい」
女はにこっと笑った。
笑うと、さらに天使っぽい。
そして俺の視線に気づいたのか、白い羽を軽く広げる。
ふわっ。
体が十センチほど浮き上がった。
「おお……」
すぐに音もなく降りてくる。
「新人案内担当のララエルです」
ララエル。
すごい。
名前までちゃんと天使だ。
見た目も天使。
名前も天使。
しかも普通に浮いている。
今のところ完璧だった。
「ということは……ここ、天国ですか?」
「そう考えてもらって大丈夫ですよ」
「じゃあ俺、地獄じゃなかったんだ」
思わず胸をなで下ろす。
ララエルは手元の半透明な板を確認した。
「生前の善行が一定基準を超えていますので、あなたには天使として活動する資格が認められました」
「天使?」
「はい」
俺は自分を指差した。
「俺が?」
「そうです」
思わず笑った。
これはすごい。
死んだのは残念だ。
だが、死後に天使になれるなんて思ってもいなかった。
「じゃあ、俺も人を守ったりするんですか?」
「可能性はありますね」
ララエルの前に、五つの項目が浮かび上がった。
「天使の仕事は、大きく五つです」
神や天界の意志を伝える使者。
人間を守り、導く守護。
神への礼拝や奉仕。
世界や自然の秩序を維持する管理。
そして、人間を慰め、癒やす救済。
俺は食い入るように見た。
「……結構ちゃんとしてるんですね」
「何だと思っていたんです?」
「いや、雲の掃除とか」
「それ専門の方もいますよ」
「いるんだ」
それはそれで大変そうだ。
「俺はどれになるんです?」
「まだ決まりません」
「適性検査ですか?」
「それもありますが、その前に、まず確認してもらうものがあります」
「何です?」
ララエルが俺の背中を指差した。
「まず、こちらを」
「?」
背中に妙な感覚がある。
手を伸ばす。
何かに触れた。
柔らかい。
羽毛。
慌てて振り向こうとする。
見えない。
「鏡あります?」
「こちらを」
目の前に鏡のような板が現れた。
そこに映っていたのは、白い服を着た俺だった。
頭は相変わらずだった。
死んでも毛は増えなかったらしい。
だが、その後ろ。
白い羽が生えている。
「おお……!」
思わず声が出た。
「これ、俺のですか?」
「もちろん」
「本物?」
「本物です」
俺は羽を動かしてみた。
ばさっ。
動く。
もう一度。
ばさっ。
「うおお……」
これはちょっと感動する。
さっきまで死んだことを考えていたのに、一気に気分が変わった。
羽がある。
俺は天使だ。
ということは――。
「飛べるんですよね?」
ララエルが少し黙った。
「……とりあえず、やってみます?」
「もちろん!」
俺は羽を広げた。
何となく、鳥が飛び立つような姿勢を取る。
足に力を入れる。
「いきますよ」
「どうぞ」
ばさっ!
ばさっ!
ばさばさばさばさ!
「……」
「……」
俺は地面に立ったままだった。
「ちょっと待ってください」
「はい」
「飛べないんですけど」
「そうですね」
「そうですね?」
俺はもっと激しく羽ばたいた。
ばさばさばさばさばさばさ!
服と羽が風を起こす。
ララエルの髪が少し揺れる。
俺は一センチも浮かなかった。
「なんで!?」
「重いので」
「言い方!」
「人間だった頃とほぼ同じ体格ですから」
「天使ですよね、俺」
「天使です」
「羽ありますよね」
「あります」
「飛べない?」
「現状では」
俺は自分の腹を見る。
確かに細くはない。
でも、そこまで太っているつもりもない。
さっき目の前で軽々と浮いていたララエルを見る。
細い。
腹が立つくらい細い。
すると頭上から笑い声が聞こえた。
「きゃはは!」
見上げる。
小さな女の子が飛んでいた。
天使の羽をぱたぱたさせながら、俺たちの上をぐるっと一周する。
そしてそのまま、遠くへ飛んでいった。
「……飛んでるじゃないですか」
「子供は軽いですから」
「ずるくない?」
「何がです?」
俺はもう一度羽を広げる。
「じゃあこれ、どうすれば飛べるんです?」
「その説明は後でします」
「後?」
「まず名前を登録してきてください」
「名前?」
「はい」
俺は首を傾げた。
「名前ならありますけど」
「現世のお名前でしょう?」
「御手洗大介です」
ララエルが少し微妙な顔をした。
「それはもう、人間だった時の名前です」
「天使になったら変わるんですか?」
「変わります」
「どうやって?」
ララエルは遠くを指差した。
そこには、
『天使名登録所』
と書かれた看板が立っていた。
「そこで新しい天使名を登録してください」
「自分で決めるんです?」
「行けば分かります」
妙に含みのある言い方だった。
「登録が終わったら、ここへ戻ってきてください。その後、飛行について説明します」
俺はもう一度、自分の羽を見る。
羽はある。
なのに、俺は飛べない。
そして遠くにある名前登録所。
天使になった。
羽も手に入れた。
これから新しい名前まで付く。
なのに。
「……思ってた天国と、ちょっと違うな」
俺が呟くと、ララエルは笑った。
「皆さん、最初はそう言いますよ」
この時の俺はまだ知らなかった。
飛べないことなんて、
この後に起きることに比べれば、
大した問題ではなかった。




